舞い散る日々のなかで踊れ

散財していくタイプのおたく。

永遠の幻想に溺れる。

たとえば身近な人の死とか、それぞれがそれぞれの道へ進んでいく別れとか
たとえば好きなバンドの解散とかメンバーの脱退とか
わたしたちはそうやって、今までじゃいられないことや当たり前にあったことを失って、当たり前じゃなくなることを、そのときに身に染みているはずなのに、またいつの間にか当たり前だと錯覚して、永遠であると思い込んで囚われて埋没して、また失ってそれが幻想だったと溺れるんだ。


人生は自分のものであることには間違いないし、選ぶのも自分だけれど、このままずっと続いていくたったひとりの不在を背負い続けるひとがたくさんたくさんいるわけで。
永遠に埋まらないピースを心のなかに刃物みたいに残しちゃうのだとしたらやるせない。
やるせなさすぎる。



ところで。やっぱりキスマイは紅白に出られなかった。
いつかいつか、と言ってるといつかを永遠に失う気がする。そういうものだから。
来年辺りにその年唯一のミリオンヒットを出してみんなが歌えるような曲ができればあるいは。
けれどそれでも無理ゲーな気がする。
μ'sは予想通り出場が決まったわけだけれど、μ'sが出るのに、芸能界一ラブライバー名高い宮田さんを出さないなんてセンスないなーwww
出番のときに、司会の横でガチライバー感を出してお茶の間に引かれる宮田を見られなかったのは至極残念なり。

無題。

キスマイは今年も紅白出られないだろうと諦めている。

おととしは出るだろう!と意気込んで出演者一覧をざざっと見てえっリンホラ!リンホラ!と思ってるときに、あっ、か行通り越してしまった…って戻ったら名前がなくて本当に驚愕した。「その年の活躍」と「世論の支持」に関しては、とっくにパスしていると思っていた。いやたかがジャニーズアイドルに世論の支持って…という話もあるだろうが、そこを突き詰めて選考するとこれだけ音楽のかたちが多様化している日本で、むかしのように「誰もが歌える」曲はもう存在しないので、世論=一定数以上のファンをもち、テレビによく出て、名前を売り、名前だけでも知っている人間が一定数世の中に点在している、くらいに考えたほうがいい(ベテランでない若い出場者に限る)。

だから、贔屓目だとしても出ない理由がないくらいに今年は(2013年)はぐーっと来たなと思っていたので、驚いた。

ただ「NHKに貢献している」という点が紅白には相当考慮されている気配なので、そこだけはクリアしていなかった。

それこそ林檎さんが出場したのは朝ドラの「カーネーション」とW杯の「NIPPON」があったときだけなので、それはそういうものだろうと自分の中で思っているし、出てはほしいけど何もなければ落ちるだろうということはわかっている。

まあむかしの林檎さんはどうあがいたって紅白向きではなかったし、本人のキャラとしてもあるわけないと思っていたけれど、事変を始めたあたりから、個人的にはあの人ははやく紅白に出て、エキセントリックだと凝り固まった世間のイメージを、実はこんなに素晴らしい音楽をやっているんだと解きほぐすべきだと思っていた。いや、今この話は関係ない。いや、まあ今年も大勢引き連れて「神様、仏様」をNHKホールでかましてほしいと思っているけれども。師走大晦日の百鬼夜行的なかんじで。

 

閑話休題

 

うん、キスマイね。そうそうNHKへの貢献度が低い。

もちろんこれはすべてじゃない。NHKに貢献してようがしてなかろうが出るひとは出る。だから結局事務所のなにかが絡んでるのだろうと考えるのが自然なわけで。もちろん紅白に出られるのは一握り、というかジャニーズはカウコンがあるので、これまで出場していたGは限られていたし、たくさん出始めたのもここ最近なので、まだまだひよっこのキスマイには難しいのかもしれない。先輩だってたくさんいる。

カウコンがあるから。

実際それはそうで、尤もらしい理由だけれど今年もカウコンにいないんじゃないかと、それも心配している。個人的に、それくらいキスマイって浮いてるというか、いびつに存在していると感じる。事務所のなかで。

それは戦略的なものでそうしているのか、それともそうあらなければならない理由やそうならざるをえないなにかがあるのか、それはわからない。

この話をするとメリー喜多川のインタビューに言及せざるをえなくなるんだけど。

派閥というものは存在していないという言葉とは裏腹に日々浮彫になってもう取り返せないところまで来てるよね。

なんかもう夢がないよね。芸能界じゃなくてもどこの会社にも内部の問題はあるだろうし、もちろん芸能界のそれは一般の会社とはすこし違う部分もあるだろうけれど、大概顧客には見せずに努力するものだとわたしは思っているんだけれど。だからね、すごくがっかりなんだよわたしは。番組ひとつとっても、ものすごく浮彫になってますやんと。こういう風に、顧客に疑念を抱かせたりするやりかた自体が間違っている。内部のおばさんふたりの抗争なんか見せて、エンターテイメント名乗れんのか!と、

自社タレントが一番だと言うならば、自社タレントを「踊れない」と貶して落とすのはやめましょう、いい歳して。

感情論や肉親可愛さだけではもうやっていけないほど母体が大きくなっているんだよ。

 

ああもうこのインタビューを思い出すと怒りが戻るからやめよう。

社会的にこれくらいの立場のひとが、会社やそれを動かしてくれている一従業員や顧客のことも顧みず、ヒステリックに娘!娘!娘かわいいと言っていることが信じられなくての怒りね。後継者はジュリーで異論ないので。ちゃんとタレント全員を守ってくれるならな!

 

とか言っていて今年出場したりしてwまあないかw

今年はμ‘sが出ると踏んでいる。MJの出演とかスペシャルとか、来年のなぜかNHKで再放送とか、きちんと道が作られていますね。こういうことなのですよね。

仕事なので紅白は見たりできなそうですけどね。それよりも体調が戻ったらコミケに行こう!

 

 

 

 

 

 

魑魅魍魎の夜。

椎名林檎さんのライブに行ってきた「椎名林檎と彼奴等がゆく百鬼夜行」(ネタバレ含)

去年の「年女の逆襲」以来なので一年ぶり。体調不良を押しての参戦でしたが行ってよかった。

て、毎回参戦して毎回行ってよかったと思うわけですが。

今回は「あの曲聴きたかったなー」とかそういう消化不良がまったくないと言うか、アンコールもね、なくてもいいんじゃないかと思えるくらい素晴らしかった。なくてもいいと言うと語弊があるけれど、本編だけで今の椎名林檎をすべて観たかんじというか、それくらい説得力があった。

選曲もすごく良かったように思う。いやこれも語弊はあるけれど、「椎名林檎」時代の初期から好きでいるひとや東京事変からのひともまるごと連れていってくれるようなセットリストだった。だってもう「警告」や「Σ」なんて聴けるとは思わなかったよ!一生生で聴くことはないだろうと思っていたよ。それが東京事変を経たあとにあるなんてもう驚愕。「丸の内サディスティック」や「本能」は事変時代もプレイしているけれどΣだよΣ!初出はカップリング曲だよ!

そして「罪と罰」「真夜中は純潔」ってもう…ねじふーせて ディストォションかけたーらーなんてもう聴けるなんてこのツアー始まるまで誰も思わなかったんじゃないですか!?

あーもーそうやってノスタルジーに浸っているわたしを襲う「群青日和」……

 

泣いたよ。今の林檎さんとあの頃の林檎さんと、今の自分とあの頃の自分と、人生の今の情景とあの頃の情景が一気に一緒に押し寄せて、どうしようもなかった。これまで林檎さんや事変のライブで楽曲や歌詞の素晴らしさに泣いたことはあっても、こんな歓喜と衝動に満ちた涙ははじめてだった。歌は想い出を連れてくるとはいうけれど、想い出とかそういう甘酸っぱいものじゃなくて、生きた証のようなものというか。あの頃あんなことしてたなとかあの人と一緒にいたなとか断片的なことじゃなくて、生の歓喜のような。

だからやっぱり天才とか神とか思っちゃうんだよね。今回のオープニングだった「凡才肌」にあるように、わたしだって普通の人間だよとか言われても憧れてしまう。安直だけども。神様、仏様、林檎様!と思った夜だった。

 

グッズは「お仕舞い」が欲しかったけど全部売り切れてしまっていて…手旗とステッカーとタオルとお手提げを購入。ご朱印帳も素敵だったけれど使う機会が…と思ってやめた。使うならあれが良かったけれど、あまりお寺めぐりをしないのです…

 

 

 

 

 

宮玉の『BE LOVE』にみる、コンビ萌えの終着点。

今更感あるけど、ナゴヤドームも控えてるってことで、京セラドームで感じた、宮田俊哉玉森裕太(敬称略)ユニット曲における演出について言及しようと思う。

わたしはふたりの担当ではないのだが、腐っている二次元ヲタでもあるので、そういった人間から見た個人的な感想である。

 

結論から言えば、あの演出はNOだ。

では何故NOなのか、それを挙げていこうと思う。

 

演出の内容まとめ

・スクリーンにふたりを思わせる漫画が映るところからはじまる(ボーイズラブっぽいストーリーを感じさせる)

・ふたりが手を繋ぎながらステージ上の階段を降りてくる。

・歌いつつ、ふたりの想い出の写真の数々がスクリーンに(これは漫画じゃなくてご本人たち)

・メインステージに置かれたソファにふたりが座って、いや、ひざまくらとかしてて、宮田が玉森にプロポーズ。頷く玉森。

・花嫁のベールをかぶった玉森と宮田が花道を腕を組んで歩いてくる。うしろではジュニアたちがフラワーシャワーみたいに祝福している。センターステージでベールをあげて宮田がキスしそうになるところで暗転。

 

改めて文字にするとすげーな…完全にBL…!アイドルのBL…!

まずこの漫画、わたしのような人間から言わせると「公式同人誌ワロスwwwグッズで出せしwwww」くらいにしかならないのだけれど(すみません)世間的にああいう漫画が突然どーんと出てきたら、えっ?と引いてしまうひとは多いと思う。もっと言えばBL漫画にキモイとはっきり言う人間が多いのも事実だ。

宮田くんはアニヲタで、コミックマーケットにも出没する系アイドルなので、BLという世界があることも知っていたのだろう。つまりこの世にそういう漫画があり、小説があり、CDがあり、アニメがあることをちゃんと知っていたのだ。

玉森くんは違うだろうが、インタビューで「真剣にBLをやります」「俺がほとんど考えた」と言っていたそうなので、それがどういうものであるのかは理解しているはず。いや、確信犯だろこら。

しかし、ファンはどうなのか?

わたしが思うに、BLはデリケートなジャンルであり、そこに浸かる人間ほど、そうであることを理解している気がする。普通、BLを好むことをあけすけに語ったりはしないものだ。つまり言い換えれば、あけすけに語ることのできないジャンルだということである。

世間的に、極めて個人趣味であるBLを公に大幅に扱うことがまず問題なんじゃないか?とわたしは思う。

もちろん、漫画や手を繋ぐくらいの段階ではまだ微笑ましく見ていたひとも多いだろう。ジャニーズにはコンビ萌えという要素がある。まだここまではコンビ萌えの範疇で収まっているような面もあった(漫画の時点で嫌悪感を抱いたひとはのぞく)が、このコンビ萌えというのが非常に複雑で、厄介(ついては後述)だとわたしは思っている。だからこの演出が賛否両論に行きついたのではないか?と思う。

そして次に我々の眼前に飛び込んできたのは、カップル以外に撮らんだろ、と突っ込みたくなるような誰得ツーショット写真(例:あすなろ抱き)だった。元々宮玉というシンメには、ビジネス感や利害もなく、本当に仲がいい、という純然たる事実がある。

ふたりが雑誌のインタビューや編集こぼれ話などで知る、ふたりのやりとりやお互いの話、どこかに一緒にいったそれでどうして~という事実はいつも衝撃で、わたしは毎度震えている。しかしそれはすべて男の子同士の仲の良さに過ぎず、カップルではけしてない。だから、どうしてその写真(真顔)となってしまうのにも無理はない。にもかかわらず。

そんな写真の数々のあとは、五万人の前でソファでいちゃいちゃすんなよ…と力ない突っ込みをせざるをえないプロポーズがあって、結婚式、という流れだけれど、暗転後の玉森の「あんま調子のんなよ」という最後の言葉に『これはアイドルの本気の悪ふざけである』という意志表示が見て取れるし、自分自身もそう見えて、ここまでやりやがった…!という謎の感動もあって、冷やかし半分(フー!おめでとー!みたいな)で楽しめたけれど、あーこれまずい、という気持ちもあった。

 

ここで、コンビ萌えの複雑さと厄介さについて、自分が思っていることを書きたいと思う。

読んで字の如く、コンビに萌える。

キスマイでいうところの、シンメである藤北、宮玉、ニカ千とか、私生活の仲の良さを押し出すわたたいとか、過去を思うとなかなか泣ける北ニカなんていうのもいいと思うけれど、ここはシンメを中心に話を進める。

コンビに沸くヲタは多いだろう。記憶に新しいところでは藤北の『FIRE!!』(藤北シンメについてはまた書きたいので細かくは書かないけれど)には、このふたりの前に全人類がひれ伏すのではないかと思えるほどの謎の力と魅力があってそれはそれは沸いた。ドーム揺れた。これが藤北としか言えないほどの底知れないパワーに影に、しかしビジネスという言葉が散らつかざるをえないこともまた事実だった。ガヤ担だからこそ臭いものには蓋をしたくないのではっきり言うけど、これは藤ヶ谷による影響がすべてである。

ただ、仲の良さではなくビジネス。これも手段のひとつだと思うし、実際アイドルという存在でいるにあたり少なからず演じている面が多いとは思うが、ファンにとってはこれが透けて見えすぎるのも嫌なのだ。こまかくは書かないけれどそのあたりは「シンメビジネスと需要」について藤ヶ谷くんがいろいろとマイナスを巻き起こしてしまっているので、参考にされたし。

今回の宮玉事変(言い方w)でなんとなく、気がついたことがある。

もしかするとアイドル本人たちとファンのあいだで、コンビ萌えの定義に乖離があるのではないか?ということだ。宮田や玉森だけでなく、北山もBLとはっきり口にしたことがあるし、また、そう見られるのが嫌なのであろう藤ヶ谷も含め、全員が全員、コンビ萌え、またはそこにあがる歓声=ボーイズラブなんでしょ?俺ら知ってんだから~~というような勘違いがあるのではないか?

そりゃ宮玉やニカ千は普通に仲が良いというバックボーンがあるため、ふっつうにわちゃわちゃしてればヲタはわきますわな。けれど、ちがう。それは恋愛じゃない。ラブじゃない。ヲタがすべてBL好きと思ってはいけない。

つまるところファンは、ビジネス過ぎては嫌、でも仲良しが見たい!シンメ!コンビ萌え!を求めてはいても、かと言って当該の人間が恋愛を匂わせる演出は求めていない(あたりまえ)手を繋いだり、抱き合ったりというのはいいが、そこに仲間意識以上のものがあるのは違うし、それ以上踏み込んでしまうと、それはもう別世界のはなしになってしまうし、まったく嗜好のちがうはなしになってしまう。コンビ萌えの複雑さと厄介さはそういうところだと思う。だって宮玉、みんんなが喜んでくれる演出、見たい演出だと思う、というような勘違いしちゃってますやん?

 

あとは、ヲタ的視点で見ると、アイドルのファン層において結構重要な、夢とかそういうの。ジャニーズ界隈で言えば「リア恋」だろうか。アニメとかでもあるけれど、キャラと自分のストーリーや妄想を巡らせるジャンルを指す。至極現実的な思考であるわけないじゃん、と切り捨てるのは容易だが、そもそもアイドルの在り方として、こんな素敵なひとが彼だったら…♥と思わせることは大切なことだと思うので、実は切っても切り離せないとわたしは思う。そういうひとってべつに自担の結婚式(相手はメンバー)を見て喜ぶとかないんじゃないかな?完全に置いてきぼりにされている感を否めない…完全にマイナス感きたこれ…

個人的には、宮玉の仲の良さが全面に出た可愛らしい演出だったので、それ自体を否定しているわけではないが、あまりにデリケートなゾーンに踏み込みすぎたのではないかと思う。

コンビ萌えの終着点は恋や愛を模したものではなく、いつもずっとそこにある、わたしたちが見ている関係性以上でも以下でもない。おそらくそれしか望まれていない。

彼らがジャニーズという特殊な世界に、少年のころに飛び込んで、なんの因果かグループになりシンメという存在ができることについては、運命的なものを感じなくもないけれど、近づいたりわちゃついたら沸いて、みんなが震える…とか言いだすからって、ほんとうに結婚なんて演出しなくても良いんだよ、と宮玉には伝えたい。

本人たちがどうしてもやりたかったというのならば止めないが()

 

しかしそれを定義したうえで、ファンの受け止め方次第では大失敗に終わるそのギリギリの狭間で、あの結婚劇をやりきったふたりの仲の良さに乾杯するとともに、こういうかたちで仲良きことは美しき哉を演出し、体現した宮玉を愛しく思う。

青春の瞬きが突き刺さる。

劇場アニメーション『びたがってるんだ。』を観てきたのでその感想(ネタバレ含

 

予告↓(貼り付け方あってるかわからないけど…)


映画『心が叫びたがってるんだ。』本予告 - YouTube

 

ジャニーズとは関係ないけど、趣味の話だからいいよね。基本的にわたしは第一にアニヲタなのだ。

 

まずこのタイトルね。このタイトルを知っただけで観たくなるマジック。この魔法にかかるってことはわたしも心が叫んでないのかな、と思う。わたしは素直じゃないので、本当にそうだ…特にね、好きなひとに好きだと言えないです。見込みないのにぶつかることができない。伝えればよかったと後悔しているひともいる。あとはやっぱりめんどくさいことになりたくないから、「言いたいことがあるならはっきり本人の前で言えばいい」的思考が苦手。言えない。嫌われるのが怖いからだと思うんですが、でも何気なく言った言葉で傷つけてることもあったので、結局言わなくても言っても傷つけることがあるんですよね…難しい。

 

さて、この映画のあらすじをざっくりまとめると、おしゃべりな主人公の成瀬順が幼い頃に言った言葉が原因で両親を離婚へと導いてしまい、突然湧いて出た玉子の妖精に「ひとを傷つけないように」お喋りができない呪いをかけられてしまいます。それ以来、高校生になっても誰とも話さず、言葉を発せず暮らしていました(喋るとお腹が痛くなる)

しかし、学校と地域とのふれあい交流会が催されることになり順は実行委員に選ばれます。ともに選ばれたのは坂上拓実、田崎大樹、仁藤菜月の三人。そのふれあい交流会でミュージカルを上演することが決定し、順は自分の気持ちを脚本にし、拓実に励まされ、本当は言いたいことを歌って伝えようと考えました。そして順だけでなく、他の三人も心に言えない想いを隠していて……こんなかんじ?

 

とりあえずキャラクター評(あくまで個人主観)

成瀬順…激萌え。この一言に尽きる。喋らない代わりに表情や仕草、動きが豊かで本当に可愛らしい。不器用すぎて若干他人から見るとイラつく場面もありそう。cvの水瀬いのりさんが本当に上手い。静から動へ感情が動いていくにつれ声が漏れてくる順ちゃんの成長に泣いた。

坂上拓実…順ちゃんと同じような境遇を経て本音を言わなくなった少年が開いていく様がもう。内山くんイイネ!どんどんエモーショナルになっていく坂上少年に、とうの昔に過ぎ去った青春の果てで疲れ果てているおばさんには眩しかった。嗚呼…高校時代にこんなひとに出逢いたかったぜ!

仁藤菜月…優等生で美人、人望もあるハイスペック少女。一番大人だし、正直な気持ちをありのまま見せないように取り繕ってるなー言っちゃいけない言わない、で拓実とは現状維持に勤めているんだなって感じ。正直厭味ったらしいほどいい子。ほんといい子なんだろうけど。恋に悩んでいるのである意味一番普通。でもその普通が高校生ってかんじ。他が重すぎなんだよ。

田崎大樹…なんだこのDQN!?怪我して甲子園への夢が破れたからってすべてに当たりすぎと思っていたけど実直なだけあって心を入れ替えてからはいいやつすぎか!細やんほんとうまいよねえ。『坂道のアポロン』とかもそうだけど。怪我してもう部活出て後輩にやいのやいの言ってたらうざがられるってもうあの、仕事とかでもある気がしてきて汗。良かれと思ってもマイナス、こういうことはある。日常に。まあやさぐれても三嶋くんに守られてるけど。なんか男子高校生がつまってるキャラだった。

 

一番良かったシーンってなると、やっぱりラストに向かう、廃墟になったラブホテルのシーン。ここから号泣タイムが始まったので…それまでも「町内会費ありがとう」までのくだりとかでうるうるしたりしていたけれど、もうここからはカタルシス。

順の書いたミュージカルの脚本は、ほぼ自分を踏襲した作品なので、ひとを傷つけ、罰を受けて言葉を失った少女の前に、優しい王子さまが現れたことで愛を知り、想いがあふれ、けれども話せないので伝わらなくて…そこから事件を経て少女の気持ちが皆に伝わるという内容。つまりその王子が拓実。拓実は順にとって本当に王子さまだと思うんです。山の上のお城に憧れて(ラブホ)、いつか王子さまと舞踏会に…と夢見ていた幼ない日の順。今はそんなに夢見がちじゃないとはわかっていても、突然現れた、はじめての王子さま。それこそはじめは接点がなかったふたりだけれど、両親のことも、玉子の妖精の呪いのことも、初めて話した(メールでのやりとりだけど)のが彼だと思うし、順が「わたしの心をのぞき見していますか?」と思うほど、順の気持ちを言葉なしでも汲み取ってくれたひと。歌なら呪いは関係ないかもとか、伝えたいことがあるなら歌ってみてもいいんじゃね?とか言ってくれたり、ミュージカルがめんどくさい、というクラスメイトたちの前で真剣に説得してくれたりお腹痛くなることを心配してくれたり…そら惚れるわ。完璧王子じゃん。

公演日前日、最後のリハーサルを終えて片付ける二年二組。そのときに、順は拓実と菜月の会話を偶然聞いてしまい、ふたりがかつて恋人同士だったこと、そして一番大切なことが拓実に伝わっていなかったことを知ってしまうんですよね。歌わなくても思ってることわかる、と言ってくれたのに。

菜月は拓実が一番大変な時期(両親の離婚のことだと思われる)に何もできず、しかもまわりに付き合ってるの?からかわれて、違う!といってしまったことを拓実に聞かれてしまい後悔しているし、今でも気持ちがあるゆえに、拓実が順を好きだと思ってやつあたり気味で拓実にくってかかるときに(この気持ちも本当によくわかる)拓実の気持ちが本当は誰にあるのか完全にはっきりとわかってしまうし、しかも「言いたいことは言わなきゃ伝わらない」と。もうね、これを聞いた順ちゃんの気持ちを考えるとね、決壊した。

迎えた公演当日、順ちゃんは逃げる。色々なものから逃げ出す。クラスメイトは探してくれるけど、原因がわかって呆れてしまうし、幕は上げられないし、もう踏んだり蹴ったりの状況のなか、拓実が探しにいくわけですが「待ってろ…成瀬!」ってずるすぎだろお前…!っていう。あ、青春の中で走っていく様がですよ。結局菜月を少女役に変えて幕があがるので、せっかく見に来てくれたお母さんまでもまた落胆させ…

結局順ちゃんはすべてのはじまりになったラブホにいて、拓実と対峙したときに出た

「歌えない。わたしの王子さまはもういない」

そう、もういない。わたしの王子さまは違うお姫さまのことを愛している。歌えなくなってしまうかわりに、もう話してもお腹は痛くない。けれど胸が痛い。おしゃべりで両親を傷つけてしまったことを玉子の妖精のせいにしなければ、どうしようもできなかった順ちゃんの激しい言葉がどんどん溢れてくる。順も拓実もエモーショナル。もうこのへん泣きすぎて細かくあんまり覚えてないんだけど、確か成瀬の声って可愛いからもっと聴かせてくれとか、俺を傷つけていいよ…お前の言葉か聞きたいみたいに拓実が言っていて、順ちゃんが「今からあなたを傷つける」「思わせぶりやろう!」とか「あの女も同罪!いいこぶりっこ!」とか思いつく限りの悪口を吐き出す。それに対して、うん、うんと頷いて全部受け止めようとしてくれる拓実。ええ男や…!まあ菜月の悪口のときはちょっと微妙だったような。うん。勘違いかもだけど。

でもさ、拓実って鈍感野郎じゃん?今日の今日まで順の気持ちに気づかなかったわけで。でも今は一応気づかされたわけじゃん?そこで「お前に出会えてうれしいんだ!」はどうなんだろうね。そりゃ色々たくさん気づけただろうし、順ちゃん的にも「せい」じゃなくて「おかげ」ですごくやさしい気持ちになっていってるからいいだろうけれど、なんか恋愛的に見ると残酷…っていうおばさんの邪推です。

言いたいこと言い切った順ちゃんに、観ているこっちとしては一番大切なこと言わなきゃ!と願うような気持ちで…結果はわかってても。

覚悟を決めるように、順ちゃんは「わたし、坂上くんが好き」とはっきり告白。

それに対して「ありがとう。でも俺、好きなやついるんだ」

うわあああああああああああああああ知ってたけど!知ってたけど!なんて純粋で残酷!でもそれが青春…思い通りになることなんてそんなにないんだけど、切なすぎる…わたし拓順推しで観てたから…でもそのときの順ちゃんの泣き顔のあとの微笑みが美しくて……切なくて、坂上の野郎ーおめーぜってー後悔させたるからなーとか、うしろでガヤ入れたかったわw

そして順を連れて拓実が舞台へと戻り、順は少女の心の声として歌いだして大団円。結局拓実は菜月とよりを戻しそうなところで終わり、菜月が好きでラブホいこーぜとか言っていた(語弊がある)大樹が実はだんだん順に惹かれていて、告白するというまさかの展開のなかで物語は終幕する。大樹、ぶちキレてたもんね、順ちゃんが消えた理由がわかったとき。お母さん来てるって気がついて伝言頼んでたし。

 

所謂青春と呼ばれる時期は、長い人生のなかでは一瞬であり、しかしその一瞬に、どれほどのこころの機微が詰まっているか。十代の感情は剥き出しで、残酷、酸っぱくて、それでいて優しい。自分の存在意義とか立ち位置とか、必要とされているかそうではないのかとか、将来への不安とか展望とか、まわりのひととの関わり──友情とか恋とかそういうすべてをひっくるめて揺れ動くさまがスクリーンに映し出されていた。そのなかで簡単なようでとても深く、難しいもの、失くしてしまったほうが楽とさえ思うほどの、それでも本当に大切な、必要な、伝えたい誰か、話したい誰かのために発したい、発すべき言葉をテーマに描く今作に、こころをえぐられた。そうして自分の青春を振り返り、どれほど大切な言葉が言えないままに消え去り、どれほど性悪な言葉が誰かを傷つけてしまったかということをかなり考えさせられた。それでもそれがわたしの青春のすべてだった。今でも言えないまま仕舞われている言葉はある。それをこれからどれだけ伝えることができるのか、それを今思っている。

 

あ、吉田羊さんの声がとてもよかったです。お母さん役。感情を抑圧しつつも、つい娘を疎ましく思っていることが漏れてしまうところや、最悪、って娘にぶつけてしまうところ、それでも優しさがあったり。

それと相沢くんのキャラが最高でしたww

 

革命前夜の胸騒ぎ。

好きな漫画家さんのnoteを見るついでに、そっちでマガジンを作ってみたけれど、正直使い方がよくわからないので、ブログ自体は引っ越しすることにしてみた。

備忘録的なかんじなので、どこで書いても同じかなーと、前に別のところで書いていたけれど、ページがごちゃごちゃしていたり、貴方の記事いつも見てます!楽しいです!みたいなコメントが初めて書いたページに着いたりしてめんどくさいので変更。

新しく趣味ができたり、好きなものが増えたりするとブログの場所自体を変えたがる人間なので、もしかしたらおんなじこと書いてるかもしれないけれど盗作じゃないですwたぶんわたしですw

 

せっかくだから、アンチからジャニヲタへと転がったこの三年を、最初に書いてみようと思う。ワールドやドリボのことも書きたいけれどそれはまた書こう。

 

遠い昔に、一度だけジャニーズを好きだった時期がある。小学生のころの話だ。いつだって小学生にとって、ジャニーズははじめて知る眩しいときめきである。Kinki kidsがまだデビューをしていなくて、『人間失格』とか『若葉のころ』時系列はバラバラかもしれないけれど『銀狼怪奇ファイル』とか。ええ。歳がばれますね。少年倶楽部を見始めたころ、『kissからはじまるミステリー』を完璧に歌えた自分に驚愕したので、金田一もおそらくこのころだったかと。

そう、わたしは光一担だった。そのころ知っていたジュニアを挙げればキリがない。ドル誌買っていたし、アイラブジュニア観てたし。でもそれは本当に短い期間のことで、しかしその短い期間のあいだに光一くんから翼くんに降りている。簡単に担降りしていましたね。今じゃ絶対に考えられない。

そのあと、わたしの幼きジャニーズ道は、翼くんで終わり、のちに知っていたジュニアが何人もデビューしたのをテレビで見かけても、あ、この子知ってるわーデビューしたんだ、ふーんとしか思わない程度にまで興味を失っていた。

興味を失った理由は色々とある。わたしは相当捻くれた性格で、そのひねくれ具合で思春期を通ったものだから、自我だけは強烈だった。それが趣味に及んだのである。

ジャニーズ、そしてヒットソング。それとおけいこしていたピアノ、親が聴くクラシック。それがそのときの音楽のすべてだった。しかし、それはあのころ流行したバンドの登場によってすべて覆る。今考えれば、そのバンドだってヒットソングに他ならないのだけれど、バンドという形態、ちょっと悪い感じのビジュアル、エレキギターを中心とした楽曲に瞬間的に魅せられ、アイドルへの興味は一瞬で失せた。

ジャニーズといえば、日本を代表するアイドル事務所であり、そのアイドルを追いかける女の子たち、という構図に反発したのもあった。皆と同じものは追いかけない、アイドルなんてダサい、わたしは皆と違うから。完全に厨二である。

そうして椎名林檎さんの登場によって、これまでわたしが邁進してきたサブカル道が本格的に開かれた。椎名林檎さんから、所謂ロキノン系アーティストへと終着したわたしは、売れるものがダサく、人の聴いていないものがかっこよかった。ギターが歪んでいるのがかっこよくて、きらきらしたJポップはダサかった。やはりジャニーズは受け付けなかったし、自分の人生には必要ないものだと思っていた。

 

それから10数年。きっかけは木村さんのドラマだった。勿論サブカルに酔いしれてライブハウスで踊り続けていたわたしが観ていたわけではなく、家族が観ているうしろでなんとなく眺めていた。

画面にあまりに素敵な男の子が映っていたので、家族に誰?と聞くと、「キスマイの藤ヶ谷くんじゃん!」と返ってきた。

キスマイ。

そのときの自分の中でのキスマイといえば、ちょうどCDショップで働いていたころにデビューしたグループであることと、妹(当時はキスマイ担ではない)がカラオケで歌っていたMVで、透明なステージの下で踊っていたメンバーがいたこと、中居くんの歌番組に毎週出てるな…と思っていたことと、同時爆売れしていた『美男ですね』の日本版をやったくらいのものである。興味ないわりに結構情報が多いような感覚に陥るが、これらはすべてCDショップで働いていたからだし、しかもそれは興味がない、という土台のうえに成り立っていた。

しかし、ここで突如として藤ヶ谷太輔という人間が人生にインプットされたのである。けれどそれは、最近のジャニーズにかっこいい子がいる、で終わるはずだった。

このころから、妹がキスマイ、キスマイと騒ぎ出した。実のところこの妹もサブカル道に足を突っ込んで、ジャニーズダサいと思っていたような人間である(ジャニーズのデビュー曲は良作が多いのでカラオケで歌っていたというのが彼女の弁)。そんな人間が突然キスマイと騒ぎ出したことに動揺を隠せなかったけれど、思い返してみれば、彼女に引っ張られるようにして、そして引っ張られたわたしが沼にちょっと足を踏み入れたのを見て、彼女も同じように、一緒に沼に飛び込んだのかも、という気がする。たぶんひとりだったらここまで好きになっていなかったかも。

10月期後のドラマのあとに始まる年末の音楽番組はキスマイという存在を意識して観たし、カウコンも(カウコンは知っている曲も多いので楽しいのでダサいと思いつつ観ていたwほんとごめんなさいとしか)キスマイ出る!という思いのもと観ていた。

自分の日常に、キスマイという存在が確実に食い込んでくるのを感じた。これまで自分が好きだったアーティストは、テレビにほとんど出なかったし、CDの発売もマイペースを貫いていたけれど、ジャニーズのアイドルはそうではなく、やれ誰がドラマ、バラエティー、CDはすぐ出る、CMにも出る。息つく暇がないほど毎日なにかしらがあるうえに、ジャニーズのこと、キスマイのこと、メンバーのこと、藤ヶ谷くんのことを遡って調べるという、気になったら避けて通れない性もあり、寝る時間が惜しすぎた。

『My Resistance/運命Girl』が年明けに発売されたときには、CDを買うかどうか本当に葛藤した。買ってしまったら後には戻れない気がした。これはもう同じ境遇の方にしかわからないのかもしれないが、ジャニーズのCDを買う自分がどうかと思ったのだ。しかし買った。買ってしまった。そして戻れなくなった。本当に、戻れなくなった。この感情は複雑だ。今までの自分がガラガラと壊れていく絶望感や不安、焦燥に駆られる一方で(大げさ)、まったく知らない、未知なる世界に捕らわれていく奇妙な興奮や、言葉ではうまく言えないやるせないときめきのようなものがごちゃまぜになっていた。

もうそのごちゃまぜのまま、わたしは転がった。すんごい坂が目の前にあって、そこを思い切り光のようなスピードで自主的に。

元々ジャニーズに疎いわたしは、どうやったらライブに行けるかわからなくて、調べたり、ジャニーズを好きな方に連絡したりもした。どうしても生で観て、生で聴きたかったのだ。結局ファンクラブに入るほかない、とわかり、ええ、ええ入りましょう!と瞬時に入会の手続きをする謎の行動力。そして過去の作品を買い集めはじめたころから飛んでいくお金…主に天井知らず精神で、妹が積極的にお高くなっていたライブDVDの初回盤を買い求めているとなりで、わたしも一枚目のアルバムやMVつきのシングルを購入した。

この過去を遡っていく時期に、藤ヶ谷担になる決定的瞬間が訪れる。元々最初から好みなので、結局藤ヶ谷担以外にはなかったと思うのだが、キスマイミントツアーのDVDをはじめて観たときのことだった。ジャニーズのライブを観ること自体はじめてなので、ただただアイドル然としたライブに中てられながら観ていた。衣裳、むしろオープニングの宙吊りから、コール、パフォーマンス、ファンサ。すべてが新鮮であり違和感だった。

そうして曲は『Kickin'it』へ。どのシングル出か、といえば『アイノビート』なんだろうけれど、これはもう運命の一曲だった。ティアドロップのサングラスをかけ、真っ黒のひらひらを翻しながら花道を踊り、飛び跳ね、ぎらつきながら歌うガヤさんを観て、とんでもないくらいときめいた。あの、ガヤさんの、腰を落として突き出しながらうしろむきで歩いたりするくるってしたりするあの動きが本当に好きだ。エロい。

もう仕草から動き、表情、指の先まで完璧に自己プロデュースされたパフォーマンスに魅せられた。

もうそこからはガヤさん一色。たいぴーたいぴーとさぞうるさかったであろう、家族たち。思春期の恋か、ってくらいガヤさんのことばかり考えていた。え、ちょっと待って今書いてみて引いたww恋とか愛とはまた違うんだけどもw

ガヤさんのことはもう、顔もスタイルも声も大好きっていうかどんぴしゃなんだけれど、今はインタビューで見えるストイックさとか、実は天然かわいい(父さん時代を知らない新規なのが悔やまれる…)ところとか、生真面目すぎるくせにちょっとお調子に乗っちゃった?ってところとか、先輩の前だと緊張したり太鼓持ちしちゃったり(貶めてるわけではないです)、アイドルやってるのにテレビで不機嫌?とわかっちゃうところや、とにかくいいところも悪いところも全部ひっくるめて好きと、言えるようにはなった。だからきっとわたし、ガヤさんの悪いところも書くかもしれないけれど、それも愛ゆえに、込みで、担当なのかな、とわたしなりに、ジャニーズの世界に足を踏み入れてみて自分で決定付けている。

まだまだ勉強不足なこともあったり、キスマイゴー!と叫んでいる瞬間にわたし何やってるんだろうと我に返る瞬間もあるけれど、ダサい、からの沼にもう全身浸かって、今は何故もっと早く出会ってくれなかったの?とか、何故もっと早くわたしの人生に現れてくれなかったの?とか、どうしてわたしはもっと早く彼らを、彼を知ることができなかったの?と、どうしようもないことを問いかけたり責めたりしながら日々を過ごしている。