舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

冬のExtra shotはやたらおいしい。

素肌ニットは見てしまう笑

じゃねーーーーーよwww

とか、たいぴーすふるを眺めつつ思いつつ『Extra Yummy!!』をふりかえっている。あ、サンタだったかな。素肌ニットうちわはニヤニヤしちゃうだっけ。PartyPeachめ。あーうん、なんかたのしそうでなにより。

「conneXion」あんな演出になるなんて想像だにしてなかったけど、めちゃくちゃ好みの曲なのに生で聴く機会なさそうでしぬほど悶えていたので、聴けてよかった。

「絶対、紺!!!!」じゃねーーーよwww 

昨日なら着てたよニアミスだよって真面目に現場で思っちゃったわたしなんなんだろう。

冬のドームコン、たのしかったです。

わたしがすきになったキスマイはもういないんだって、それを認めなきゃいけないなっていうか単にわたしがいままでキスマイに対して、最近流行りの解釈違いを起こしてただけかもしれないよねうんうんキスマイは仲良し集団じゃないはず、なんてあたしの創作だったかもごめーん!くらいのスタンスになれたらだいたいたのしいよね。いやこれは悪い意味じゃなくって、結局すべてはじぶんのなかにしかないのだから、それしだいで景色が変わるってだけ。ひとは変わるしじぶんも変わるし、あのころのキスマイがいないのであれば、あのころのわたしだっていないし、あのころの情熱をそのまま持って2018年の冬に来られているわけじゃない。もうあれにはぜったいに戻れないんだよねってわかっているからこそ、それでも延長線上でいますきって言えたらもういいやって、あーこれDVDの感想書いたときにも書いたかもしれないな。

なにもかもオールオッケーとはまったくもって思ってないけど、いまは考えるのがひたすらめんどくさい。めんどくさい界隈でめんどくさいことを考えるのがただただめんどくさいしそういうわたしという存在もめんどくさい。思考停止を選ぶおたく。思考停止とか人生でもっともしたくないことのうち5本のゆびに入るくらいなんだけど、むずかしいことを考えるのはやめた少なくとも今キスマイに関しては。ダブスタすぎる。まあわたし踊れたらそれでいいや。

ライブの内容は、夏のセトリをベースにすこし変えるって話がどこかで出ていたと思うんだけど、1曲目と2曲目ですでに、夏のつづきでありながらYou&Me感がぐっと前に出たみたいに感じた。

そんな変更点の感想をつらつらと。

OP映像が夏の思い出だったので、これ1曲目「HOME」だな、よし、しょっぱなから泣かないぞっていう謎の心構えができたんだけど「Still song for you」はなーーーやると思わなかったし、この曲は個人的には、だけど、担降りとかそういう迷いを抱いたことのあるひとにはかなり刺さる曲じゃないかとも思うし、そういう意味ではわたしにもめっちゃグサグサ来る曲なので、2曲目からしんだ。さいきんの藤ヶ谷くんの髪型やビジュアルが大ヒットなので「今日のたいぴやっば…」っていうスクリーンからの視覚的情報も加わってそっちのほうでもしんだ。

単純に、おわった恋を歌うラブソングだわ、お前に向けて歌ってるわけじゃねえよとか言われたら、いや、もうまったくもってそのとおりでございますなんだけど「互いに笑顔でいれるように 遠くからこの歌を歌ってるよ」のところね…これカップリングだからね…担降りしちゃったらこの歌届かない…うっ…泣とか誇大妄想する癖あるから…あと、この曲のイントロ、ドームの大音量で聴くとエモさが倍増。たしか曲がおわる決めのところだったと思うんだけど、スクリーンに大写しになった北山くんの表情むちゃくちゃすてきだった。

夏ドームのときの会心ポイント「BTC」「FREEZE」「蜃気楼」はそのままに「Flamingo」「Becouse I Love you」に変更するかもなって願望を込めて行きの車で話してたら叶っててわらう。西武ドームで「LOVE」しかやらなかったみたいだし、こっちをいれてくるとしたらこのポジションしかないと思っていたし、むしろやってください!!!!お願いします!!!!って祈るような気持ちでいたから10000点。

 「友+情」からの変更曲「ソライロ」でわたしの誕生日の空の写真があって「あーキスマイの誰かがあの日の空を切りとってくれたのね」って謎の感動あったから10000点。あー映像にはいんねーかな(大の字)わたしはツイッターとかインスタとかでそういう企画やっていたの知らなかったんだけどよく知ってるねキスマイ。

冬コンってことで、「Holy night with you」「君のいる街」カップリング推しすごいな?!「Christmas kiss」も聴きたかった。

で、スノド。これがもう極上すぎた。1億点。大好きな2番のサビを生で聴くことができる日はいつか訪れるのだろうか。すごくいいアレンジで泣いたんだけど、直前に風船落とすからドームの3分の1くらいが聴いてなかったんじゃないかって思うww上から全速力でかけ降りてくる落下物担こわい。

「Happy Birthday」で当日に入場している誕生日の方の名前流れてた。こわいw

「ConneXion」の3人、派手スーツがよき。なんだかすごい自由に遊んでるかんじ。

「星に願いを」やばすぎる。問題案件。

もう他担のことはあんまり語らないほうがいいなって思ってるんだけど、でもこれだけは語らずにはいられない破壊力とパワーがある。すきです(直球)歌われている詞がそれを彷彿させるとしてもまさか「BE LOVE」の地続きでくるとは…いやいやいやいや。映像にて玉森くんの手にあったカップが落ちてすがたが消えたとき、となりで「まって…まって…うそ…しんどい」とかエンドレスにつぶやいてた玉森担のきもち!!(身内)でも、2番で白い衣装の玉森くんが降りてきたときに秒で「まじ天使」って思ったらしいからたぶん大丈夫だけど。

ずっと前にまるまる1エントリー「BE LOVE」のこと書いたことがあって、そのときに書いたBL的な設定や演出の是非とか、ひとによってそういうフィルターをかけるかけないとかそういうの抜きに、すてきな作品だとわたしは思いました。

「BE LOVE」の最高潮思い出して、わかんないなにこれ切なすぎるえっもうわけわかんないなんでこんなに身が切られる想いがするの今夜はサイレントナイト…って情緒がぐしゃぐしゃになるね。触れそうでけして触れられないダンスもふたりの表現も、えっなんだろう今聴きながら書いてたら泣けてきたえっ。だけど一瞬だけの聖夜の奇跡なのか、最後は触れて抱き合うんだよね。(でも歌詞的にはそれって宮田くんも????)ってなってると暗転のあと、玉森くんだけが消えてる。えっこれ最高傑作じゃない?????あそこで消えるのがそれなーーーってかんじだよなーーーファンタジーとリアルの狭間のような空間と時間の果てに結局やっぱりリアルしかない、ありえない、みたいなペシミスティックなストーリーが性癖にダイレクトヒットするんだよなーーこれなーーー

まあ解釈違いかもしれないし、うるさいのでこのへんにするけど、あくまで、あくまでわたしから見たら、宮玉はこれまでのキスマイの中における宮玉という存在や立ち位置を一旦完結させたのかなって面も感じました。プライベートで仲がいいとかはまったくべつのはなしで。

「70億分の2」センターを二人でローラーで進んでるとき、なんかフィギュアのペアやアイスダンスみたいだなって思った。

ラスト「君、僕。」で『You&Me』をきれいに回収。玉森くんお気に入りのお高い白スーツが装い新たにメンバーカラーVer.に。

アンコールは予想外の「光のシグナル」と夏にやらなかった「青春Don't Stop」で『Yummy!!』コンプリート。ひとりひとりの挨拶はなくさくっと軽やかに。夏に受け取ったのって今思えば数年分くらいの重さだよ。

8月にKAT-TUNの『CAST』をエコパで観たときに、あーきっとこれがわたしの平成最後のジャニーズのライブになるんだなってことが脳裏をよぎった。一度くらいはカウコンに行ってみたいという気持ちはありつつ、年末年始休みないから無理だし。

けれど、蓋を開けてみたら冬コンのお知らせが来て、ちゃっかりわたしは最後に結局キスマイを観るという、なんだろうね。このラストピースがはまって完成する絵、みたいな感覚。うまくできてるね。キスマイは平成自分史において、最後の5年くらいを象徴するひとたちだから。

あとあと振り返ったときに、額にいれて、あるいはきれいにリボンをかけてそっと飾っておくべきものが結果的にキスマイであったというこの事実が最後に結ばれたことを、理屈の及ばない不思議な感覚として抱えたままわたしは今年を終えることにする。

 

終わりなき君へのDays

「君、僕。」の特典コンテンツを視聴するときのベックスアンケートの自由項目に「キスマイが世界を変えていく景色を観たい」とかいう超絶厨二なこたえを自動筆記かのごとく書いてしまうあたり、なんだかんだ言ってわたしはキスマイがめっちゃすきなんだなーと気がついたままDVDが発売されたので、結局それはその認識を深める要因にしかなっていなくて、世の中うまくできてるなーと思っているしだいだ。

もう夏にぐちゃぐちゃ考えていたことは忘れた。というか京セラの時点ですでにそんなことどうでもよくなってたかもしんない。結局、たぶん、わたし一生藤ヶ谷担するんだろうなって思ったし、なんならきっと前世も藤ヶ谷担だったし来世も藤ヶ谷担するんだろうとか思えてならなくて「うっ…」て震えてた。もしたいぴが猫になっててもみつけるね!もしわたしが猫…みたいな愛玩動物に生まれ変われるとは思えないので、虫とかでもいいけどさ、まあ、飛んでたらその手で追い払ってよ、とかそういうあほな思考で生きてたらいつのまにか冬がくるね。

こないだ、できごころでつい藤ヶ谷くんとじぶんのホロスコープをダブルチャート出してしまって、あーこれは理屈じゃないなーそりゃ自担になるわーかんたんには離れられそうにねーなと妙に納得したから、まあそういうことなんでしょう。いや、どういうことなのよ?仔細にホロ読めないので詳しくはわかんないし、こんなこと言っておいて前世とか来世というものにたいしてわたしは「んー?ふふ…」と苦笑いしてしまうくらいには懐疑的なのだけれども。

 いま「LIVE TOUR 2018 Yummy!!you&me」のDVDがどれだけエモかったかを壁打ちしたくて深夜に書いてる。

まだ本編とマルチアングルと西武ドームと、会議と7人の企画観ただけなんだけど、とりあえず「Break The Chains」「FREEZE」「蜃気楼」の流れはすべての生きとし生けるジャニオタのみなさまに観ていただきたいって気分になる。これ全員でのパフォーマンスも最高なんだけど、この3曲をマルチにしたエイベックスに「いいね!」×10000くらいしたい。わたしのブログじゃ、アンバサダーの役割はまったく果たせないと思うんだけど、とりあえずはっとこ。これはエイベックスの公式チャンネルだからはっても大丈夫…な…はず…


Kis-My-Ft2 / 「Break The Chains」LIVE MOVIE(LIVE DVD & Blu-ray「LIVE TOUR 2018 Yummy!! you&me」収録)

おい!!!さいこうだな!!!!!!!あいしてる!!!

黒着てるキスマイだいすき。なぜなら強いから。オープニングに来ている花や果実、ファーストフードをあしらった洒落た衣装や、特効曲パートのときのいわゆるジャニーズ的な青ベースのキラキラもすきだけど、黒と白は特別だ。

あ、あのオープニングの衣装についてたラベルや背中の文字を全員分、特典シールで知った。エイベックスのブログに書いてあったらしいんだけど記憶ないし、たぶんそれ読んでないんだな。SMALL、PIANiST、OTATOP、BURN…って、え、まさか、え、炎上?ぶっこみすぎだろwwwって焦ったけど、そういう意味じゃないねごめん。

 DVDのCMが7人並んだこの「BTC」からはじまったのもすきだよ。もうぐわってなるからね胸が…おたくは単純だからね…あんなふうに攻めた顔つきで踊られたら「はあ…自担…最高…」ってなるから。極論、もうそれでいいんだなって思った。「はあ…自担…最高…」って手放しで言えたら、もうそれでいいんだよな。なんかぐちゃぐちゃ考えてても、ある一瞬でそこまで飛んでいけたら、わたし、もう十分。ありがとね、ジャニーズというあたらしい世界で、6年間もそんな夢をくれて。きみたちは最高だよ。何目線だよ愚痴垢かよって言われちゃいそうなやきもきもはらはらもいらいらもいろいろしたし、このさきもないわけじゃないんだろうけれど、そういうものを雲散霧消させる瞬間が観られたらもうそれでいい。永遠じゃなくてもいいから。そんな瞬間をできるだけ記憶したい。わたしたぶんここに着地したかったんだな。ようやくわかった。

ここ数年、NEWSのシゲ担のともだちと「担当とはなにか」というジャニオタ哲学について隙あらば語っている。長文LINEを交わしてもファミレスで8時間費やしても(いざ文字にするとやばい)、おたがいにはっきりとこたえが出せなかった。だけどそれを提示することができる可能性の芽をこのライブDVDでみつけた気がする。つっても生で観てるんやけどなーこのライブ。そのときもたしかにこのセクションはエモエモのエモとか「一生すき」とか騒いでぎゃんってなっていたけれど、ここまでの感覚に陥るのは、映像になってはじめて全体像をきちんと観ることができたからかもしれない。

 ひとつだけ贅沢言うとしたら"気づけばこの世界をコンプリケイテッド"するキスマイみたかったのでフルコーラス求む。

ほんとうにこのあとの「Flamingo」までの4曲の流れ永遠に観ていられるし、毎度新しい鮮度で「かっこいい」って思えて、心臓鷲掴みされるからいまなら心臓捧げられるし、なんなのもう意味わかんない。「FREEZE」のダンスもめっちゃかっこいいのもう意味わかんない。この曲がラストにむかっていくとき、メンステからセンステへ通路を踊りながら移動してくるところ、もうばかかっこいい。ファッキンスペシャル。ねえほんとありがとう。こんなところを見せてくれて。うーんテンションがほんと深夜だ。でも黙らない。

あーわたし、このひとたちのことすきになったんだよなあって、ひさしぶりに胸の奥底から噴き出すように実感したから。ひたすらうれしい。このタイミングで来週、平成さいごの冬にライブあるんだよなあ。キマりすぎだわこれは。これわたしきっと10周年までついていくっていうかもはや並走するね。確信した。むしろ愛がスピードあげて本人たちを追い越しちゃうね。どうした。

それまでになにがあるかは誰にもわからない。

だけど、いまはすきな季節が来たし、ごはんはおいしいし、なんか軽やかだし、キスマイはかっこいいし、たのしいさいこう。そればっかじゃぜったいいられないし、どこかでまたもうやだーーーーみたいな案件にぶちあたるときもかならずあるし、つきない悩みだらけでも、いま笑えるんだから笑っとこ。っていう気分にもなる。キスマイのDVD一枚で!

今年は前年比250%くらいで走ったけど、振り返ったらすごく濃くて楽しい…うーん、楽しいというのとすこしちがうな、ありえないくらい悲しいこともあったしな…なんだろう、たわわ、とか、夜明け、とか、枝葉、とかがイメージに近いな。むちゃくちゃアプデを繰り返したような気もするし来年どうやって生きよう…ってくらい出し切った感あるけど、とにかく一年をこういう気持ちで終われるのであればわたしめちゃくちゃラッキーじゃん!ていう。

ところでおなじみ特効打ちまくり終盤で披露された「Tonight」イントロダンスでのたいぴの首の入り方がめっちゃすき!キスマイはやっぱりドームだなあって思うのは、この特効も大きいかもしれないな。どんだけMPもってんの?ってくらい火使いキスマイやっぱりつよい。

全体的に、現場で観たときは、いや…家族とか友達っていうよりプロフェッショナル集団でいてほしいけどな…って気持ちが先行してもやったのが事実なんだけど、「7年目にしてきちんと話した」という言葉が特典として収録された西武ドームのあいさつで藤ヶ谷くんから出てきて、なんというか、ここから更にステップアップしていくための地固めとか地盤とか、そういう立っている場所を考えたときに、やっぱりまずメンバー、つながりみたいな意識になったのかな?と思い直した。

キスマイに圧倒的に足りないのは話し合いだろうね、とだいぶまえにうちの玉森担が言っていたことがあるんだけど、まさか7年目まできちんとした機会がなかったとはびっくりだよ!曲決め会議とか、作業的な、制作上の裏はあまり見せたくないかもしれないけど、これからもそういう仕事をしているキスマイのすがたをすこしでも映像におさめてほしいな、と思った。アイドルだから、表のキラキラしたところがすべてであったり、どちらかといえば密着やメイキングのわちゃわちゃが占める割合が多いけど、社会人!仕事人!みたいなところを見るとまた違った角度でぐっとくるから。「曲を育てる」って言葉も出ていたけど、ほんと!披露されていない聴きたい曲いっぱいあるよ!(おたくのわがまま)キスマイまだまだできることたくさんあるし可能性たくさん持ってるなって感じられたこともうれしい。

その西武ドームの最後のあいさつって、たしか当時ざわついたんだっけな。

藤ヶ谷くんはけっこうフォロヶ谷ぽいところがあったり、ん?保身…?っていう予防線引きにきちゃうように感じるときもあるし、あの原因になったできごとも、やりすぎてたち悪くなることがあるから、いろいろ言われても仕方ないと思うし「脱退しろ」とかも一部で言われてたみたいだけど…現場にいたわけじゃないし、全文見たわけでもないのでこのDVDではじめて聞いた。

これは、もし現場にいたら号泣してたかもな…

「20代は色々考えすぎてた」だっけな?これは東京ドームのほうかもしれない。それを越えての「30代はもっとアイドルを楽しめそう」っていうのがほんとうに響いた。楽しんでほしいとこころから思うよ。ほんとうにそれを願ってるよ。「届くようにがんばって色々チャレンジしていくんで、ほんとに」(ニュアンス)って言ったときの照れ隠しのような声と笑顔がもうなーーーー生きてるだけで自担:藤ヶ谷太輔すぎた。

でも「6人はほんとかっこよくて、特技もない俺なんかが混ぜてもらって」なんて言わないでほしいな~~~~かなしい。怒るよほんと。

それを聞いて「いやいやたいぴがなにもないなら、うちらゴミくずにもなれないじゃん、もう存在すらなくなるじゃん」「それな」とか冗談も言ったりしたけどさ。

アイドルは非日常の存在だ。でもわたしたちの日常に接してもいて、アイドルがすべてではないけれど、それぞれの人生の物語を彩っている面もあると思っている。たとえば藤ヶ谷担なら、その物語の中心に藤ヶ谷くんがいるんだと思うよ!!藤ヶ谷担何万人いると思ってるの??藤ヶ谷くん!!あなたその何万人もの物語のど真ん中なんだよ!!すごいことだよ!!それは藤ヶ谷くんがありあまるほどのものを持っているからだよーーーーって言いたい。わー届かないわ。せつない。

わたしは、今のようなかたちでおたくになるという意味では、ジャニーズというあたらしく広い世界への扉が藤ヶ谷太輔というひとであったし、その扉をくぐったあともずっとずっと藤ヶ谷くんがその世界の中心に立っている。まだ6年くらいでも、藤ヶ谷くんのファンになってなかったら、見られなかった景色も、これまでの人生では体験できなかったこともたくさんあるし、知らなかった感情もある。どんなものがすきでも趣味でもおなじことだけれど、共鳴したからこそ、それをとおしてたくさんの価値が生まれて、その価値が人生やひとのかたちに影響していく。選ばなかったものにどんな価値があったのかはわからない。もしも6年前にキスマイをすきにならなかったら、いまどんなわたしが存在していたのかも知るすべはない。だけど、キスマイやジャニーズをすきになったことにたいして、ひとかけらの後悔もないから、いまのじぶんだって正解なんだよなーーーー

だから!!じぶんがなにもないなんて、そんな悲しいこと言うなよ!!そもそもまず藤ヶ谷くんが思い切り笑ってたらおたくはしあわせでごはん3杯食べられるときだってたぶんあるよ!!混ぜてもらって…って女子のグループかな?混ざってるんじゃなくて、そこにたしかに必要な存在なんだよーーーー

でも、それをあの場で言ってしまった藤ヶ谷くんのこともそれはそれですきなんだけどね。ねえもうほんとわたし誰?うるさいね。

とにかく、このDVDはめちゃくちゃあがる。

そろそろ大掃除しなきゃと、部屋がすごいことになってるんだけど、それ放ってこれを観てしまう。

ほんと、みんなアイドルになってくれてありがとう!!

そういえばつぎのアルバムって例年通りだと「F」からはじまるんだよなあ。家族家族言ってたから直球で「Family」だったらどうする?って話してたんだけど、Fってたのしい単語多い気がするからたのしみ。横尾さん=料理=Yummy!!っていう連想ゲームぽい側面もありなら、たいぴならファムファタールとか…って言ったら、それは却下された。でもそれベッタベタなアルバムになりそうだわ。わたしのセンスのなさな。

宇多田ヒカル LAUGHTER IN THE DARK TOUR 2018

宇多田ヒカルのライブを観た。

「暗闇のなかで笑う人」(だと思ってたんだけど正確には笑い声みたい)というツアータイトルがいいなあ。

絶望のなかの希望みたいで。闇に視界を囚われてなかなか光を感じられないときも多いんだけど。でも、そうありたい。 そんなことを考えさせられるタイトルであり、ライブだった。

衣装にもそれが現れていた気がした。

はじめは黒一色のドレス。後半は白と黒でできたドレス。1曲目にこなきゃラストだろうと考えていた曲(このあとそれだけ書くので、もしこれを読んでいるひとがいて、知りたくなければ気をつけてください)のときに白一色になるかな?と思ったけれど、ならなかった。やっぱり人間、光のみでは生きられない。光があるところに影は落ちる。からこそ人間だよなって思う。

1曲目がはじまり、はじめて歌う彼女を生で観て「愛のひと」だな、と言う感情が湧いた。歌う声なのか言葉なのか、存在なのかオーラなのか、もしくはそのぜんぶなのか、わからない。立つステージそもそもが違うのかもしれない。上質なひと、という言い方は適切ではないかもしれないけれど、もう人間としてのレベルが違うというか…でもけして神とかでなく、まぎれもなく「ひと」で、しぐさや笑顔、トークひとつとってもすごく可愛らしくて人間らしいのに、纏うものや溢れるものがもうぜんぜん違う次元。あれだけそう感じる存在をはじめて見た。

だけど、ライブが進んでいくにつれて「境界のないひと」だという印象へ変化もしていく。男性と女性とか、おとなとこどもとか、そういう境界線が曖昧。自由にスイッチングしている、というか、なんていうか、繰り返すようだけど、たぶんすごく「ひと」なんだと思う。ひとであり個。しぜんに。性別とか国籍とか、あと年齢もかな。そういう人生のいちおうの肩書きみたいなものでものごとを判断してしまうところが、好むと好まざるとに関わらず、日常のなかにはままあるけれど、そういうところからも自由になれるし、そう在るべきなのだほんとうは。そんなことどうだってよくて、ただ「ひと」という存在を軽やかに生きる。絶望と希望の両方を抱えて。それをナチュラルに体現しているひとなのかも。

 

本編のラストが「Play A Love Song」なんだけど、ここに辿り着くまでのセトリが完璧だった。20周年、しかもとても久々のツアーってこともあるのか、みんなが聴きたい曲、お馴染みの曲もきちんと交えつつ、ここに行き着く過程がすばらしすぎた…

MCで本人も言っていたけれど、今年、宇多田ヒカル椎名林檎がおなじく20周年を迎えている。

ふたりとも、歌っていることはけっこう似ているのかなって感じる。それは「明日何が起こるかわからない」ってことで、子供の頃の体験が根幹にあるのだろうけれど、ヒカルちゃんはそれが外側から(親の離婚とか引っ越しとかそういう環境の変化とか)、林檎さんは内側から(今日という日は二度と来ないとか子供の頃から言って泣いてた)発生しているように思う。

今年発売された「初恋」と「逆輸入ー航空局ー」を聴いたとき、20年かけてふたりが辿り着いた場所が、ヒカルちゃんは「Play A Love Song」であり、林檎さんは「人生は夢だらけ」なのかなあとうっすら考えていた。今回の宇多田ヒカルのツアーがその曲で終わったことと林檎さんの「椎名林檎と彼奴等のいる真空地帯」のツアーのラストが「人生は夢だらけ」で終わったことを思うと、感慨深い。

たぶん「明日何が起こるかわからない」の極地が「ひとは死ぬ、いつか絶対に」だと思うんだけど、だからこそふたりとも、生きることにたいして、いいことも悪いことも、起こることぜんぶ含めて誠実に言葉紡いで、自分のなかのこたえを探しながら今を歌うのだと思った。アプローチの仕方は全然違うんだけど、このふたりが同時代に立って歌っている2018年はほんとうに最高だし、奇跡だ。

幸いにもどちらの20周年のツアーにも立ち会えたので、わたしは贅沢すぎるくらいの豊かさとエネルギーをもらえて、ほんとうにすてきな時間だった。たぶん、一生に何度もはない体験かもしれない。これだけ濁流みたいに流れ込んでくる年末は。

ヒッキーはまさかの写真も動画もOKというライブだったので、1枚、1曲くらい撮ればよかったんだけど、絶対撮影禁止、絶対電源オフのライブに慣れているせいでスマホを出すことすらためらわれてなにも残せなかった…うう…でも胸にはしっかり焼きついてるから…!

 

今年1年かけて溜め込んで煮詰めたものを11月のはじめにぜんぶ放出してしまって、今カラカラの空っぽでひたすら寝るくらいしかしてなくてわりと焦ってたんだけど、こうやってまた刺激を受けていろいろ体験して、感じて考えているうちに、少しずつ積もっていくんだなーと思ったら、来年も走れそうだなという気がしている。

まあいらないものはいらないんだけど、うれしいことも楽しいことも、悲しいことも嫌なことも、ぜんぶ抱えて走りたい。いろんな景色をみたいしいろんなものをかたちにしたい。

まんが「浪費図鑑」読んだら泣きそうになった。

話題の「浪費図鑑」のまんが版が発売されたので読んだ。

自分の命削って稼いだお金を、好きなことに使ってなにが悪いんですか!?悪くないもん魂の補完だもんえーーーーんって気持ちになったよ最高!!!

お金で買える尊み最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

推しに時間とお金を浪費…まあそりゃ興味ない人から見たら無駄遣いの極みだとか愚行の果てとかなんでしょう。時間や空間に対して時間やお金を使って、だけどその中で生まれる感情にお値段つけられない。

 

まんが浪費図鑑 (コミックス単行本)

まんが浪費図鑑 (コミックス単行本)

 

 これはまんが。エッセイのほうは同日第二弾が。ラインナップは安室の女、セーラームーン、ジャニーズJr.…なかなか興味深いラインナップ。

 

もともと、のめりこんだら一直線&浪費しがち&タイミング来たら光の速さで飛び込みがちというステータスを初期装備しているので、なにかのおたくになると前面に出てきちゃいますけど、ジャニーズにはまってからはそれが顕著というか「踊れ踊れ~~~~~~~~~~~~~~~~」と叫びながら沼でノンストップダンス(残高をちらちらしながら札を撒く)しがちな奴になっているわたしには共感しかなかったです。

浪費の仕方ってそれぞれ違って、たとえばこの本の「若手俳優で浪費する女」は舞台チケットのほかにプレゼントをがんがん贈っていたりするし「占いで浪費する女」は誰かに、というより「誰かの言葉」を求めて、だったりするけれど、そこから得られるものの価値はジャンル関係なく変わりもないように思う。その価値に対して浪費している感覚ってあまりないかも。必要経費?無駄だと思っていない。それほど思えるものに出会えた人生をわたしはめちゃめちゃ肯定したいし、むしろそういうの知っちゃうとそれなしでは生きていけない劇薬。最近の合言葉は「速効でキメれるハッピーな魔法くれよ!!!」だ。

一生遊びを忘れず生きていきたい。人は遊ばなくなるから歳をとる(ヒプマイ)だからさ!そんなわたしは最近、もっぱら渋谷の女です。あーでもハマの女もいいなあ。

 

 

スマホを壊しただけなのに

スマートフォンがとつぜん壊れた。

よくある症状らしいが、わたしのスマホは、SONYdocomoのロゴをひどく熱くなりながら延々とくりかえして充電を使い果たした。数分間冷凍庫にいれてみたり、丸1日放置して再起動を試みたけれど、事態は変わらなかった。

さて、どうしよう、である。

多少重くなっていたとはいえ、前日までなにごともなく動いていたので、バックアップや引き継ぎの準備もなにもしていない。画像はSDカードに移していたけれど、電話帳はバックアップした覚えがない。加えて憂慮すべきなのが、2週間後に迫ったライブのデジタルチケットをすでにアプリで受け取ってしまっていたということだった。

4年ほど今の機種を使っているけれど、本体交換と画面修理を1回ずつしている。そのときは奇跡的に動いた一瞬を利用してバックアップなどをした。今回に関しては最悪すべてを失うかもしれない、と思った。

もしもLINEの引き継ぎが無理で、電話帳もなくなったら…と仕事中にずっと考えていた。Facebookもしていないし、Twitterなども現在は匿名でやっているのみなので、リアルと繋がりはない。とたんに世間から隔離されていくような感覚に陥ってうろたえたけれど、よくよく「なにがなんでも連絡をとりたい人」にフォーカスしたら、それほどはいないよなって思って、そのひとたちの連絡先を知る手段が見つかれば、電話帳は諦めようという境地に達した。

なんか人生出直そう、って心境になった。

もしもばったり会うことができて、携帯壊れたのって伝える機会があればありがたいけれど、不可能なひともいる。でもそういうひとってそもそも連絡とらないしな…いや、もうきっとそこまでだったんだと、潔く諦めることを決めた。

むしろ、たかが電話ひとつにふりまわされている状況にはっとし、いや、もう(文鎮化するくらいなら)スマートフォンいらねえよって投げやりにもなったし、今日電話が壊れているとしても、このさき新しく誰とも出会えないわけでも話せないわけでもないだろう、そんなの電話の有無とはまったくべつのところで生まれることじゃないか、と、謎のポジティブを発揮しているうちに、スマートフォンが使えない状況に慣れていた。

スマートフォンが壊れると、ほんとうにスマートフォンはもはやわたし自身だな、と感じる。どういう人生を歩んでいるか、この世の中でどういうかたちを為しているのか、そしてそのかたちをどう世の中に預けているのかはっきりとわかる。ふだんから、スマートフォンはわたしに添うように、機能の幅を狭めていて、もしかしたらスマートフォンとしての機能を100%発揮できないわたしの元でストレスを溜めた結果、よく不具合を起こすのではとすら疑った。

考え抜いたあげく、なんとか連絡がつく手段とネットワークに心当たりができたので、あとは問題のチケットである。これに関してはアプリ元に問い合わせたら、代替機からログインしてから連絡をくれ、と言われたのでチケットが大丈夫なことはほぼ確定し、もう初期化してもかまわなくなり、Xperiaコンパニオンから修復するか迷ったものの、これ以上なにか起きたら困るのでおとなしくショップに持って行った。

代替機を借してもらい、LINEをインストールし、ログインするといつもどおりの友だちリストが画面に表示され、未読のメッセージは読めた。電話番号を変えなければ旧端末で引き継ぎ設定をしていなくても大丈夫だと知らなかった。電話帳も、クラウドの同期をしてみたらなにごともなく元に戻った。

安心すると同時に、どこか拍子抜けしたようなじぶんを感じ、もしかしたらわたし、なにもかもを手放したかったのかなと思った。

手放したい、と思うことのなかに誰かの連絡先が含まれることがものすごく失礼な話だととられるかもしれないけれど、手放したいのは誰かや誰かの連絡先そのものではけしてなく、わたし自身だ。わたし自身の過ぎたもの、イメージ、抱えてしまった不要なもの。

まぎれもなくこれまでの積み重ねと、そのときどきまわりにいてくれたひとのやさしさがあったからここまで生きることができている自覚はあるけれど、わたしはつねに今が好きだ。じぶんのことを、人間向いてね〜と常々辟易したりがっかりしたりしても、昨日知らなかったものを今日知ることや、1時間前にはなかったことが5秒後に起きて、もうそのまえのわたしには絶対戻れずに変質している、という生き物的感覚はわりと気に入っていることのひとつである。

むかしは、変わることが怖かったし、変えることも好きじゃなかった。今も、環境の変化には弱いし、頑固だし、内面の執着や情によく引きずられる。だけど、ひとは変わっていいんだと思うようになった。いつのまにか、とか、知らないうちに、じゃなくて、もっと無鉄砲に野蛮に、軽率に。そんなに怖いことではないのかも、と思う。

あまりにも一貫性がなくなるのはどうよ、いや、やばいだろって場面も往々にしてあるので、そのへんは改悪にならないようにちゃんとするとして!

 

LINEをインストールしなおしたことで、なにか相手側に表示が出たりしたからなのか偶然なのかはわからないけれど、久しぶりの連絡をくれたひとがいた。そして実現したら楽しそうなことがひとつ増えた。そうかあと思った。それは、なんだかすごく、からだの奥底から湧き出たような、そうかあ、だった。

 

 

 

 

 

君去りし平成のおわり。

ゆるやかに、だけど確実に変わっていくものがあることにずっと気がつきながら、見ないふりをしていた。そういうふりをしているうちにそれが現実なのだと思い込んで、いつのまにかそれは永続的とすら思える現実になった。だから突如として途絶えることに混乱してひどく動揺する。ぜったいにちがう、そんなものはない、と知っていたはずなのに、いつもその錯覚と冷や水をかぶるような目覚めとをくりかえしてばかりいる。

わたしのジャニーズの原点は正確に言えば光一くんからはじまっているけれど、今井翼くんであり、怪談トリオです。あの黄金期です。だからといって現在担当しているわけでもないので、こういうことがあったときに部外者があまり書くべきではないのだろうと思いつつ、あまりにさみしくてブログを開きました。

小学生のころ、決まりごとのようにおおよそみんながジャニーズを好きな時期があって、わたしもそうだった。あのときは途中で離れてしまったものの、いい大人になってから重々しさを携えたキモオタになって沼に足を踏み入れたジャニーズ界隈。もういなくなってしまった子もたくさんいたし、落ちた先は知らない子ばかりだったけれど、タッキーも翼くんも、すばるくんも、そして斗真や山P、風間くん…みんなみんな変わらずそこにいた。

そのころ、まわりが結婚して出産して家庭を築いていくなかで、新しい仕事をはじめて今も続けている。持病を抱えたこともあって出産がほぼ望めないので、そんなの申し訳ないし結婚もやっぱり微妙だよなあと人生の選択からそれらを外しかけているわたしは、このさきなんとかひとりで生きていけるようにしっかりがんばらないと、と思っていた。変わらずにそこにいた彼らは、ずっと最前線を走っていて、同世代のわたしにとって希望の光、というか、「ああみんなまだトップスピードで走ってる、わたしもまだまだ終わりじゃない、ぜんぜん走れる」と勝手に同志感を抱き、励まされ、勇気づけられていた。

仕事の種類も環境も大きさもまったく違うけれど、仕事に楽しさやつらさを感じる行為じたいはきっとおなじくある。程度のちがいは天地ほどあるとして。悩んで試行錯誤してどうしていいかわからなくなって行って戻って突破して、だけどまた新しい局面で振り出してくりかえし…そうやって少しずつ前に進む。それぞれの戦いがある。見えているものや知っていることは一部のごくわずかでしかないので、そのごくわずかの部分から穴をのぞくようにして、そうところもたぶんあるよなって想像している。画面に映らないところでの、彼らにしか知りえないプライベートな人生まで消費される過酷さはわたしにはわからないし、アイドルである彼らを求めれば求めるほど、人生の一般的なイベント(この時代においてそんな指標があるのかは疑問だけれど)を放り出させてしまうことの重大さや、大勢をしあわせにする仕事の偉大さを鑑みると、おなじと言い切るにはおそれ多いけれど、それでも伝わってくるときがある。みんないつか終わる人生の旅を、幾山河越え続けているひとりなのだということがくっきりと浮かんでくるときがたしかにある。

KAT-TUNの「薫」のMVを観たときに、自分の叶わなかった夢や、幼いころに描いていたなりたかった職業のことを想った。むかし想像していたじぶんと、今のじぶんはまったくちがうところに立っていて、頭の片隅にかけらすらなかった職に就いている。それって、アイドルのみんなも実はそうで、彼らはキラキラした世界で憧れを集めつづける仕事をしているけれど、ちいさいころの夢が叶っていないってこともあるんだよな、と感じてはっとした。芸能人はなりたくてなれるものでもないし、だからこそ夢見るひとってたくさんいる。そんな世界で活躍して輝いている彼らのことをなんとなく「全能者」や「成功者」として見てしまうところがある。だけど、その「誰かが夢見ても叶わなかった世界で成功している彼らも夢見たことが叶っていない」かもしれないと考えたとき、ああ、おなじ人間なんだと思った。夢見た場所とちがっても、セーブポイントなんてあるわけないから戻ることもやりなおすこともできずに、今立っている場所で必死に生きることそのものは一緒なのだとまた強さをもらったし、みんなアイドルでいてくれてありがとうって思った。

だからこそ、ずっとそこにあるにちがいないと錯覚すら覚えるほど走り続けていた同世代の彼らが、ずっとおなじ場所にはいられなくて、なにひとつ例外なくものごとは変わっていくという事実と、かならず訪れる人生の転機を体現しはじめている今、襟を正されているような気持ちにもなるし、わたし自身もやりたいとかこうありたいとかぼんやり考えていたけれど、とくに手をつけないままここまで来てしまったことがらについて、とりかかるなり落とし前つけるなりするべきなんじゃないかとも思った。残り時間は意外にすくない。すばるくんも言っていたね、会見のとき。

みずから決めること、みずから動くこと、外側からやってきた変化を受け止めて、それでも続けること、内側にあるものと闘うために歩速をゆるめること。選択肢はいろいろあって正誤はない。ときに信仰心が通うほどのアイドルでありながら、それぞれのやりかたで、思考で、苦悩しつつも選んでいくそのとほうもない人間らしさを垣間見るとき、わたしはまた背中をはげしく押され、駆け出したい気持ちが加速する(そういう気分のとき脳内で流れるBGMはジャニーズではなくフジファブリック「夜明けのBEAT」だ。どうでもいい)。

それでもさみしい。やっぱり。出会いがしらのストレート的衝撃っていうより、ボディーブローみたいにじんわりくる。じくじく効いてくる。ああ、でもみんながみんな選んだ先がしあわせであってほしい。いや、お前誰だよって思う。だけどなんだか、そういうふうに思わずにはいられない。

部屋に貼っていた、イエローをバックに並んでいる怪談トリオのポスターの顔、今でも覚えています。家族に「誰かボーダーの服着てなかった?」って言われて、ああ、そうだったなって。たくさんあったけれど、あれだけはなぜかずっと鮮明に。

 

#だけどI need you.

もう1回観る機会があるので、そうしたらまた印象が変わるかもしれないし、すべて終わってからにしようと思っていたけれど、東京ドーム公演初見で感じたことを忘れないうちにまとめておきたい。

Kis-My-Ft2 LIVE TOUR 2018 Yummy!! you&me」のはなしである。

ネタバレ絶対回避派のためこの1ヶ月半、キスマイ関連の検索はもちろん、情報が目に入りそうなところには近づかなかったのでなにが行われているのかも、その評判もまったく知らなかった。にもかかわらず開演1時間前に寄ったカフェで、「24ゲート」とツイッターで検索してある曲のネタバレに被弾したバカはわたしです。じぶんはネタバレ回避派のくせに、まだ絶賛公演中のライブのネタバレを落としていく、わたしはそういう勝手なやつなので、見たくないひとは目次よりも下は非スクロール推奨。あと、今回のツアーを手放しで褒めたいひとを怒らせるかもしれないのでそのあたりも自己責任でお願いします。

 

 

Kis-My-Ft2 LIVE TOUR 2018 Yummy!! you&meについて

2017年を踏まえて、開演までのこと

 以前ここでも書いたけれど、2017年のツアーに関してわたしは落胆を隠せなかった。

 

rubyk.hatenablog.com

 このときに勢いで書いた気持ちのすべてを今は実感を伴って思い出すことがむずかしいし、DVDを観てやっぱり修正入ったんだなと知ったり、いろいろと考えなおしたりもしたけれど、結局あの時点で感じて書いたことがいちばん正直な感想なのだと思う。それを踏まえて、わたしは1年ぶりにまたがっかりするかもしれないのが怖かった。だけど「キスマイは2年ごとにいいライブするから!」「それな!」という謎のポジティブ(かもわからない)精神を玉森担と言い聞かせあったのはきっと期待以外なにものでもなかった。「WORLD」から「I SCREAM」への変化で感じた、いいアルバムを作りそれを投影すればおのずといいライブになるという方程式は「MUSIC COLOSSEUM」で崩れ去り、もうなにがどうなるかわからないから「Yummy!!」がどう転ぶかなんて未知数だと思っていた。それは個人的な好みの話ではけしてない。そういうのを脇に置いて考えると、キスマイはいつもいいアルバムを作っている(「WORLD」に関してはわたしの理解の範疇を超えているので何も言えない)。

そもそも「見えたらなんでもいい」ってなれないじぶんが悪いんだろうし、むしろ会える機会があること、この変化著しい時代に於いて"変わらずに存在がそこにある"ことの余りある尊さを享受しろ!と何度も感じたし、それを思い起こすできごとが今日までに幾度もあった。でも、キスマイについて重々しく考えだすととたんにダークサイドに堕ちて面倒な思考と感情の狭間を漂うことになるので、もっと楽なところから眺めたろ、そうしたら気楽だろうし、どうしても許せなかったある案件もどうでもよくなるかもしれないし、良し悪し関係なく楽しいと思えるかもしれないと考えた結果、わたしは彼らをはっきり担当だと定義することをやめた。フラットに眺めることで彼らの良さをもう一度見出だしたかったし「やっぱりキスマイじゃなきゃだめだわ!!」ってなりたかったし、もっと言えば「見えたらなんでもいい!!」ってなりたくてしょうがなかった。こんなファン藤ヶ谷くんもいらんやろ、って考えるたびに「つら…」ってなるから「なんでも受け止めるよ♥」って思いたかった。

だけど個人的な意見として「見えたらそれでいい」は罠だとも思う。それは彼らへの成長期待度を放棄することでもあり、最終的に「本人がいればなんでもいい」という地点に落下することになる可能性を孕んでいる。極論、出てきて「かえるの合唱 」輪唱してても可愛いからOKみたいな。極論ね!!

それは違うだろう、と。きっとこれはじぶんの彼らを追いかけるうえでのスタンスでしかないから、このまま行けばいつかわたしは手放すしかないだろうと思えてならないけれど、でもずっとそれは「今」じゃなかった。

ああ、また重々しく書いちゃってすごく自己嫌悪。楽しければなんでもいいー☆でいいのに。だけど、感覚的にはたぶんそれに近い状態で当日を迎えたことは確かだ。

開演してから感じたいろいろ

セットリストと内容のこと

エゴサの鬼

キスマイには一部エゴサーチャーがいるだろうと思っていたし、実際「MUSIC COLOSSEUM」の変更点はそこから来てる疑惑もあったけれど、エゴサの鬼すぎると感じたポイントがいくつかあった。カフェでネタバレみた曲が「Tell me why」で、へえ、ひさびさにやるのね、くらいにしか思っていなかったけれど、そんなん、まさか1曲目とは思わんやん?あのOPからスタンドマイクで「oh,Baby…」って来たから「why?」ってなった。この曲は福袋でもランクインしていたから、人気曲だし(とくにデビュー前後のファンの方に多いのかなとも思う)そのへん考慮したのかなって。斬新すぎてわけがわからないってなったけれど、落ち着いて今考えると、物語のはじまりとしての1曲目が、キスマイの微妙なこころの揺れだとしたら…担降りが多いらしいという現状を知っているとしたら…いや考えすぎか。

2曲目は「Crystal sky」ってそれ1万年と2千年前から聴きたかったやつ~~~(古い)

終盤の「Let it BURN!」もそうだけれど、本家がちっとも披露しないじゃないですか!案件だったカップリング曲やきっと多くが聴きたかったであろう「今はまだ遠く 果てしない夢も」も。その点に於いて最たるものは「I Scream Night」かもしれない。この曲は人気もありすぎるしわたし自身も愛しすぎているし、聴きたいけれど二度とないくらいの覚悟を決めなければいけないほど、キスマイの2016年夏を象徴する1曲だった。もしも可能性があるとしたら西武ドームのWアンコールくらいでは、と思っていたのに序盤でさくっと使ってくるとは…「ちがう……」感すごかったけれど、でもすばらしい楽曲にたいして逆にそんな呪縛をかけてしまうことほど悲しいことはないので、さくっとその呪縛もしくは魔法を解いてくれてよかったのかもしれない。もうめっちゃおたくのツイッターみてない?ってなったし、ファンの声を掬おうという気持ちがこういう選曲になったのかなと。実際はエゴサしてないかもしれないし、ファンレターかもしれないし、そういうのまったく関係なく選んだかもしれないけれど。ただ、このやり方は劇薬だから劇的な効果はあっても効き目は短いとも思う。

・エモエモのエモポイント

「Break the chain」から「FREEZE」と「蜃気楼」から「Flamingo」の流れは最高の極みとしか言えない。「Break the chain」では上下に動く舞台装置と、スクリーンに映る鎖と巻き上げ装置が連動している見せ方や「FREEZE」のダンスに合わせたライティングや効果がいいなあと思いながら観ていた。けれどなによりこの2曲にわたしがすきなキスマイのすべてが詰まっていた。つづく「蜃気楼」では何度気絶しそうになったかわからない。専門外なので間違っていたら申し訳ないけれど、あれはコンテンポラリーの要素もあるのかな。おとなの表現力で魅せられるようになったねえ。全体が眺められる席ではなかったので、正直藤ヶ谷くんしか観てない。指先まで神経の行き届いた藤ヶ谷くんのダンスにはもう数えきれないほど見惚れているけれど、これは、なんていうか、彼の一挙手一投足に至るまでそれよりももうひとつうえのなにか。最高密度でせまってくるそれが、わたしの胸のなかでどこか宙に浮くように存在していたものと結びついていくようなその感覚を、極限まで解体してシンプルにひとことで書くとしたら「一生すき」。来世で黒レースになれるくらいにはがんばって今生を生きようと思った(謎)

あと、玉森くんの「Clap-A-Holics」は凄まじいほどの高クオリティ件ハイセンス演出でやっぱり玉ちゃんこわい。いや玉森さんこわいです。となったのと、序盤の足掛かり、そしてラストに向かう扉としての役割とその到達点である特効使用曲という重要なポイントに配置された2017年のシングル3曲はやはり良作だったと再認識した。

・混乱ととまどいポイント

「We are キスマイ」があるのにコーリングもやるのね、っていうのは思ったのだけれど、そんなことなど吹き飛ぶほど混乱したのが藤北の「REAL ME」マイノリティの自覚はある。だけど観ていてつらい。曲の持つテーマや意図は理解しているつもりだし、この表現もふだんの藤北とそんな彼らだからこそ発揮できる強さを鑑みてもとまどいしかなかった。誤解を恐れず言えば、同人誌的よりも文学的な表現を選ぶふたりを観たかったというのがいちばん近い。それと、アルバムの特典の中で誰も対処しきれていないんだなと感じた「藤北」を対処しきれないまま超次元に飛躍させてしまった印象がぬぐえない。

藤北がドームのセンステで熱を帯びた視線を一身に集め、錯乱めいた悲鳴と産み出すほど宗教じみたシンメであることに異論はないけれど、あのふたりの繋がりはもっと深くの、おたくがおいそれと、もしかしたらメンバーさえも触れることができない地点で目に見えないかたちで存在しているとわたしは思っている。でも京セラでもう一度観てちゃんと落とし込みたい。

ブレーキポイントはなくはないにしても、意志のあるセトリだと感じた。「Yummy!!」の多面性に過去の楽曲も交えて体現したキスマイの歴史を、おそらく彼らが今一番伝えたい気持ちを内包しているのであろう「今はまだ遠く 果てしない夢も」と「HOME」に終着させたかったのだとわたしは解釈した。1年ごとに感じた「うわめっちゃ気持ち置いてかれるわ」もなく、2時間45分、パワーもあり、すっきりまとまってもいて楽しかった。というか今回、ポップさが前面に出てきそうなツアーになるかと予想していたのに、なんでペンラ白のみなんだろうって疑問だったけど最後2曲のための白だったのね。終わってからTwitterで呼び掛けられてるの見て、なるほどと思った。

 なにかと絆推しをするキスマイについて

所謂飯島班だったキスマイは、そうでなくなったとき立ち位置があやふやになったのであろう状況をわたしは想像していた。その結果メンバーから「キスマイは7人」というワードが頻出するようになったのではないかと考えている。たしかに今、キスマイは7人だ。ジュニア時代から今まで7人で色々なことを乗り越えてきたのだろうし、本人たちでなければわからない、知り得ないこともたくさんある。にしても、わたしがすきになった時点でのキスマイは、少なくともこんなふうに絆売りするグループではなかった。個々の仲の良さはべつとして、各々がインデペンデンスでありながらおなじグループとして存在して結果的に強みを発揮しているけれどそれはウェットではなくドライな雰囲気を纏っており、それが魅力的だった。ジャニーズのファンになるというハードルが比較的低いところも含めて、テン年代の新しいアイドル像たりえる、とわたしは思っていた。ファンに対してもライブ終盤になってもウェットなことはほぼ言わず「また遊ぼうね」ってかんじで颯爽と去っていくし、「一心同体」みたいな重たさとは無縁だった。(そういえば、デビュー前にツアーが決まったとき藤ヶ谷くんが「みんな!一緒に全国回ろうね!」って多ステ前提みたいなこと言ったとかいうエピソードがなんか笑えてきてすきなんだけど、それもそういう重たさとは全然違う)

どれがすきかはあっても、どれが正解かはない。グループの魅力というのはそれぞれで、どういう雰囲気を持っているか、グループとしての繋がりがどういう形で、それをどういう名で表すのかはそれぞれだしなんでもいい。だけどキスマイはメンバーが大事であることはもちろん前提にあるとしても、「友達」とか「家族」、「大好きな人たち」「絆」のような言葉で表すよりもっとビジネスライクだったことは確かなのだ。もちろん最初に書いた事態や、昨今の事務所内の色々なできごとが招いた心境の変化もあるかもしれない。上記の言葉を彼らが直接口にしたわけではなくても、このライブ内容にどうしてもそういうものが浮かび上がって見えてしまうのはさすがに斜にかまえすぎかなとも思う。でもそもそも7人で普段から仲のいいっけ?メイキングでもいつもぜんぜんそんな風に思わないけど?とはいえキスマイに関してはわちゃわちゃ仲良くしてほしいなんてあんまり思ったことないけど…いや、そりゃ仲悪いよりはいいけど…「友+情を、くっつけて」でスクリーンに流れた大量の写真を見たとき、気まずさという味があるならこういう味だろうな、とでも言いたくなるような、なんともいえないもやもやが口内に広がった。

経過した時間が層になって今の彼らの中に横たわっていることはそれだけでキスマイの物語ではある。だけどなんだか不安定なものに寄りかかっているようにも見えてざわざわした。ジャニーズ事務所のアイドルって、アイドルでありながら少なからず表現者としての一面も持っていると思う。もしも表現者として今、「仲良きことは美しき哉」をわざわざ表現することを選んだとしたのならそれは、そういうものは自ずとにじみ出るものであってわざわざ看板を掲げることでもないから、どうなんだろうなってちょっと気になってはいる。

去年のツアーで精神的な距離を置き去りにしたまま物理的な距離を詰めたがる発言を繰り返していた彼らに疲弊したことを思えば、選曲の面も含めて少しでもファンの気持ちに寄り添おうとしたキスマイは変わったなと感じる。その発露が焦燥でも不安でもだとしても。

だから最後のあいさつになにも感じなかったわけではない。7者7様、わたしなりにキスマイを応援してきた6年を思うと、揺さぶられるあいさつだった。なんなら泣きそうになって「ああ、わたしきっとまたキスマイがすきというところに着地するんだな」と予感した。もうこれは理屈ではなくそうなるようにしかならないなにか。こんなに紆余曲折しているのにそこにのみ帰結する理由を切実にわかりたい。藤ヶ谷くんの存在、これは絶対に一番だけど。

 その他雑感

キスマイのドームライブのアリーナはじめてはいったんだけど、いつもあんな感じなのでしょうか。銀テとるのに椅子に乗る、超席移動、超引っ張り合い…はっきり言って無法地帯すぎてびっくりした。わたしは銀テは落ちてくれば記念に一本持ち帰ろうかなくらいなので横からもぎとられてもどうでもいいんだけど視界思い切りさえぎられると…メンバー見たいんだけど…正直、4月のKAT-TUNのライブで「たくさん落ちてきたのでどうぞ~」と横から銀テまわってきたのとはすごい差だなと。そういうブロックもあったかもしれないけど。

まとめ

 色々書いてしまったけれど、いいところはたくさんたくさんあったし「ただ楽しむ」という面から語ればなにも言うことはない。このさきキスマイに使いたいエネルギーもちゃんとあるし、理由を箇条書きにできなくてもやっぱりこのひとたちはじぶんにとってとくべつな存在なんだということも実感した。楽しくて日常の嫌なことも一瞬は忘れられたしまた日常をがんばることのできる糧になった。

前に嵐の国立のライブDVDを観たとき、キスマイをこの位置に押し上げたいなと思ったし、今でも思っている。それを念頭に置くと去年のツアーの記事にも書いた「毎年成長を積み上げたうえでスキルをプラスする」というグループにはまだ至っていないのだなということを感じてしまう。7年目を迎え、若さと勢いだけではもう通用しない時期に入ったキスマイに足りないものがなんなのか、ひとつ推察はしている。もちろんそのひとつだけでどうにかなるものではないにしても、きっとさまざまな活路を見出だす手段のひとつになりえるのではないかと思う。ここでこんなおたくの勝手な戯れ言を書いたところで意味もないけれど、これが今ツアーにおけるわたしの所感である。

さいごに、藤ヶ谷くんお誕生日おめでとうございます。今年も「見守るよ♥」ってなれないめんどくさいおたくでごめん。こんなふうに言い散らかしたりしながらも、わたしのこたえはだいたいひとつしかない。今はまだ。