舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

さよなら、あなた不在のかつてのすばらしき世界。

この1ヶ月のことを、書かなければ整理がつかないとは思いつつ、書いたところで整理がきれいにできるとも思えないけれど、どうしようもなくて破裂してしにそうなので書く。

 
 
4月3日にKAT-TUNの10Ks!のナゴヤドームに入ったことはすでに書いた。
この直後に29日の東京ドームのチケットを探していて、運良く手に入れることができた。
しごとの性質上、GWなんていうものはないけれど、たまたま金曜に休むことの多い自分は祝日ながらこの日もシフトがやすみになっていて、これは行かなければ後悔するだろうと、思っていた。
 
すきなバンドが解散するとき、いつもさいごのライブを観ずに、後悔ばかりしてきた。
とくにミッシェルガンエレファントの幕張のラストライブに行かなかったことは、人生の中でいちばん悔いているし、このさきも一生後悔しつづけるだろうと思う。
そのときそのときに、今となっては言い訳めいている気もするけれど、それなりに明確な理由がある。若すぎて遠征なんてできなかったとか、すこし趣味が変わってよそ見していたとか、人生の節目と重なっていたとか。
わたしなりにその瞬間にベストな選択肢でありながら、結果的にいつもふりかえっては泣いて揺れ惑っている。
 
もちろんKAT-TUNは解散するわけじゃない。
けれど、ある種、これまで経験してきた類の後悔にあとからおそわれてしまうであろう予感だけはひしひしと感じていた。
解散するかもしれないという悲壮感ではまったくない。そもそも彼らもそんなつもりは毛頭ないだろうし、じぶんもそれを信じきっている。
ただただ、衝撃だった。それくらいのライブだった。このさきを生きていくためにも、もういちど、すべての瞬間を焼きつけなければ、ぜったいに後悔する、とあの日終わった瞬間にかんがえた。
 
学生のころにはじめてロックンロールを知ったときの、これまでの人生が振り切れるくらいに血肉躍る感覚に陥って以来、胸ぐらつかまれるものなんてそうそうねえよ、と思っていた。
すきなものはたくさんある。ふえたりへったりしては、慈しんできたものはいろいろとある。
だけど、もう音楽からそんな衝撃を受けることはないだろう、と、あれは青いからこその衝動なのだろうと思っていた。
でも、それに似た、あるいはそれと同等のものが、ナゴヤドームにはあった。
 
他担なのに、と思った。
他担のくせにアニバーサリーライブにはいって、申し訳ないはなしだし、だけれどあんなにすごいものを見せつけられたからには黙っていられなくて、感傷を極力避けた感想を書いたけれど、変なテンションの記事になってしまったのは、かつてもう二度と味わえないだろうと思っていた、むせかえるような衝動を、まさかアイドルに叩きつけられるとはまったく予想外で、動揺したからだ。
他担なのに、ここまでじぶんが与えられてしまっていいのだろうかと思った。
ジャニヲタ、とひとくちに言うけれど、そもそもわたしはたかだか4年くらいの永遠の新規だし、今まで入った現場もキスマイ(自担)とJUMP、あとはドリボ+α(舞台挨拶とか)という、ものすごくミニマルなヲタ活動で、如何せん土日が基本的にはやすめないせいも手伝って、事務所担とも、DDとも言いがたいような状況で他のGはテレビやDVDでたのしみましょう、というタイプの不埒なヲタだ。
歌番組やバラエティーでみたり、CDを聴いたりするところから、おもしろいとかかわいいとかすてきとか、このひとたちすき!みたいなちょっと特別な感情がわいて、さらに一歩踏み込みたいと思って現場に行くような、フットワークの重い奴がわたしだ。
KAT-TUNの場合は、ただかわいいとかじゃなくて、このひとたちの音楽かっこいいな……(ナゴヤドームの記事でもひとり楽曲大賞の記事でも書いたので割愛)っていう前提があって赴いているから、こんなふうになるのも想像できたことなのに、あの日までわたしはそうとう無防備にいて、そうしてそんな無防備でいるから、案の定傷だらけになった。
 
 
3日にドームから帰って以来、手持ちのDVDや番組を録画したものや、CDやウォークマンを絶え間なく再生しつづけた。まだ持っていなかったDVD買ったり。
そうでないと落ち着いていられないというくらいに。
行く前もたのしみさでそうとう観ていたはずだし、もうずっとなやんでいた職場での問題につぶれそうになっていたことを忘れるくらいには、KAT-TUNを観てたのしんでいたのに、それを凌駕するほどの量を摂取しつづけた。口いっぱいにふくんでも、吐き気など催さなかった。飲み込んでも飲み込んでもわたしは飢餓状態に陥っては泣いていた。
文字にすると単にどはまりしたな、というかんじだけれど、体感としてはそんなものではなくて、我ながら宗教じみていたと思う。
わけがわからなかった。ただ、なにひとつ逃さないために、そんな気持ちだったのかもしれない。
 
4月29日の朝、新幹線に乗っていた。
おろしてきたパンプスのサイズがあわなくてあしがそうそうに痛くなって泣きそうだった。名古屋で買い損ねたグッズをかなり買い足すつもりでお金を持ってきたのに、パンプスを買い直すのは無能のきわみだと、ひどくむなしくなる。
でもそうじゃなくても泣きそうだった。
自分でも意味がわからなかった。
風のつよさに充てられただけで泣きそうになるなんて、人生の中でもそんなにあることじゃない。
東京にくると、池袋に行ってメイトの本店とかリジェショについでに行ったりするのにまるでそんな気が起きないことにもおどろいた。
でも秋葉原には行った()
トリオに行ってUDXでご飯食べただけですしおすし。
 
なんかもう浮き足立っていて、煙草の量だけが増えていた。どうしよう、どうしようどうしたらいいってばかり思っていた気がする。どうしようもないのに。
そうだ、キスマイのときとかも思ったけれど、ジャニヲタのみなさんってたぶんわりとはやくから会場周辺にいると思われるのに、開演5分くらい前に入場口が劇的に並んでる光景がなんかおもしろくてすき。
わたしも遠征のときはわりかし早くに会場にいるのに、いつも入場はぎりぎりだ。
今回もお茶の時間が長すぎて、入場はぎりぎりとなった。パンプス痛いまま走るはめに……
 
 
そんな入場だったから、わたし意外と大丈夫かもって思った。
ちゃんと観てられるかもって、どさくさに紛れて激的にお金ないのに29日に間に合わせるように買ってしまったペンタックスの双眼鏡をあわせながら、思った(防振欲しかった…)。
だけど、6時過ぎに、水柱があがった瞬間に、とんでもなく動揺した。
わたしにとって、ライブに水演出というのは、ジャニヲタになってものすごくカルチャーショックを受けたひとつだ。
何度も言うが、これまではライブハウスだ。汗は飛び交うことがあっても水はない。野外なら雨はありうる。けれど雨は、アンプ直結のギターで感電しない?などという知識としてただしいかもわからない、なぞの心配とともにいつもあった。
雨にぬれながら踊るのはたのしい。けれどアンプは大丈夫なのか、エフェクターはしなないのか?それがわたしにとっての、ライブにおける水だった。
ジャニーズはドームで野外で劇場で、水をふんだんに使って舞台をいろどる。
KAT-TUNのライブで使われているのをDVDで観ていたわたしは、名古屋で「今回は水ないのか……」とすこし残念に思っていたのだ。
水演出というものを、この目で見てみたい気がしていた。
だから、水が幕のように降りて3人が現れたとき、とんでもないことが起こっている気がして、また「GOLD」で泣いていた。
むしろ、そこからずっと泣いていた。泣きながら、わたしをゆるしてほしいと思った。だれにゆるしを乞っているのかもわからなかったけれど、とにかくだれかゆるしてほしいと思っていた。
もちろんむかしのことはしらないし、想い出もない。
泣く資格なんてないと思ったけどとめられなかった。ごめんなさい。
だけどたとえば「THE D-MOTION」はやっぱりダンスマシーンになりたい人生だったし、このために買ったと言っても過言ではないくらい「MOON」は野鳥の会していたし、「In fact」はレーザーがスタンドのうしろまで届いてくらくらしたし、MCやボイスクロックの収録は可愛かったし、全編のなかでおどったりたのしんだりうたったりもわらったりもたくさんしていた。
なんだろう、きっと徹頭徹尾エモーショナルなんだと思う。エモーショナルすぎて、わたしの感情を振り切ってくるのがKAT-TUNだということはよくわかった。
水が加わった「UNLOCK」の演出は一生忘れることはないと思う。
三人とも神様が造った芸術だとか、きっとこうやって、ありつづけることのほうがすばらしくて尊くて、ずっとたいせつなんだ、とかそんなことが脳裏をよぎってまた泣いた。
あいかわらず偽りなくまっすぐに届いてくる上田くんのことば、オーラスには泣いちゃうんじゃないかなあと思った、なんだろう、こう、納得していると言いつつまだ宙に浮いているような中丸くんのことば、わたしなんてごくかんたんに「職場きらい」とか言えちゃうのに、それが言えない、言わずにいたい、言いたくないそんな場所でずっと長い年月闘ってきた亀梨くんのことばは、こんなすこしの期間でもジャニーズというものを知って、10年のうちのほんのすこしだけだけれど、KAT-TUNをすきと思えたじぶんになれてよかった、と思えるほどのものだった。
ジャニーズとかだっさ、とか若気の至りで言っていてほんとうに申し訳ない。出会えてよかった。ほんとうに。
わたしみたいな存在の人間をライブに迎え入れてくれて、こんな気持ちを与えてくれた3人と、44999人と54999人のハイフンの皆様に感謝したい。
 
わたしは次の日からもうしごとだったので、バスで帰ってしごとして、5月1日。
6時ごろに職場で、はじまるなあと、ちょっと涙ぐんだのはないしょ。がんばれって、思いながらわたしもがんばろう、と。前日のレポを読んでいたので「疲れてたもんな、寝とけ」みたいなボイスクロックがほしかったなあなんて思っていた。「はたらく女子むけ」みたいななかまるくんのボイスにはついぞ立ち会えなかった…つ、通販ないかな。ないよね。
しごとがおわって、レポがあがってくるのを待って、中丸くんが号泣していた、というのを見て、なんだか、やっぱり、と思った。
これはわたしの憶測でしかないし、勝手なはなしなのは承知だけれど、入った公演でのことばや、夜会に出演したときのかんじやさいきんのその他もろもろもぜんぶひっくるめてなんとなく、今回のことで彼らは事務所から「解散」という選択肢を提示されたんじゃないか、という疑問がどうしてもぬぐえなくなった。
そして、それにぜったいに従わず、抗ってくれているのではないかと、だからこその「いっしょに戦ってください」なのかな、とそんなふうに思ってとまらなくなった。
彼らのようなひとたちが傷ついて、そんなふうに泣かなければいけない世界など、あっていいはずがない、と思った。
彼らがしあわせに笑える未来のために、わたしになにができるのだろう、と。3日と29日にあの場所に立ち会った人間として「いっしょに戦う」ことを担えることはなんなのだろう、と考えた。
応援しているひとが目に見えてたくさんいることを示せるかたちはなんなのだろうと思い至った結果、ファンクラブにはいろうと思った。
つぎの作品がかたちになって世に出るときにも、それを示せる機会はあるのだけれど、まずそのまえに、それがいちばんはやく、わたしなりに事務所に見せれるかな、と思ったからだ。
もちろん、だからといって、「ハイフンです」なんてすぐにずうずうしく名乗る資格はないとは思っているし、藤ヶ谷くんのことも、1万字インタビューを読んでかわったなあとか、まだ情けないことも言っているなあと思いつつ、これからの成長を見守ってい
きたい自担ではあるので、ほんとうに申し訳ないはなしでもあるけれど、KAT-TUNの3人が個々にパワーアップしていくのを応援しながら、つぎにわたしたちのまえに立ってくれるときには、「ハイフンの仲間入りをさせてください」って言えるようにずっと目をはなさずに追いかけていこうと思っている。
 
 
 
ここからは余談。
至極まっとうな事実として、アイドルなり二次元なり、なにかに夢中になるとき、それが多ければ多いほど金銭的ななやみが発生するものだ。
お金は無限ではないし、これはとうてい避けられない事態であるとともに、わたしたちが「あなたにかけています」という意志表示をするにはやはり、お金を落とすということ以外に選択肢がないのが純然たる事実であったりもする。悲しいかな。
まあかんたんに言えばすきなものが増えれば他ジャンルに使っていたお金を必然的にまわさなければ生きていけないということだ。
「2次元こそうらぎらない♥」などとのたまわって多方面に手を伸ばし、果てはあらゆる同人活動にまで及んだわたしの人生の最大勢力「2次元」を、一旦完結させるという暴挙をもたらしたかつんちゃんすごい。
まあここ数年好きなキャラも黄瀬くんから更新なかったうえに黒バスほんとうにおわっちゃったし、艦これは鬼畜イベント展開してモチベがん下げしてきたし、もういいや、とりあえずジャニヲタ一本で生きようかな、と思わせたかつんちゃんほんとすげーと他人事のようにじぶんの変化を眺めている。
とはいえ、しごと柄、コミックは読むと思うし、原作のあるアニメに関しての情報は必要なのでそうすぐにはかわらないんだろうけれど、「僕なりの恋」のワンフレーズが脳裏をよぎらないこともないくらいには、じぶんでもおどろいている。
 正直KAT-TUNってうたっておどってるときや、静止画だと2次元みたいなものだし…でもしゃべりだしたりわちゃわちゃしだすととたんに予測不可能なかわいいこたちになるんだ!
はい、3次元最高か。
はあ〜〜〜〜なかまるくんに「会社に電話しといてやるから寝とけ」って言われたい人生だった。
 
通販ないかな!!!!!!