舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

いのちのつかいかたー椎名林檎 ひょっとしてレコ発2018ー

椎名林檎さんのライブに行くといつも、贅沢な時間を過ごしたな、と思う。たった2時間ばかりのなかに五感を震わすたくさんのものが詰まっている。それだけで、大袈裟でもなんでもなく生きているという価値をわたしは感じることができる。

椎名林檎 ひょっとしてレコ発2018 改め 椎名林檎と彼奴等の居る真空地帯」

を名古屋センチュリーホールで観た。今ツアーのロゴがすごくポップでチープでキュートだったので公式も言っていたとおり、グッズのテイストもそうなるかなともれなく想像していたのに、虚空だの亜空間だの涅槃だの…何故だ?って疑問がとけた。ツアータイトル、改まっていたのですね。ネタバレ回避派なので知らなかった。そんな特殊開発グッズ、手旗やタオルなどの定番に加え、今回ついに御朱印帖を購入!前回はあまり神社仏閣めぐりしないからな…と思って見送ったけれど、もし行きたくなったとき「どうせなら林檎さんのグッズを使いたかった!!」って自分に駄々こねだすのが目に見えてるからw実物みたら守り蜘蛛のボタンがとても可愛くて買ったので、ヘアアクセサリに改造しようか考えたりもしている。お財布が許すなら名古屋帯欲しかった…

さて、ここからセットリストに入った曲も書くので、終盤戦とはいえまだツアーは続いておりますゆえ、おなじく回避派の方はお気をつけください。

***

思えば、林檎さんの音楽とともにずっと旅をしてきた。中学生という多感な時期に出会って以来20年弱。人生の半分以上がそれらとともにあって、受けた影響はおそらくはかりしれない。おそらく、と書いてしまうのは、ものすごく影響を受けたのはたしかなのだけれど、なにがとかどこがとかそういうことははっきりとはわからないからだ。林檎さんがリリースを重ねるごとにわたしも歳をとって、むかしの曲の受け止め方が変わったりすることもあるし、すきな曲も変わる。自分の考え方のある部分が、この人の言葉から来ていたのだな、とあとから気がつくこともある。そういうことが膨大すぎてピンポイントではとても表せない。親が、血筋が、土地が、わたし自身のルーツであるように、林檎さんの音楽はきっと心のルーツで、どれだけ好きなものが増えても減っても、帰る場所、拠る場所であり、この20年で構築されてきた価値観や人格形成に根をはっているのだろうと思う。

林檎さんとともにあった人生は、さまざまな出来事、さまざまな感情を巡る旅であると同時に、わたしが今日までのわたしになる旅でもあった。

そんなことを考えてしまうのは、やはりライブがスペースシャトルが打ちあがる映像にあわせてカウントダウン、そして「人生は思い通り」ではじまり、飛行機が雲のうえを飛ぶ映像や、宇宙空間を漂うような映像にあわせて楽曲が繰り広げられ、まさに「旅」を想起させるつくりになっていたからだ。「逆輸入~航空局~」と銘打たれたアルバムを引っ提げてのツアーだったことを考えればそのとおりなのだけれど。セットリストを眺めてみれば、ある女性が女性を生きていく旅なのだと思った。なんというか、この並びがとても生々しい。セットリストは以下。

【セットリスト】

  1. 人生は思い通り
  2. おいしい季節
  3. 色恋沙汰
  4. ギブス
  5. 意識
  6. JL005便で
  7. 弁解ドビュッシー
  8. 少女ロボット
  9. 浴室
  10. 薄ら氷心中
  11. 暗夜の心中立て
  12. 枯葉
  13. 眩暈
  14. おとなの掟
  15. 重金属製の女
  16. 静かなる逆襲
  17. 華麗なる逆襲
  18. 孤独のあかつき
  19. 自由へ道連れ
  20. 人生は夢だらけ

encore

  1. 丸の内サディスティック
  2. NIPPON
  3. 野生の同盟

すさまじい…前回のツアー「椎名林檎と彼奴等がゆく百鬼夜行 2015」(超絶神セトリ)においても、初期のナンバーは取り入れられていた。けれど今回の初期ナンバーは「ギブス」「弁解ドビュッシー」「浴室」と、うまく言えないのだけれど、女性性を意識しすぎるあまりにむちゃくちゃ出ている女性性、みたいな、そういう雰囲気をまとっているような曲が入ったという印象だった。ちょうどセトリの真ん中に据えられた「薄ら氷心中」と「暗夜の心中立て」を境として、OPを除けば前半は恋を生きる不安定な少女のようであり、後半は「逆襲」の名のもとに息を吹き返し、愛と人生を生きる等身大の女性のように感じた。「唄い手冥利」収録のカバー「枯葉」と「眩暈」をのぞけば初期のナンバーはすべて前半に固められていて、後半には東京事変を経たあとのソロ名義の曲が並ぶ。

いやあもう「眩暈」は死ぬほどびっくりした。林檎さんのCDはじめて買ったの「ここでキスして」だったから…生涯生で聴くことはないだろうと思っていたよ!今だったら「座禅エクスタシー」遠征するけどさあ…20年やってきてこんなセトリ組む?わたしは度胆抜かれた…一生ついてく…

林檎さんのむかしの楽曲はもちろん変わらずすきだけれど、今の道しるべになってくれるのはやはり最近の楽曲が多く「おとなの掟」からは気持ちのメーターが振り切れて針がどこかに飛んで行ってしまうような危機感すら覚えた。会場全体の盛り上がりもピークだったと思うけれど「孤独のあかつき」→「自由へ道連れ」の流れはもうわけがかわらないくらいまぶしくて、いとしくて、涙が出てくるのに笑っていて、この会場で揃って手旗を振っているみなさん全員の人生がしあわせだといいなとか(いや、そんな誰かも知らんやつにしあわせ願われても気持ち悪いとは思うんだけど)もうきっと人生が交わることはないだろう林檎さんのことをすきだと言っていたひとのことを思い出して、あのひともどこかの会場でこの景色を観たかな、そうだといいな、とか、脈略なく点在する想いが線になって激しい波のようにつぎつぎと押し寄せてひざから崩れ落ちそうになった。そしてやってくる「人生は夢だらけ」ねえ!もうどうしたらいいの!万感!それ以外言葉がない!そのむかし、もっと排他的で人生に展望もなにもないと思いながら、Zipperとロキノンを片手にMDプレイヤーのイヤホンを耳に突っ込んで赤いコンバースで地面を蹴散らしていたわたしも、今は叶うかもわからない大きな夢ややってみたいちいさなことまで、つぎつぎに出てきて時間足りないどうしようでもぜんぶとっかかりたいって、だけどそれだけで毎日を埋めることはできなくて嫌なことや不安、もう捨ててしまいたいものに押し流されたり忙殺される日もあるよ!それでもあれもこれも心に引っ掛かったものには正直に従順でいたいしぜんぶ味わって生きて死にたいって思いながらハイヒールでしっかり立っているよ!これが人生!わたしの人生!って叫びたかった。いや、叫んでたかもな、胸のうちで。

林檎さんから影響を受けたもの、ありすぎてわからないって書いたけれど、ひとつだけこれだけはそうだと確信していることがある。それはいのちの使い方のようなもの。五感をきちんと機能させるとか、望むままからだごと反応させるとか、持っているものぜんぶ使って生きようとか今を使い切って生きようとか。わたしが持っているものなんてたかがしれているし、たいしたものも持っていないし、立っている場所も平々凡々な日常だけど、わたしにしか持ってないものだってきっとあるはずだし、どんな場所にだって最前線はあるはずだ。

現在それがただしくできているかと言えば、まだぜんぜん至っていない。だけど、その意識ひとつだけは持っていたい。たとえば大きな選択がやってきたとき「これが転機だ、今がそのとき!」なんてはっきりその瞬間にはわからないけれど、今を瞬間を誠実に生き切っていればこそ、そのタイミングを見誤らずにつぎの世界に飛び込めるのではないかと最近よく考える。その先で成功するか失敗するかはわからない。それはそのときのはなしで、そうなったらまた試行錯誤すればいい、と思うのは甘いのかもしれないけれど、でもそのタイミングに意味があったことはわかるんじゃないかなあと思っている。なんにせよ、出しきって使いきって感じきって生きて死にたい。

わたしたちの旅は「何時も…行ったきり」だから。そしてあっというまの。

Kis-My-Ft2 7thアルバム『Yummy!!』を聴く。

この新しいアルバムのアーティスト写真やジャケットをみて、なんだかキスマイおとなっぽくなったな!と思った。おとな、という表現よりも精悍になったと言うべきかもしれないし、良い意味で落ち着いたとも言えるかもしれない。彼らのこのリラックスした表情には余裕すら感じられる。いい写真ですね。そんな7枚目のアルバム『Yummy!!』を聴いたので感想。

個人的にはデザインの効いたジャケットが大好きで、本人がいるかいないかに熱くこだわることはないので、ぱっと見で初回Aが可愛いなと思ったのだけれど、ロゴシールが外側にしかない…OPP外したらただの白いパイ…ということでジャケットは初回Bか通常が勝利です。と思いきや裏側にちゃんとロゴいりのパイあった。そりゃそうだよね!Aの歌詞カードにインスタ的な食べ物ドレス着たキスマイいたけど、クロワッサンドレスの藤ヶ谷くんがただのギャルであった。

というかavexさんは、某6つ子アニメを自社で扱っているのをいいことにいろいろとオマージュしすぎだ。映像特典「ミュージックドラマバラエティwithアニメ」ってなんだ「withアニメ」って。あれだな~~~ふたつ連続で覇権とったから味をしめてるな~~~とか邪推するめんどいおたく。いや、いいよいいよキスマツ荘。YouTuberみのあるキスマイ。

モニタリングで藤北の話題で地雷踏む宮田さんとか、玉森くんに「その眼鏡似合ってないよ」って言う二階堂くんとか、歌詞カードに掲載された食べ物ドレスの写真を撮りたいガヤさんに「こういう写真撮るためにカメラ買ったの?」って言った千賀さんに笑ったよ!本音屋台でやっぱり藤北は藤北や!と思ったよ!1回しか観てないから感想薄くてごめんね!

ゆるスポーツ選手権はやっぱり最高だし、キスマイTVでは人間的に大丈夫か?って不安になったとこもあったけどおもしろかったよ!若気の至りだよね!でも2016年ぶっこんでくるのは勇気なのか無頓着なのか知らんけどびっくりだよ!!!!!!!!!

さ、本題本題。

 

 Kis-My-Ft2

『Yummy!!』

 

Yummy!!(DVD付)(初回盤A)

Yummy!!(DVD付)(初回盤A)

 

 

Yummy!!(DVD付)(初回盤B)

Yummy!!(DVD付)(初回盤B)

 

 

Yummy!!(通常盤)

Yummy!!(通常盤)

 

 

1."7th"Overture

キスマイのOvertureのなかでは異色すぎるインスト。レトロさもあるアメリカンでご機嫌なサウンドとともに、ママとちいさなこどもが繰り広げる会話は

「デザートつくるよー」

「やったー!パイ?ケーキ?ブラウニー?」

「HAHAHAおたのしみに~」

「まちきれなーい!」

というかんじかな。そのあと一悶着(デザートのお皿を落としているのかな?)あったりレンジがチンと鳴ったりの末、曲の最後にこの子が放つ「Yummy!!」というキュートな一言でアルバムは幕をあける。

2.Invitation

あいかわらずOvertureから1曲目への入りがいい。間とかそうとう計算してますよね?と思わずにはいられない。このアルバムの世界へ招待する1曲目としても、歌詞もライブのOPを飾る1曲としても秀逸なリード曲だと感じた。ラブソングのかたちをとりながら、ライブでの彼らとファンにも置き換えられるフレーズがいくつも散りばめられている。「10秒で見つけるよ」というフレーズになんか軽、ちゃら、と思っちゃったんだけど、すごいキスマイ感あっていいなあ。「え~~~10秒なんてぜったいうそでしょ~~~」って言いたい。試聴の段階では「Baby Love」みたいなファンクかなと感じたけれど、あそこまでグルーヴ感強くなくて、都会的で洗練されているような印象。こういう曲は踊るときに独特な緩急というか、間のようなものも魅せ方のひとつになりそう。そういう曲がつづけて出てきたことは年数を重ねてきた証かな、と思っている。

3.Mr.Star Light

これローラー履くよね???タイトルみたときに、光GENJIみ感じたのわたしだけ?歌のはじまりも「パラダイス」だったからよけいに。まあパラダイス=銀河っていうわたしの発想力もどうかと思うけどさ…ちゃんと歌詞読んだらこれまでの楽曲のタイトルがいくつも織り込まれていた。キスマイ系キラキラアイドルソング。うん、キスマイ、ってかんじ。随所に現れる音の飾り方がavexってかんじ。

4.PICK IT UP

キスマイのシングルのなかでもかなり質の高い楽曲だと思っている。3分15秒からラストにかけてはとくに至高。曲中で繰り返される、あの気持ち悪そうで気持ちよく揺れる音にシャツをひっぱる仕草をシンクロさせていくダンスが決まるのはキスマイしかいないでしょって本気で思っている。

5.Break The Chains

え!なんかあたらしいな…!こういうアプローチの曲って今まであったかな…というのは奥行きを感じるハードなロックアレンジによるところが大きい。はじめはそこばかりに気を取られていたけれど、こういう詞をキスマイが歌うの泣ける。こう言ったら怒られそうだが、キスマイって常に「この時代のチャンピオン目指せNo.1」精神でいるというか、未だにチャンピオンに至っていなくて常にファイティングポーズを取って挑み続けている人たちだなと思う。縛られて、もがいて、戦って、壊してここではない、どこかへ。このハングリー精神!たとえ傷ついても、その傷さえ輝きそう。

6.Toxxxic(藤ヶ谷太輔

タイトル発表されたとき、藤ヶ谷くんの厨二病まだ治ってなかった…(愛を込めてそう言ってる)って思ったんだけど作詞はご本人ではなかった。これぞ藤ヶ谷太輔でしょっていう伸びのあるボーカルを聴かせるアッパーチューン。この強気な姿勢で否応なくライブへの期待感を煽ってくる藤ヶ谷太輔尊い

7.蜃気楼

これ試聴したときから期待していたんだけど、なかなかよかった。前々回くらいかアルバムに1曲は入っている洋楽っぽさを追求した楽曲でしょうか。OPから続く流れを塞き止めることなくチルアウト的な役割を果たしている。このノスタルジックな曲調をものにしているのも年数の為せるわざ。おとなになったねえ!

8.カ・ク・シ・ゴ・ト(北山宏光

試聴したとき、作曲HusiQ.Kさんだろうなあと思った。そうだった。サビでとくに感じる北山節。あいかわらず刺さるせつないメロディメイクはさすが。あと、北山担ころしに来てるなって思いました。

9.セルフィー

セルフィーってまた、現代的なワードきた。いつも思うけど、キスマイってほんと若いよね。あとこういう曲調すきだよね。編曲はともかく、懐かしいメロディラインに乗せてさわやかな恋を切り取るかんじの。

10.青春 Don`t Stop!!

イントロがただただ懐かしい。Jポップ的な、というか往年のジャニーズを感じさせるサウンドも1曲入れておこうってかんじなのかな。

11.Super Tasty!

この曲についてはまず、Mステで披露された玉森くんの「say!いぇーい!」のかわいさに5億点進呈したいということと、トロッコ?お手振り?うそでしょ???ってせずにライブでちゃんと踊ってくださいとお願いしたおしたい。「SOS」をライブでほぼやっていないせつなさ…おたくはああいうのすきだよ!

アルバムコンセプトを端的に表す1曲であることが歌詞とアゲアゲなキスマイポップス感に凝縮されている。

12.Clap-a-Holics(玉森裕太

圧倒的に優勝。グループではやらない方向性の中でじぶんの好きなものを思い切りソロに振っているような印象の玉森くん。いつのまにこんなに表情豊かに歌えるようになったのか。玉森裕太ずるい!今回も最高でした。圧倒的信頼感!

13.FREEZE

はじまって3秒でかっこいいと確信できる。アーティストが提供してくれる楽曲は、その方の感性で今のキスマイから感じるであろうものがかたちになるのかな、と思うので今回のMIYAVIさんはとくに楽しみにしていた。メロディもアレンジもMIYAVIさん節を感じる表現が難しい楽曲だけれどこういう曲を歌えることは自信になるのでは。ライブで炎焚きそう。FREEZEだけど。

14.赤い果実

 赤い果実やっぱり最高。2017年がシングル当たり年だったことをあらためて実感。このアルバムの最高潮は13曲目からここかな。

 15.REAL ME(北山宏光藤ヶ谷太輔

 まあ、このふたりならだいたいの曲も歌いこなせるよね。ぶっちゃけなんか古くさいな、と思ったんだけど、それわたしが歳とっているだけで若い子が聴いたらもう一周してて実は新しいのかな。最近の局地的な音楽ムーヴメントを目にしてそう思うことも多いし、そのあたりがどうにもわかりません。歌詞は刺激的だけど想定の範囲内

16.友+情を、くっつけて

メッセージ先行なんだろうなあ。歌詞が鈴木おさむさん作というところにもそれを感じる。特典映像ありきでもある。

17.HAPPY☆DAY

ドリフの決めゼリフで始まったかと思ったらゴスペルで終わってた。ライブで手拍子とともに一緒に歌いましょう!ハピネス!な流れになりそう。

 【bonus track】

18.We are キスマイ!

 ピーチって!キスマイ聴いてみよっかな~って通常盤を手に取ってくれた一般の方には謎だろ!歌割りの妙もキャラ説明も完全におたく向け。とはいえコミケで発見については誰が聴いてもわかるだろうな。宮田さんが世の中にむけて確立したものは大変大きい。ボーナストラックですし、ライブでのC&Rありきの曲だからこれでいいと思いますが。

 

やりたいことは、とてもよくわかった。7年目になってできることが増えて、表現の幅も広がったからこそ色々な面を詰め込んだアルバムなんだなと思える。キスマイの魅力はこの変幻自在さにある。王道的な面を踏襲しつつもけして王道ではなく、かといって鋭角すぎず間口が広い。悪く言えば中途半端だと揶揄されそうだが、されないギリギリのところを攻めている印象。「yummy」という解釈が広いテーマを用いて、キスマイの多面的な魅力を概ね収録しきっているのではないかと思う。前作は7人それぞれがチョイスした「音楽」を持ち寄って個性をぶつけ合う「闘技場」をモチーフにし、強さが突出したアルバムだったのでかなり好き嫌いがわかれるアルバムでは、と思うところもあった。今回はキスマイのアイドル性を置き去りにすることなく、ある意味原点回帰とも言えなくもない部分や、新しい趣向も取り入れた新旧折衷なまさにアラカルトのような1枚。個人的にはもう一捻りほしい、と思う部分も否めないのが正直な感想である。

前回同様、3人のソロ曲を通常盤のみ本編に組み込むのはどうなのだろう?ボーナストラックではダメなのでしょうか?通して聴いたときに初回と通常で印象が変わってしまう作品を二面性とするかブレとするかは難しいところではある。が、新しい作品として1枚世に出すわけなので7人で全力勝負するべきだとわたしは思う。また、藤北の曲だけを本編に収録しつづけているのはもっと意味がわからない。過去にあった、二人はソロで他はユニットで、もしくは舞祭組の曲を収録したから他はソロやユニットで、というのはまだ理解できたけれど、今はちがう。4人のソロは?「KIS-MY-WORLD」で組んだユニット以外の他ユニットの可能性は?もっともっとやれることはたくさんある。そういう選択を持つことはキスマイにとってマイナスではないとわたしは信じている。セールス的な事情?知らんがな。度外視しろとは言わないけれど、キスマイならできるだろ!と思ってしまうのは平たく言えば愛以外なにものでもありません。

あ、限定シングル「You&me」に収録されていた「HOME」が期待以上に良かった。

いとも簡単に 過ぎた時を君はいつも一瞬で埋める

ほんとうにね。

2018.4.20についての日記。

4月20日金曜日「KAT-TUN LIVE 2018 UNION」に参戦した。

もうほんっっとのほんっっとに楽しみで、一週間前の金曜日には楽しみすぎて謎の奇声を家であげて爆笑していたら(やばいやつ)、週のはじまりにやっぱりジャニオタとしてはなにかを感じてなにかを考えざるを得ないことが起こったりもして、感情だけは乱高下して忙しないのに一日一日が過ぎるのがものすごく遅く感じた。だけどもう終わっちゃったんだなと、時の流れの無常さを感じつつ、それでもあの日の記憶はたしかにわたしの中に存在して、想像じゃなくもういつでも取り出すことができるんだなあと思うと、月並みだけどうれしいです。

KAT-TUNのみんなほんとに楽しそうでうれしそうだったから!!!わたしもすごくうれしくなって、3時間ずっと笑顔になってた!!!もう超しあわせな空間だった!!!!

と、長年追いかけているわけでもないわたしなんかが書いていいものかなあとも思うけれど、じっさいにほんとうにそういう気持ちでした。

 

ライブ前は、今回の公演名が「UNION」だとわかったときに、「組合」だとなんかあれだから「連合」「結合」のような意味合いなのかなと、壮大で重厚なテーマで来るのかなと想像したし、ロゴが「三本の矢」だと判明したときには「えっ…待って…つよい…」とエモみで昇天しかけた。これ以上にふさわしいものがあるのか、これを持ってくるセンスは天才じゃないか、三本の矢て…!紐の部分のラインがハイフン…!三本なら折れない矢を束ねているのがハイフンってもうね…KAT-TUNって半端ないな!と感嘆とも尊敬とも賛美とも、一言ではとても言いきれない感情に襲われたり、グッズアプリってやっぱ入れておいたほうがいいかな…ってインストールしたら3人+レトロな外車?アメ車?+逆光の写真が出てきて爆イケすぎヒィ…ってなったり、「Ask yourself」のジャケットのKAT-TUN×黒い羽やポラロイドの写真にいちいちまたヒィってしたり、歌詞カード最後のページ、3人の手の「3・2・1」っていうカウントダウンに高まりすぎたり、そんなことを経て近づいてくるごとにいろいろな想像が駆け巡っていたけれど、どんな初日になるのかまったく予想もつかなかったし、そもそもわたしなんぞに予想できることなんて絶対しないだろうし、もうまったく予期せぬ、それもすばらしい事態になるのだろうなということだけは信じる…という言葉をわたしが使うことが適切なのかどうかは自信がないけれど、信じていたのだろうと思う。

いざ当日を迎えてみると、想像していたほど重く悲壮な決意が沈殿しているわけでもなく、エモーショナルに走りすぎることもなく、けれど3人並んだときの強さのようなもの…たとえば3人が並んで花道を歩いてくるときに見えたりする圧倒的なまでの強さ、としか表現できないのが悔しいのだけれど、そういうものはあいかわらず「KAT-TUN」でありながら、復活という一言だけではおさまらない新しさもあった印象だった。なによりあの日の東京ドームは出航の歓喜と愛に満ちた空間で、ああ、こういうかたちで結ばれてまた進んでいくことはきっとしあわせなことなのだろうなと感じた。なんかくさいねごめん。

アルバムコンセプトが中央に鎮座するライブではないので、どんなセットリストになるのか、どれも入る可能性があるから楽しみだねと話していたけれどそれでも、KAT-TUNが過去にリリースしたCDやDVDを聴いたり観たりしては、かっこいいから聴いてみたいけどわたしが生で聴くことはできないのだろうな…と勝手に位置づけていた楽曲たちがつぎつぎに繰り出されたことにもおどろいて「うそでしょ!?」となんども口元を覆ったし「こんなんずるいじゃん…もっとすきになっちゃうじゃん…」って慄いた。とくに「SIX SENSES」のイントロが流れた瞬間のあのわけのわからないほどさまざまな感情の嵐はもはや言葉で説明できない…

もしかしたら長年担当してきた方はいつかは歌う日が来ると信じていたかもしれないけれど、「10ks!」以外その場にいたわけでもなく、すでにパッケージされた公演を遡って観ていただけのわたしは、ほんとうにただ単純に、勝手に、誤解を恐れずに言えば封印してしまったのかな、と考えていた。人数の変遷とともにKAT-TUNの表現のかたちは変化しているように感じていたし、それぞれの時代の真骨頂とも言えるような楽曲はたとえやらなかったとしてもしかたがないと納得していた。だからこそもっと早くすきになりたかったなと思っていたし、逆にまた新しい表現や音楽性が拡がる可能性があることがたのしみだった。そういうわたしの安易な想像を易々と超えるように、かつての時代をどこか内包したままブラッシュアップし、3人のかたちを新たに体現していく彼らを目の当たりにして、KAT-TUNという存在そのものが可能性と創造性のかたまりなのだと感じた。

テレビで一曲歌っているのを見ていただけではわからない、KAT-TUNはほんとうはとてもかわいくて、もう~~~なにこれ~~~かわいい~~となってしまうギャップもすきだけれど(とくに亀梨くんのとんちき具合にはもうわけがわからないくらいめためたになるし、じつはChainコンDVDのポスター抽選のくだりがとてもすきだ)、パフォーマンスを観ると、畏怖の念を抱いてしまう正体のひとつがこの創造性なのかもしれないという答えに辿りついた。これまで今ひとつ正体がつかめないまま「とにかくすごい、やばい」と繰り返すしかできなかったし、今もなお「KAT-TUNはとにかくすごい、やばい、ほんとうに」と言ってしまうのだけれど。生きていくうえで、重要なもののひとつ、いえ、個人的にはもっとも大切なものだと考えているクリエイティビティ。もちろんそういう力はジャニーズ全体(だけじゃなくどこにでも)にあるのだろうけれど、きっとわたしはKAT-TUNから生まれるそれに憧れて、焦がれているのだと確信した。すでに語り尽くされたはなしだとは思うが、KAT-TUNのメンバーの個性や才能はそれぞれで、アイデアの発露や源泉もまったくちがうように見えていたし、今も見える。その融合が頂点で爆発して産み落とされる瞬間を逃すことなくきちんと掴まえるということにアプローチしていくセンス、才能、思考、感覚、人間力…うーんどのワードを持ってきても釈然としないけれど、そういうものに魅了されていたのだな…と2年後の今、ようやくはっきりと言葉にできて実感した。

たぶんこれは、ずっと果てなく続いていくのだろうと思う。ずっとずっと先を行く彼らのことを尊敬しつづけるのだろうなと思う。

と、まあ堅苦しいようなことを言っているけれど、ライブ中は亀梨くんの「俺たちの女」発言にはあわわわわ(;´;゚;ё;゚;`;)ってなったり、メガネな中丸くんにむり〜〜〜けしからん〜〜〜〜すき〜〜〜となったり、ニコッとしながらトロッコでお手ふりしている上田くん発光してない?!?!ねぇ上田くん輝いてる!!!!天使???!?!と、なんというか、なんかもうほんとわたしっておたくだな…となっていたことは言うまでもないし、2曲目の「Real Face#2」で華々しく打ちまくる特効(でもちょっと控えめだったようにも?)、天衣無縫の極みなMC、「RIGHTNOW 」(これも聴けると思わなかった!)から「In Fact」の縦横無尽なレーザーショー、「Ask yourself」のためだけの黒のあの衣装などをみては100回くらいすきって胸中で言ってた。

とくに「Sweet Brithday」で本編が終わったのはほんとうのほんとうに最高すぎてすきだった。「やります」by中丸くんとのことだったし、どのへんで歌うのかなと、中盤らへんかなとかいうまたも安易な発想をばっさりと切り捨てラストに歌って、メインステージに向かっていく3人のうしろすがた、3人の紳士的でスマートなお辞儀すがた、ほんとうにすてきで忘れられない。

 もう、こうして、なにがとかどこがとか細かいところを言い出せばきりがなく、それらをまとめるととにかく「いいライブだった」としか表現しようがない。なんていいコンサートなんだろう!!!!というのが、終わったときに最初に湧き出た感想だし、ねえほんとよかったね!!!!とただしぜんに笑ってた。なにひとつ予想どおりなことはなく、けれどすばらしい事態になると信じていたことだけはなにひとつ違わず真実だった。

この日のことは、人生のなかで、大切にしたい記憶のひとつになりました。

 

デジタルチケット読み込み時に発行されたレシートのような紙のQRコードにアクセスしたら、なんと3人の写真つきのチケット画像がもらえた。ちゃんと席と名前が入っていて、その細やかな心遣いにも感激!!

真夏日になるということで、KAT-TUNコンにおける正装だと勝手に思っているライダースを着ていけなかったことがちょっと残念だったけど…でも黒は着た。

 

それでも呼吸は続いていく──「そして僕は途方に暮れる」観劇

3月20日(火) Bunkamuraシアターコクーンにて「そして僕は途方に暮れる」を観劇した。ネタバレ含むので知りたくない方はご注意願います。

わたしは兼ねてからこういう役を演じる藤ヶ谷くんを観たいと切望していた。

ふだんはアイドル=きらきらを体現するかのごとくステージに立ち続けつつも、真面目で努力家であり、完全無欠の好青年さを崩すことのない彼が時折垣間見せる影のようなものを暴いて剥き出しにするような役が来ないだろうか、とずっと考えていた。おそらく藤ヶ谷くんは概ね好青年であると思う。あくまで表面しか知らないけれど、あれがすべて作られた虚像だとはまったく思えない。人知れず葛藤したり苦悩する日々は当然あるにせよ、きちんとしたひとだという印象はこの5年ほどにおいて変わっていない。けれど、どこか危うげな雰囲気があるのもまた感じていて、生まれついての陽性とも言い切れないその微妙な部分に意味を見出すような、そんな作品に巡りあう瞬間をどうにか見ることができないものかと切々と考えていた。

役の性格や方向性は今回とは違うかもしれないけれど、それを観ることができる期待感は「コルトガバメンツ」にもあった。ただ、わたしはチケットを外して結局一度も観ることができなく、それはジャニヲタ歴の中で唯一と言っていいほどの後悔であり、ある種のトラウマのようなもの、というか、あれを見逃してしまったことによってできた穴のようなものは、結果的に「ジャニーズオールスターズアイランド」までわたしを舞台から遠ざけた。そういう後悔を二度としないように行けるかぎりは見逃さないようにしようと考えるのがふつうなのかなとも思うし、そうしたほうがいいのだろう。今になって考えるとどうしてそんなに「コルトガバメンツ」以外の舞台に立つ藤ヶ谷くんを観ないことにこだわったのか、理由もあいまいだ。ただただそうだったとしか言いようがなく、ひとつひとつの仕事にていねいに向き合う藤ヶ谷くんに対して、失礼極まりないような応援の仕方だということも重々承知している。わたしのただのエゴだ。

さて、今回の「そして僕は途方に暮れる」の藤ヶ谷くんの役どころは、一言で言えばクズだった。自身のことをクズと自覚しているわたしが「うわ、こいつくっそクズやな」と思ってしまうほどのどクズだ。悪い奴ではないと思うけれど、クズの自覚がないところとクズの自覚があるところが同居しているような具合で、彼女(前田のあっちゃん。かわいい)よく何年も付き合って同棲までしてるね???って思ったのわたしだけじゃないはずだと確信している。いや待てよ、でもわたしすきだったらクズでも許しちゃうからな…って思ったけれども、それは考えるのをやめよう。

この作品における彼(アラサー)の保有スキルは「(原因は自分にあるのに、それを責められたり怒られたりするのが嫌で話を逸したりごまかしたりしながら)とりあえず物理的にその場から逃げ出す」だ。

誰しわたしも逃げたいときはある。物理的に。たまに逃げてしまうときもある。つぶれてしまうくらいなら、むしろ逃げたほうがいいときだってあるし、ほんとうに嫌なことからはきっと逃げたってかまわないのだ。むかし勤めていた店舗で、先輩がひとりで閉店作業後、受付に退職届をそっ置きしたのか叩きつけたのかは知らないけれど、とにかくそれだけ置いて、翌朝から出勤しないなどという離れ業を見せたときから、今日に於いても仕事で追いつめられた時、そうしてしまおうかと沸点に達しそうになる瞬間がある。でもわたしは今日に至るまで一度もそれを実行できていない。

逃げてしまったあとのことを考えると、なかなかそこまで突き抜けられない。放り出すことはかんたんな解決方法に見えて、あとあと自分の首を絞めることのほうが多いだろうからやめておこう、とわたしは思ってしまう。いかんせん「逃げちゃダメだ逃げちゃだダメだ逃げちゃダメだ…やります!僕が乗ります!」*1を発想してしまう人間(おたく)としてはことさら。そしてデーンデーンデーンデーンドンドン「状況は!?」という具合でなんとか生きている。とはいえ、カジュアルな逃走はたまにやってるね。どうしようもなくどうしようもない日に早退とか。あは。適当にやってるのかもしれない。いいわけが許されるならば、それは逃避ではなく、建て直しをはかるための戦略的な撤退とも言える。それと最近はまれに「考えることを脳が拒否する」モードがあって、物事の輪郭を捉えつつもただ頭にそれらが入っては流れて漂っているだけ、という状態が発生する。これも一種の逃げかなあ。でも、うーん。いただけない。ただでさえ乏しい思考力、知的生産術、感受性、情緒。それらが死んでいく気がする。

そんなことは置いておいて、むかしでは画期的に見えたその手法も、今ではよくある話として片付けられるし、そもそも退職届すら出さずに消えるというし、現在の職場でもそういえば何人かバイトがそうやって消えたなと考えると、インスタント逃走劇ってのはもしかしたらわりとスタンダードになっているのかもしれない。

藤ヶ谷くん演じる裕一は、じぶんの醜さをあけっぴろげに見せてまで浮気疑惑について問いただす恋人との対話から逃げ、家に置いてくれた友人に振る舞いを窘められたことから逃げる。依存を深めれば深めるほど、反動のようなそれに耐えられなくて、先輩を頼り、友人に注意されたことだけは直してそこで居候するも浮気の偽装工作に一枚噛まされたことをめんどうがられ、後輩に「逃げ続ける裕一さんまじかっけーっす!なかなかほかのひとにはできないっすよ!」と煽られ、また彼は逃げていく。

冒頭、スクリーンに裕一のスマホ画面が映る演出で、姉と母親からの連絡を無視しているのがわかるのだけれど、結局行くあてのなくなった裕一は姉を訪ねて詰られ、母の元に帰るも離れていたあいだに変化を遂げていた母親からも逃げる。

このあと裕一は同じく色々なことから逃げている父親(クズ)と再会し、行き止まりに当たったかのように思えた。ふたりでこの世の果てのような狭いアパートの一室で生産性のない日々を送り、社会の歯車から外れ続ける。想像するにこれはおそらく、感じているかいないかはべつとして、深い孤独だ。つぎつぎに人間関係を絶って頼る人間がいなくなっていくことでじりじりと感じていく孤独の最果てだ。はじめは開放感に満ちていても、徐々に存在が浮遊し、現実世界と自分とが乖離していくような感覚。それをよしとする瞬間と焦燥を覚える瞬間のせめぎあい。それらがあのアパートの一室にあったのではないかと思う。受動的で、だけど能動的になるフックもなく過ぎていく日々。きっとそれでもよかったし、このままではだめだと思っていたのだと思う。

そんな日々を送る裕一をかつて取り巻いていた人間の日々も合間に描かれる。恋人は裕一からの連絡がないことを怒っていて、友人はそんな恋人をなだめ、先輩はバイトに穴をあけた彼に「殴る」と息巻いている。母親は心配して姉に電話し、姉は友人に連絡を入れる。それぞれが心のどこかに裕一を置いている。はずだった。

クリスマスの日、父親の言葉をきっかけにして恋人の留守電に今は父親と暮らしているという報告と、細かいことは忘れてしまったけれど、たしか心配かけて申し訳ないだったか時期がきたら戻りますだったか…とにかく(えっほかには?それでいいの?)とわたし自身は感じた伝言を吹き込む。

いつかは戻るつもりだけど今は逃げている。

でもいつかがわからないからまだ逃げている。

どうしたらいいかわかんない。

だけどいつか戻るから待っていてください?

なんてモラトリアム。そんなに暇なのはお前だけだ。

いや、モラトリアムという事象を否定する気は毛頭ない。たぶんあれも必要な過程なのだ。だけど、他人の時間は自分のそれとおなじ動きではないだろうと。と、思ったんだけど、人間、時として自分の都合のいい解釈するよね。わたしもだ。だけどね。時は刻々と流れていく。裕一は変わらないかもしれないけれど、世界も、事態も、他人も刻々と変わっていく。閉じた世界で二酸化炭素を生成するだけの彼にはわからないだろうが、他人はもしかしたらもっと有益なものを生み出しているのかもしれないし、もっと言えば三次元が四次元に変わっているくらいの劇的な景色が広がっている可能性すらあるのだ。

その伝言を聞いた恋人が力なくそれを友人に伝え、友人は姉に、姉は母親に伝える。それぞれが「まあそう聞いたから一応報告ね」的なニュアンスで。そして観ている側はきっとそうしてなにかがすこしずつ変容しているのを知る。

そんなモラトリアムを体現する裕一にも、ついに能動的になる瞬間がやってくる。自らが奮起したというより母親が倒れたという留守電が恋人によって残されていたからである。こたつに入ったまま「俺はめんどくさいから行かない」と言う父親に「あんたみたいにはなりたくねー!」と啖呵を切って走り出す。走り出したはいいものの、人間はそうすぐには変わることができない。裕一の地元まで母親の様子を見に来た恋人と、年末で帰省していた友人、姉と再会し、母を伺い実家に戻ってはみたものの結局何も言い出せず、立つ瀬もなく部屋の隅でスマホを触り出す始末(アラサー)。その横では微妙な空気感を漂わせ皆が一様に気を使った会話劇を繰り広げているというのに。わたしはもうずっといらいらしていて、はらはらしていて、とてもじゃないけれど裕一に感情移入もできないし、そういう空気感にぞわぞわしてしまうし「なんでもいいから早くなんとか言え!一言でも!」という気持ちが最高潮に達したとき、ぶち切れた姉(江口さん最高)の言葉や恋人の同情めいた言葉に誘われ、裕一がぽつぽつ語り出す。一言で言ってしまえば「どうにかしたいんだけどどうしていいかわからない」と泣いて訴える。

まあ…そう、だよね…そういうときあるよ…うん…

わたし自身も絶対的に感じたことのあるその閉塞に一定の理解を示しつつ、憐みの気持ちさえ持ってしまうわたしは、そのあやふやすぎる時期を超えることができたのかもしれないとも思えたし、あるいは共感能力をなくした冷徹な人間なのかもしれないと思った。それは果たして成長と言えるのか、それとも退化しているのか。彼の言葉をこころでろ過することによってせまる自分の現在のすがたはなかなかしんどい。ただ、この演技を絞り出す藤ヶ谷くんのすがたは胸にせまった。わたしを揺さぶったのはそれにたどりつくまでに悩み苦しみ抜いたのだろうという藤ヶ谷くんの逃げることのない真正面の挑戦だった。しかし当の裕一の「怒られるのが嫌だ」という瞬間的な感情のままに向き合うことから逃げ、思考を放棄し、それによってまわりの人間にもたらした感情を一切無視し、2か月ほど経つというのになにも総括できていないこのザマにわたしは途方に暮れた。わたしならここで線を引いてしまうけれど、やさしいひとはちがうのかな…いや、だけどお姉さんは完全に線を引いたように見えたぞ…というかそもそも留守電の時点ですでに皆に見放されてた感あったよね…いや、でも彼を掬う方法だってあるはずだ…(以下無限ループ)

だけどそれでも世界は続いていく。まわりの人間が再構築してくれる。去り際の友人が裕一にくれた言葉は彼にとってこれからをも予感させる救いだっただろうし、突然の親父の乱入により、大晦日にひさびさに一家団欒のかたちを為したこともあり、裕一は東京に戻ることを決める。先輩にも連絡し「また飲みにいこう」と言われ、彼は変わっていなかった世界に安堵したのだと思う。その証拠に、彼は恋人の家に戻る。戻ってベッドに横たわる。そこへ恋人が帰ってくる。物語が出勤していく恋人と寝起きでベッドに転がる裕一からはじまったように、その風景へ戻っていく。

かと思われたけれど、とめどない違和感が部屋を満たしていて、その正体が浮気尋問の際に「都合が悪くなると訊かれてもいないことまでしゃべるよね」と言った恋人そのひとが、裕一がこれまでのことを話そうとしているそばからさえぎるように関係のない話を繰り出していることだと観ていて気がつく。それでも彼は変わらなかった世界でじぶんを変えようと、話し出す。しかし彼女は言う「裕ちゃんはもうなにも言わなくていい」と。ここから世界は一気に反転する。

彼女の世界にもう彼は存在していなかった。好きなひとがいる、そのひととこれからも会いたいからもう別れたい、途中からあなたのことなんてどうでもいいって思ってたなどと彼女から告げられたうえに「なんでも訊いてください、逃げずに答えます」と泣きながら宣言される。想像できたし、できればはっきり聞きたくなかったけれど、その相手は友人だったし、実家であたたかい言葉をくれたはずの友人が実はあのときすでに恋人とホテルにまでいく関係を結んでいて、彼女が裕一に話したらじぶんも話すという、すごくわかるんだけどなんとも微妙な小狡さを発揮していて、裕一のメンタルがぐりぐりえぐられていくのがわかって苦しくて息をとめた。まあ、そらそやろ、自業自得やろ、って言うのはかんたんだけど、じぶんの人生の中でそうやって自業自得で失ってしまった数えきれないほどのものを思い、吐き気を催さんばかりの自己嫌悪に襲われた。ああいやだ…こんなにむきだしになんてなりたくないのに。どうにか蓋をしていたものをむきだしにされたうえに無防備なそれを引きずり出されて素手でつかまれてつぶされている気分だ。ああ…もう…嫌なことから物理的に逃げ出すことと、見ないふりしてどうにか立っていることとどう違うのだろう。結局のところ解決に至ってはいないという点においては、根本は同じなのではないかとさえ思う。どちらにしろもうそこへは戻れない。

逃げて逃げて逃げ続けてしまった先になにがあるのか。それはわからない。なにもないかもしれないし、新天地が現れるのかもしれない。覚悟しなければいけないことは、振り返ったとき、うしろにはきっともうまるで知らない世界が広がっているということなのだろう。あるいは、見ないふりをしているうちにいつのまにか。彼を否定することは、なんだかじぶんを否定することに思えて、ずるいわたしは結局彼を肯定する。真正面から向き合うこと、考えることを放棄し、まわりをないがしろにしたことがわたしにも確かにたくさんある。結局さっき情けないと吐き捨てるように思った彼はただのわたしじゃないか、と泣きたい気分だった。だけど、どれだけ失敗し、死ぬほど後悔しのたうちまわって痛い思いをして、たとえそれを胸の奥底に沈めていたとしても、なくなったわけじゃない。なにかのきっかけでそれがあふれ出し、選択を変えることもある。そのくりかえしでなんとか前に進んでいるのではないか、ミリ単位でも成長しているのではないかという実感と勘違いをくりかえし、折り合いをつけながら生きてきたこともたしかだ。

短絡的な行いによって、瓦解するこれまでの世界。そのがれきのうえでひとり、彼が見たのは絶望の景色だったかもしれない。だけど呼吸が続くかぎり、それは希望になりうるのだと、いや、それこそが希望なのだとわたしは思いたい。終わってしまったもの、壊してしまったものを思いながら、建て直し、あたらしくはじめる。そして再び躓いては立ち止まり、それでもまた歩き出す。生きていくことはその途方もないくりかえしだ。どれだけ落とし前がつけられるのかもわからないし、いびつなまま終わってしまうのかもしれない。じぶんをどれだけすきになれるのかもわからないし、きらいなところは存在し続けるにちがいない。また誰かを傷つけてしまうかもしれないし、なにかを失い続けるだろうし、孤独と無縁になることはない。それでも生きているかぎり、と終幕前、光のむこうへ肩を落として歩いていく裕一のすがたを眺めながら、その先も彼の呼吸が続いていくことを願ってやまなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:新世紀エヴァンゲリオンの主人公:碇シンジくんの台詞

辞書のいらない時代に広辞苑とあそぶ。

 なんだかすごく「言葉」とは。ということを考えたい衝動にここのところ突き動かされていた。言葉というものに真正面から向き合って考え込んだり、斜めから眺めておもしろがったりしたいと思っていた。あしたすぐに仕事や生活の役に立つわけではないかもしれないし、お金にだってならないけれど、強制されずともとっかかりたいと感じたことには素直に従っておくべきだ。すくなくともわたしはそう考えている。

と言っても、そんなに複雑なことではない。わたしはジャニヲタなので、たとえば舞台なりコンサートなりを観て、湧き出た気持ちをよりただしいニュアンスで表す言葉をそれほど持っていない、くやしい、みたいなことがままある。そういうときにわたしって言葉知らねーな語彙もってねーなと気がついて、なんかやだなあと思うことが動機にもなっている。それに最近よく耳にする横文字系の新しい言葉の意味とかあまり知らないなとか。書店に並んでいるビジネス書や自己啓発書のタイトルについているような。

膨大な量の言葉をただインプットしたところで結局、それがどういう意味なのかどういうときに使うべきなのかをきちんと自分の中で理解して落とし込まなければ本当の意味で知っていることにはならない。

これはどちらかといえば類語辞典の領分だと思うけれど「悲しい」という感情を表す言葉ひとつとっても、自分の経験と結びつけて「あのときの悲しさの度合いや感触はこの語感」とか「いや、あの日の体験はただ悲しいというより虚しさもあったからこっち」というふうに小分けにしていきたいし、適切なタイミングで引き出すための引き出しをたくさん持ってもっと言葉と遊びたいのに!とつらつら考えていた。

 そんな中、今年の出版業界における大きなトピック「広辞苑 第七版」(岩波書店)の発売がやってきた。

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

 

 当初は購入するつもりも欲しいと思う気持ちもまったくなかった。以前のものが家に2冊ほどあるけれど、ネットでなんでも調べられる時代に辞書をひく機会も失われ、ただ分厚くて重いそれは開かれることがない。けれど職場に(書店員なので)並んだ、黒いカバーのかかった厚い箱入りの辞書を見て猛然と「欲しい」と思った。そして、買わなければいけない、という強迫観念にも似た衝動に駆られた。たぶんその欲望と衝動の半分はあのキャッチコピー「ことばは自由だ」のせいだ。

そうか言葉は自由なんだ!自由でいいんだ!と唐突に思った。言葉とはなにかと脳内で浮かべるとき、どこか、その価値のようなものを念頭において考えていたことに気がついて、けれどそんなことすら無意味なくらい言葉は自由で無秩序ないきものなのだと思った。そうしたらもう追いかけっこしてつかまえたくなって、だけどつかまえることなんてできないだろうと感じ、それでも手を伸ばして知りたくなった。

言葉は日常にあふれ、あまりにあたりまえのそれらをわたしは簡単に消費していく。けれど使い方や意味がすこしづつ変化したり増える言葉、まったく新しい言葉、むかしからずっと変わらない言葉と、いつでも時代とともにあるたくさんのそれをここでがっつり受け止め、改めて知りたくなった。それでなんで広辞苑?っていうのは単にそういう気分のときにたまたま出版されてしまったから、というノリのようなものと、付録といいつつハードカバーくらいある付録(アルファベット略文字の解説とか手紙の書き方とか載っている)や三浦しをんさんの特典小冊子(といいつつ文庫本くらいある)「広辞苑をつくるひと」もおもしろそうだしくらいの。

それを家で話したら実は母親がずっと買おうか迷っていたらしく、さっそく我が家は広辞苑を手に入れる運びとなった。

母親曰く、広辞苑にかぎらず辞典というのは「紙のうえでネットサーフィンしているような感覚」らしいのだが、なるほどなと思う。ひとつの言葉を調べたとき、かならずべつの言葉で説明してあるので、そのなかに知らない言葉があればまた辞典をめくる、めくると隣の項目が急に気になったりする…みたいな。「意味を知る」という目的においてはインターネットと変わりはないけれど、ただ検索ボックスに知りたい単語を入れて調べるのとは微妙にちがう。出会いがしらの衝突みたいな感覚で言葉と出会えるかもしれない。なにもかもが便利になりすぎていて、目的に到達するいちばんの近道が容易に用意されている時代に、わざわざまわり道や遠回りすることがたまにはあったっていいんじゃないかとも思えた。

とりあえず、前述したようにわたしはジャニヲタなので「じ」の項目を開いた。「ジャニーズ」は載っていなかった…(当たり前)。そこで「お」のページを開いて「おたく」をひいた。

おたく【御宅】

①相手の家の尊敬語。

②相手の夫の尊敬語。

③相手または相手方の尊敬語。

④(多く片仮名で書く。仲間内で相手を「御宅」と呼ぶところからの称)特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめりこんでいる人。「アニメ─」

 

広辞苑 第七版より

 いや、わかるよ?

言いたいことわかるよ。おたくであるわたしはめっちゃ笑った。

でもこれだと、なんていうかな、なんかすべてにおいて「これだからおたくは」って斜めに視がちな風潮止まんないよな。いや、もう単なる文字面から受けた感覚なので、うまく言語化できないのだけれど、たとえばなにか事件が起きたとき「人付き合いもなく、部屋にはアニメのディスクが積まれ…」とか安易に犯罪とおたくを結び付けがちなところとかね。言いたいことはすごくわかるし、ここに載っていることがすべてでもないし、むかし「おたく」に対してそういうイメージが多かったのかもしれないけれど、おたくだって時代とともに変わってるいるよね。

広辞苑」というある側面から見た言葉とそれぞれが抱くイメージは違うし正解はひとつじゃないけれど、ある言葉を端的に一般的に説明しようとするとき、ものすごく難しいと同時にそこにおもしろさがあるのだろうと思うとやっぱり言葉はかんたんにつかまえられる代物じゃないな、と思う。だからこそより知りたいし考えたいしおもしろがりたい。

今のところ楽しい活用方法として試みたいのが、どれくらいの項目があたらしく増えたのかということ。家にあるいちばん新しいものが「第四版」なので、ふたつ同時に順番にめくったらなにが増えているのか。ほぼ広辞苑の「こ」の字も知らないようなころに出たそれに載っていない言葉のなかには、今のわたしの生活に馴染みきっているものがつぎつぎ飛び出てくるだろう。刷新をくりかえし、変容していく時代の流れを言葉を通して実感することで、なにかまたひとつ、あたらしい景色を観ることができたら、とわたしはすこし期待している。

ホロスコープはかく語りき。

先日、創作活動について深く掘り下げてホロスコープを読んでいらっしゃる水煮さんという方に鑑定していただいた。わーい!!ホロスコープ鑑定初体験!!

 

▽水煮さんのブログ

hoshican.jp

 

ことの経緯は、腐りかけていた夏、今まで以上に異常に占いを読む→そのうちに個人のホロスコープというものが存在していることを知る→なんやかんや調べているうちに水煮さんの創作活動とホロスコープについてのブログにたどり着く→思いきって鑑定をお願いする、である。

約4年前に突然変異のごとく発生した「ジャニーズかわいい(^q^)」をひたすら呪詛のように書き連ねる場所として、ここ2年ばかりはてなブログに席を置いているけれど、べつにジャニーズがかわいくなくてもわたしはどこかでなにかを書いていたと思うし、これまでもそうしてきた。媒体としてブログを選ぶとき、なにかしらの着火材があるのが前提なので今はたまたまジャニーズ+αについて書いているけれど、もともとは創作活動に重きをおいていて、ここ何年かは二次創作しかしていないにしても、わたしはだいたいにして書くのがすきだし、書いていないとしぬっていうか、頭の中で渦巻いているものを文字にしないと膨れ上がりすぎた脳がたぶん破裂すると思う。それにじぶんが口で話すよりなにより文章がいちばん饒舌で、素直になりやすい手段だと捉えているからだという気がする。

けど下手の横好きって言うやん?それすぎてつらみしかないんだけど、頭の中にある感覚やイメージ、浮遊しているものをうまく表現できなくて、それに詰まったら止まるし、でもそこにこだわりたくて考えるうちに逆に散漫になって気分乗るまでほっとこって思ってたら2年くらい経ってた。たまに書いても結局PCに未完がたまっていく一方に…書いたらそれで満足じゃなくて創作したらやっぱり誰かに見せたいじゃん!は?承認欲求モンスター?うるせえ。

もう満足したのかなとも感じている部分もあったし、もういっか~~~~~って投げやりにもなったけれど、やっぱり継続したくて水煮さんにお願いしたんだと思う。でも、鑑定してもらうまでの数日間「いや、向いてないですね」とか言われたらブログも含めて書くことをすべて辞めようくらいの勢いでいた。だいたいが極端。オールオアナッシング、それが蠍座。どこかで読んだ。

過去に、友達に連れていかれて行った霊視ができるという占い師にくそみそに自分を否定されて以来、誰かに個人を鑑定してもらうのはもうたくさんだと思っていたし、雑誌の星座占いだけ読んでいいことだけ信じてますけど?というスタンスでやってきたので、おそらくなにかきっかけを欲していたのだと今となっては思う。

ちなみにわたしは個人のホロスコープを究極の個人情報だと考えているので、全体図を貼る??いやいやちょっと無理っすねwってかんじだから、太陽と月は蠍座水瓶座にいますとだけ。月星座は作風が現れたり、物語の落としどころとして活かせるそう。

 

いや…結果から言うともう

ホロスコープこわい。ほんとこわい。

言ってしまえば個人のホロスコープはじぶんが生まれた日と時間、場所における天体の配置でしかない。だけどその配置に思い当たることがいろいろと映し出されたらもう恐怖でしかなくない?信じるか信じないかはあなたしだい!ってレベルじゃなくて、「これ信じなくてなに信じるんだ?」(真顔)ってくらいのレベル。一生に一度くらいは、みんな見てもらってもけっこうおもしろいんじゃないかな?と思う。占いが当たるとか当たらないとか「そのうち~でしょう」「いつか~かもしれません」とか抽象的なものというよりも、こういう生き方をしやすいから、たとえば膠着状態になったときこうするといいよ、なぜなら…と理論的に答えを提示するのに近いかもしれない。理系っぽいっていうか。わたしの場合だと「人からの刺激で動くタイプ」「家の中でいろいろするかんじ」なホロで、それほんとわかりみと自覚しかないんだけど、だからこそ「外向きな活動してバランスとったり、フィードバックないと疲れちゃうよー」みたいな。このあたりは通常のホロスコープ鑑定でも言われたりするのかもしれないけれど、冒頭でも書いたように、水煮さんはそれらではなかなかフォローしきれないこと…創作するうえでの悩みだったり、自分の強みや武器だったり、具体的な時期とかも、いろいろな角度からアドバイスをいただいた。

とりあえずまず「そろそろ世の中に出せよ」(ニュアンス)って言われたので「できない」とか「は~~~無理」「時間が…」とか言ってないで出そう。

「エネルギーの使い方、配分がテーマ」っておはなしが出て、あ~~~それ原因のひとつかも、って感じた。要は配分が下手くそだから時間もないし情熱がさまようんですね…っていう。ひとつのものにエネルギーをかたむけると、それ以外へ注ぐエネルギーをほぼなくす。オールオア…だから仕事仕事ってなってると、創作への情熱が涸れるし、たぶんそれがこの2年だったのかなあとも思いあたったんだけど、実際の水煮先生の心中はいかに。ジャニーズ見て「はい、かわいさの極み~~~~~~~」とか毎晩IQ溶かすのは同時進行できるけど、それたぶんたいしてエネルギー使ってないんだろうな。まあIQ溶けてるくらいだし。

じゃあいっそのこともうそういう場面で「いやそれは無理無理、わたしこっちにエネルギー使いたいんで」とかたまには自分のモンペ発動させるくらいの勢いでもいいのかな…?と思って

「それって無視しちゃってもいいんですか?」って聞いたら

「いや、無視はできないと思いますね」って返ってきて、だよねーーーーーーーーーーーーーーーってなった。だからこそ自ら考える必要があるわけで。極端なエネルギーの使い方をしていることは心当たりがあるので、もうちょっと、こう、柔軟になれよ!ってかんじか…あわわ…あたま固すぎな。

 事前に作品をお渡しするとそれを踏まえたうえでさらに鑑定してくださる。じぶんがこれまで苦手だと感じていたことや、なかなかうまくいかずにずっと模索していた面に実は風っぽさ(水瓶座のエレメント)が出ていたり、蛇足なのかもしれないけどなくしたくないっていう謎のこだわりの部分をちゃんと書くことがモチベーションにつながったりもするよというおはなしもあって興味深かった。わたしはホロスコープを読めないので、まちがっているかもしれないけど、もしかしたら水(蠍座のエレメント)から眺めるから苦手だと感じたり「あーーーーこれじゃあだめだーーーー」とぐしゃぐしゃしたくなるのかなってイメージなのかな?と思った。かといって意識的に風から眺める方法なんて具現化できないけど…あとは、書きやすいテーマみたいなことも具体的に伺える。

「マニアックな人に向けて」ああ…言われたらなんかすごく納得しかない…「物議をかもすもの」それ書きたいな思いつつ(道徳的に反してるから…)と思うとつい封印しがちなやつ…「理想を押し付けられているひと」「犠牲になっているひと」なんかわかる…すげえわかる…そういうひとや作品すき…そういう解釈にたどり着きがちなキャラクターすきになったりもする…あっ「アイドルとかいいかも」って言われた!アイドルの苦悩…?浅井リョウ先生の「武道館」とか綿谷りさ先生の「夢を与える」とかが脳内にぽんって飛び出てきた…というかあれ?わたしアイドルをすきになったのって少なからずそういう影の部分にも魅力を見出していたのかな。無自覚の意識だけど。

と、まあこういう濃いはなしを1時間聞ける。すごくおもしろい。ちなみにSkypeでの通話鑑定だと3000円。水煮さん、この密度でこの設定は安すぎでは…?

創作以外のことも訊けるということで

「わたし、仕事で成功しますか?」

と大味な質問を投げてしまい、

「すごい質問ですね、なにを持って成功と言うかわからないですが…」

と水煮さんをたいそう戸惑わせてしまった。

おもに給料面の不安から転職をずっと迷いつつでもいまの仕事すきだしな~とかこのまま行っていいのかなとかそういう悶々とした悩みを抱えているのが現状なのだけれど、あとあと考えると「あーこの仕事選んでよかった!」って満足して死ねるか、じぶんの全力を出し切れるのか、そしてプラスアルファとしてそれが安定をもたらすのか、ということが訊きたかったんじゃないかと思う。

 「華々しくどこかの企業で活躍するというよりは在宅が向いているかも」

「えっいま接客業…!」

しかもどこかの企業で…!やっぱりまた転職目論んだりするのかないつかのわたしw現状ではなんの想像もつかないw最後にじぶんがどうなっているのはまったくわからないし、それはそんときってかんじだけど「他人に合わせない人生」がテーマ的な部分っていうのには「(わーお)」しかない。実際あんまり合わせてないけど、変なところで合わせたり変に気を使って、結果として「なんだこいつ」ってなってること多いかもしんない…人付き合い下手すぎるんだよな…やばい書いててつらくなってきた。

いや!でもここ一年がんばりどきって言われたからぜんぶ含めてがんばろう。5年後あたりが大きく動く年だからたのしみですね、とも教えてもらったし!

とにかく今回はとても貴重な体験をさせてもらって感謝です。

こんなはじめてを経験することになるなんて、ほんと人生なにが起こるかわからない。

でもそれもホロスコープには出ているんですよフフ…とかもし言われたら、やっぱりホロスコープはこわい!!

 

 

おたく的備忘録②ジャニ活まとめ2017

今年、ジャニーズに割いた時間が多かったのか少なかったのか1年経ってみるとよくわからないけれど、いまのわたしの人生を構成しているものの一部に確かに「ジャニーズ」というものがあって、異質だったそれはいつのまにかとても馴染んで当然になっている。そして年々過ぎるのが早くなる1年を右往左往しているうちに、わたしは無意識的にジャニヲタ歴を更新していく。そろそろ5年くらいになるので飽和してくる可能性もあるはずだが、気配もなく今年の12月も年末の歌番組観て紅白観てカウコン観ているのだろうし、来年も新しくリリースされるものやコンサートを心待ちにしながら日々の仕事をこなす自分が想像できる。まあキスマイとかツアーあるのかはわからないけど…

たまにふと「どうしてジャニーズが好きなんだろう」と浮かぶときがある。そんな意味のないこと考えても答えは出ないから、たいていうやむやにしてわたしはまたあの世界に飛び込んでいく。たぶん理由なんてそれほど重要じゃない。このあいだ休憩中に、更新されていたクリスマス&新年のメッセージを顔を浮かべながら上から順番に見て「ジャニーズって控えめに言って最高じゃない?」とか思っていた。おたくちょろい。ひとつのメッセージをとっても個々が垣間見えたし、それぞれが個性的でジャニーズって奇跡の集合体だな?とか考えてた。

それはさておき、まず2017年の楽曲ベスト3から。

 

■2017年の楽曲ベスト3■

赤い果実/Kis-My-Ft2

赤い果実(DVD付)(初回生産限定盤A)

赤い果実(DVD付)(初回生産限定盤A)

 

 今年のキスマイのシングルはわりとどれも好きな路線ではあったんだけど、「赤い果実」に関しては2017年わたしチャートにて2017年末ギリギリに初登場1位に躍り出た。自分みたいなファンにとってはけっこう力技的でもっていかれた印象。とくにサビのメロディとフレーズが素晴らしい。これはわたしの、所謂萌え属性的なもののせいもあるのかもしれない。

赤い果実が成る丘に 今 駆け上がろう

とか言われたら手を取り合って(とは言ってない)駆け上がりたいし、

届きそうで 届かない未来は 僕が取ってあげる いいだろう?

いいに決まってる(むせび泣き)。ってなる。

まじめな話、前々回に今の自分はキスマイ担とは自信を持って言えないから担当を持たないこともひとつの選択肢じゃないかというようなブログを書いたわたしが言うのもどうなのか?とも感じるけれど、キスマイって今年はなかなか厳しかったんじゃないかな、と。で、そういう状況でも「届きそうで 届かない未来は僕が取ってあげる」っていうのはなんだろう、いつもみたいにしんどい、って言葉でまとめるのは簡単だけど、そうじゃなくて、「ベストヒット歌謡祭」ではじめてちゃんと歌詞を見て、もうなんて言ったらいいかわからなかったし、2番とラストのサビに出てくる

僕の心には君が必要だ

 このフレーズには言葉を失った。重すぎる。これまでのシングル曲においてここまで”今キスマイがこの曲を歌う意味”を感じたことはなかったかもしれない。これはあくまで個人的な解釈なのであしからず。つーかこうやって勝手に意味を見出だしたり、解釈沼にはまったりしてまた重くなるのを本当はやめたいんだよ!!

にしても、こういう毒っ気が効いた曲はこれまであまりなかったのでは?らしいんだけど新しい、みたいなかんじ。おたく的にいえば「ベストヒット歌謡祭」のときの藤ヶ谷くんの最後のキメ顔も、前髪で目が隠れがちアンニュイなMステの藤ヶ谷くんにも心から震えました。くっそ、やっぱかっこいいな。

それと初回限定盤Bのゆるスポーツ選手権は最高です。とくに玉森くんが。

中越しのチャンス/亀と山P

背中越しのチャンス(通常盤)

背中越しのチャンス(通常盤)

 

 修二と彰のときはおたくではなかった。その12年後にまさかテレビを視ながら「かわいい;;;;」を連発していることになるとは…人生ってこわい。

まず亀と山Pっていうユニット名がパワーワードすぎるし、CDの売上市場に違いはあるにせよ12年前も今も1曲を一発で最前線にぶちあげられるこのふたりが純粋にすごいと思う。ふたりのユニットの復活は2017年のジャニーズの重大トピックの中に間違いなく入るという側面からもこの曲は絶対に外せない。にしてもこの曲の歌っている番組の録画を観るとだいたい「かわいい」しか出てこなくて困る。IQ溶けてる。

「は~~~かわいい~~~かわいいよ~~~」言いながら毎度振り踊ってしまうわたしはきもみしかない。

Tokyo holic/関ジャニ∞

なぐりガキBEAT(通常盤)

なぐりガキBEAT(通常盤)

 

 「関ジャニ‘sエイターテイメント」のBDを観た感想の記事に書いたので詳細は割愛するけど、主にテレビというメディアにおいての関ジャニ∞のイメージを色濃く受け取っていたわたしに、それだけではない彼らの魅力やすごさを知るきっかけを与えてくれた楽曲。あと今年、世間におけるジャニーズアイコンとしては、関ジャニ∞が無双していた1年だったように感じる。

ほかにはV6先輩の「Can`t Get Enough」やKinki先輩の「The Red Light」もむちゃくちゃかっこよくてすき。

 ■2017年ベストアルバム■

▽ジャム/関ジャニ∞

ジャム(通常盤)

ジャム(通常盤)

 

 この1枚だけでしんどかった夏を越えた。ぶっちゃけこれなかったら今いたかなってくらい。たぶんジャニーズ外のアルバムいれてもやっぱり今年のベストアルバムに選出するかなあ。色々なアーティストからの提供曲とかメンバー作による楽曲とか収録順とかそういう技巧的な面でも高い完成度だと思うけれど、自分にとってはそれ以上に重要な意味を持ったアルバムだったし、この1枚にたしかに救われた日々があった。どうしてこのアルバムだったのかは今となっては理由も定かではないけれど、音楽ってそういうものだよなって思う。

 ■現場まとめ■

▽5月21日:Kis-My-Fts LIVE TOUR 2017 MUSIC COLOSSEUM@静岡エコパアリーナ二部

大混乱、大騒動のまま(いろいろな意味で)突入した今年のキスマイのツアー。倍率高いツアーだったのに盛大にディスなブログ書いてごめん。「愛ゆえ」にが強すぎた。このツアーは回を重ねるごとにいろいろと変更点が出ていたようなので、最終的にどんなかたちになったのかは来年のDVDで確認しようと思う。ただひとつ今も思うのは、キスマイはやっぱりドームが似合うよ。

▽8月5日:関ジャニ'sエイターテインメントジャム@ナゴヤドーム

ご縁あって参戦できることに。はじめての関ジャニ∞、凄まじかったです。バンドすげーなんじゃこのグルーヴ感ジャニーズって一瞬忘れたわやばいーからのアイドルかわいーしんどいーさすがジャニーズってかんじ。語彙力持たないおとなでごめん。「生きろ」泣いた…景色が開けていくように広がる声に細やかに感情が乗って振動して、スタンド後方までまっすぐに差す光みたいに届いた。あの不思議な感覚はちょっとなかなかない経験かもしれない。

▽10月13日:KAT-TUN KAZUYA KAMEMASHI CONCERT TOUR 2017 The ー〜follow me〜@静岡市民文化会館

さすが亀梨和也…KAZUYA KAMEMASHI…濃密な二時間。徹頭徹尾プロすぎて度肝抜かれた。一分の隙もない完璧なパフォーマンス、ステージングってああいうことを言うんだなと。MCや映像演出のときには客席に話しかけたり、ステージに寝っころがって一緒に映像観ていたりしてナチュラルなんだけれど、そういうものも含めてその日にしかありえない一公演としてきっちり完結している。だから終演後これ以上ないくらいに充足感に満ちた。亀梨くんはすべての公演で毎度全員を幸せにしているのだろうなあ。

▽11月21日:中丸君の楽しい時間2@梅田芸術劇場 シアタードラマシティ

 中丸くんの頭の中をそのまま再現したような舞台、という印象を受けた。他人の脳内は計り知れないけれど、ここは彼の思考や感覚が実に縦横無尽に忙しなく動いているのを垣間見ることのできる場所、のような、自由度の高いアーティスティックな面と緻密に計算されて理論的に繰り出される表現が混在しているような興味深い空間、時間。コンセプトは「自分が楽しいと思うことをひたすらやる」だそうだけど、それを実現しつつ細部まで考え尽くされているエンタメだと思った。パンフレットも抽象的だったり具体的だったりするイラストや写真表現、技法を使ったり、新川さんのイラスト等中丸くんのやりたいこと楽しいこと嬉しいことを盛り込みつつ、ファンの見たい聞きたい知りたい需要に応えきっているような内容に、感覚と計算がすごいバランスで成り立っている人なのかな、と感じた。

以上、現場は4回。キスマイに何度か入っていたことを考えると例年より少なめかもしれないけれど、今年は新しいものをいろいろ観ることができて楽しかった。地元よりも遠征が多かったなあ。車でなんなく静岡に行けるようになったし、はじめて「さわやか」のハンバーグも食べた。よく名前は聞いてたけど、あんなに街の中に点在する店だったなんて…(笑)ナゴヤドームはちょうど夏休みがとれて連休だったのもあって、前日の夜にグッズだけ買いに行ったりもして、あの日のあの奇妙な熱をもったテンションはきっとあの夏の日にしかなかったものなんだろうと今思ったり。こうしてひとつの事柄からできごとが幾重にも結びついていくのはやっぱりおもしろい。ジャニーズすきじゃなくても、関係ないところでもそういうことはもちろんあるんだけど、すきになったからこそ味わえてるものもあるって考えるとなんか楽しい。こうなっていなかった道を知ることはできなくて、こうなった自分しかわからないまま積み重ねていく人生の妙っていうか。や、なんかそんな壮大な話じゃなくていいんだけど「とりこぼしたくない」って感覚は年々強くなってる気がする。拾えるものぜんぶ拾ってわたしの人生って言いたいっていうか。いちいち大げさ。

来年はどんなことが起きてどんなことが待っているのかはわからないけれど、とりあえずわたしは「ジャニーズ」という楽しむ武器を持って2018年に突入していくのだな、とは思っている。がんばりたいことがたくさんあったし、これからもある。それに邁進しようとするとき、胸のどこかで力や癒し、ときめきをくれるジャニーズの皆さん!いつもありがとう!来年もよろしくお願いします!