舞い散る日々のなかで踊れ

散財していくタイプのおたく。

未来は僕らの手の中。

 12月6日、帝国劇場に行ってきた。

ジャニーズ・オールスターズ・アイランドのことを書いておかないと年を越せない気がして、大掃除途中のぐちゃぐちゃの部屋でキーボードを叩いているのはたぶん現実逃避だ。掃除しろよ…

 勝手なはなしで申し訳ないのだが、これまでドリボしかジャニーズの舞台を観たことがないじぶんとしてはこれだけの人数が出る舞台はトンデモ設定になるに違いない…なにせ【~宇宙からの手紙~】だ、カオスの極みになるのでは、と想像していた。「ジャニワがカオスだった」みたいな書き込みをいつか見かけた記憶がずっと残っていて、ジャニーズの、とくに若手による舞台はカオスなんだなあとどこか決めつけたように思っていた節がわたしにはある。

JUMPの「SUMMARY」のDVDは観たことがあるのだが、JUMPのコンサートの位置付けという感覚が強く、とりたてカオスでもなんでもなかったし、むしろエンターティンメント満載のそれに感動すらした。二年前に一度だけ観たドリボも同じ。それなのに今回はなんだかそう思い込んでいた。失礼にもほどがある。

以下の感想はネタバレを投下するので、知りたくない方はお気をつけください。

 

 

事前のネタバレは避けるタイプなので、初日のニュースやWSも目にしなかったしうっかり被弾しないようにグッズの詳細すら検索しなかったため、なにもわからないまま帝劇に向かった。ただ初日に東山さんがゲスト出演し、翌日には光一くんも、という話を「これはネタバレじゃないから言っても大丈夫だと思うけど~」という言葉のあと聞かされてはいたし、今後もいろいろな人が来るかもしれないということだけは知っていた。それは軽いネタバレではあったけれど、毎公演すべてに誰かが来るわけじゃないだろうから、来たらラッキーだな~なんて、ひとりで開演を待ちながら考えていた。ジャニーズの現場はたいがい妹と入っているのだが、休みの都合で彼女は翌日の観劇だったため、今日観たことは明日になるまで話せないな…となどと思いつつ、淡々と席で過ごしているうちに開演の時間になり、目の前に飛び込んできたのはかの有名なジュニアマンションだった。無表情を決め込んで舞台を見つめていたのだけれど、頭の中は「じゅ、ジュニアマンション~~~~~!!!」と興奮していた。ジャニーズの舞台に免疫がない人間ゆえに、初めて生で観るそれにもはや伝説を目撃したと言いたいくらいの勢いで。むかしテレビのドキュメントかなにかでジュニアのリハーサルに密着する番組があったように記憶しているのだが、そのときやKAT-TUNのライブのDVD、つまり映像でしか観たことのなかったそれが広がる景色に純粋に感動した。そこで順番にグループが紹介されたあと、小さなジュニアたちも含めて出演者の全員が舞台に立っていたのではないかと思うほど舞台上にジャニーズの面々が並ぶOPは華々しく煌びやかなのにどこか夢うつつな心地がして、またそのきらめきが刹那的すぎてこっそり泣いた。

その中に自担が立つことのなんて眩しい!

息が詰まった。おそらく何秒か呼吸を忘れた。わたしは帝劇に立つ藤ヶ谷くんを観るのははじめてなので彼がこれまでどんな風にジャニーズの舞台で表現してきたかは知らない。それでも一万字で「ジャニーズであるというだけでフィルターをかけられてしまう」ということを小栗旬さんに相談した旨を語り、ここ数年、それを打ち破ろうとしてきたであろう彼が全身でジャニーズの舞台でジャニーズのエンターティンメントを表現する様はちょっと言葉にならないものがあった。

長年培ったものを一度スクラップし、再構築することは時に積み上げた経験値さえゼロになる可能性も孕んでいる。それでも外部の舞台に立ち、そこで得たものをビルドアップしたうえでジャニーズの舞台に戻ることで、溶け込んでいるようでどこか違った風を纏う存在として作用していた気がする。これが彼の言う「違和感」なのかもしれない。

 そんな華々しいOPの途中で事故のトラブルが起こり、騒然となる舞台で「舞台は始まっている、幕を降ろすな」(メモとかとってないのでセリフ曖昧)と言う藤ヶ谷くんと「このまま続行はできない」と言う玉森くん、そしてプロデューサー役である内くんが「Show must go on」と。インタビューでジャニーさんがよく言うとか教えみたいなことは読んだけれど、これはSHOCKやジャニワでたびたびある演出で、ジャニーズの舞台に貫かれている精神らしい。不勉強で知らなかったのだが【Show must go on ジャニーズ】で調べたらジャニーズの舞台における「Show must go on」の変遷を解説されている方がいて知った。

繋ぎ目の詳しい記憶がぼんやりしているのだが、ショービジネスの世界ですでにスターとして活躍する藤ヶ谷くん&玉森くんと、それに続く勝利くんがいて、そしてそのつぎを担うジュニアたち若い子はじぶんたちが先輩たちのようになるにはどうすればいいのか、どう進んでいくべきなのかもしくはどう生きるべきなのか悩んでいて、それを玉ヶ谷が導いていくようなストーリー。

ここで明らかになるのが、藤ヶ谷くんは「歴史には悲劇や悲しみ、痛みや不幸があり、それを知り、そこから学ぶ必要がある」ことを教え、玉森くんは「悲しみや不幸ばかりではなく、それを乗り越えて発展し開ける明るい現在や未来がある」と導くふたりの役どころ。なんというかネガティブとポジティブの体現者というかんじ。

よろこびじゃなくてかなしみ、光よりも陰。そういうものが彼をよりつよく、うつくしく際立たせるように感じる。テレビや雑誌に出ていて笑っていても、どこか仄暗さが見え隠れするというか。

これはたいぶ前に「アイドルとイメージソングのはなし」の記事で書いた藤ヶ谷くんの個人的イメージなのだが、 じぶんがそう感じているからってだけかもしれないけれど、彼はやっぱりネガティブのほうだなあ、と思った。役どころが逆だとしたら、それもそれでちがう彼らを観ることができたとしてもやはり逆じゃない…?と思ってしまっていたかも。

すこし早口の硬い声で多数の自然災害や事故、繰り返されてきた戦争の悲劇を語る藤ヶ谷くんと、いやいやでもね、明るいこともあるんだよ?文明だって技術だって発展するんだよ?とあくまでそれを乗り越えた先にあった歴史の輝かしい側面を見せるようとする玉森くん。どちらにせよそこから「今」に繋がっていること、今をみつめるということを言いたいのだろうけれど、ふたりが対照的で両極端で「お前とは合わない」という印象を抱いているのが興味深い。

Snow Manによる壁フライングや、総出演じゃないにしてもグループ混合、大勢のジュニアでによる和太鼓演出(たぶん和の歴史を学ぶ的な…?)はまさにジャニーズのショーというかんじで圧倒されていたのだけれど、歴史をひとつひとつ紐解き、それを舞台で見せていくにつれ、1幕の途中で「これはすごいものを観にきてしまったのでは…?」と思い始めた。これまでジャニーズの舞台をいろいろずっと観てきている方からすれば、いつもこんなもんやでってかんじかもしれないごめん。

太平洋戦争における特攻隊や東京大空襲、原爆の悲劇、そしてそのあと、戦後の復興から高度経済成長を遂げた日本で開催された東京オリンピックを舞台でジュニアくんたちが表現しながら辿る時間の旅に込められたメッセージが強烈で、ここまでストレートに表現するのが衝撃だった。あくまでエンタメショーとして見せながら、そこにジャニーさんの思想や想いが色濃く反映されているように感じ、1幕が終わったときにはどっと疲れていた。これだけ強いものは受け取るほうもそれなりの力が必要だった。と言いつつ、1幕の途中で勝利くんが横を通っていったのだが、つい鼻をすんすんさせて通ったあとの残り香を確かめてしまうとんだキモヲタぶりを発揮してしまったことを思い出して今若干自己嫌悪に陥っている。いい匂いだった…なんか甘いかんじの…

1幕中にキスマイふたりのソロもあった。藤ヶ谷くんのソロは、ひるがえる系布のある黒いジャケット(しぬやつ)で椅子を使いながらジャジーな曲を踊るのだけれど、1幕のなかで笑顔を見せたのはこのソロの曲のときだけだと記憶している。役柄上、表情が硬くツンとしていることが多い中、このときだけは自由な表情になる。それがまた最高なんやて…頭のてっぺんから指の先まで藤ヶ谷太輔…すき…(きもい)

玉森くんはオーバーサイズっぽい白いトップスに黒のサルエル?なボトムだったと思う。EDMっぽい曲で「Dinga」だったかな曲名…サビもDingaDingaってフレーズだったような…パンフレットにプログラムの記載がないので、曖昧。わたしはEDMと玉森くんの親和性については絶大に信頼を寄せているので、文句なしで素敵だった。

 ふたりとも戦争やオリンピックのステージの導入部分に出てくるのがメインで、出番自体は少ないけれど、若者たちの先を行く者として存在感はふたりがこれまで培ってきたものそのものだし、彼らにもかつて思い悩んだ時期があったのだと思わせる説得力もあった。

 

この日のゲストはA.B.C-Z。幕間の直後にゲストステージがあるとは知らなかったので、突然Za ABCのイントロが始まったときは(え、あれで終わり?ショータイムやるの??)と混乱した。そうしたら星形を作りながらせりあがってきたのがえびちゃん本人だったからさらに混乱した。橋本くんに促されるままに、なぜに???と疑問符だらけの頭で手拍子をしている途中でこれが例のSPゲストによるステージだと気がついた。だいすきな「Vanilla」聴けたし、えびちゃんのパフォーマンスを直接観たのがはじめてで、混乱が去ったあとにじわ~と幸せとうれしさが広がった。

トークタイムは河合くんが絶好調で「俺玉森と藤ヶ谷と話したいんだけどいつ出てくんの?」とか「明日のゲストは横尾渉と犬が来ます」って言っていたり、塚ちゃんが「丸いのに入ってフライングするんでしょ?ワイドショーで観た!」って無邪気に言って永瀬くんに「ネタバレやめてもらっていいですか」って突っ込まれてたり…おもしろかった。

このゲストステージのあとに「よし宇宙いくぞ」ってなるんだけど…ちびっこジュニアたちに見送られていたのは1幕ラストだったか2幕スタート時だったか覚えがないんだけど、

宇宙には未来はない

しかしそれを知るためには

一度宇宙を見なければならない。 

(1幕のラストに客席へ舞い落ちてきた落下物の手紙より)

ということらしい。宇宙から手紙が来てそういう流れになるのだけれど、急にトンチキのにおいがした。とはいえ確かにわたしたちには知らないことが多すぎるし、知らないことさえ知らないのだから、きちんと見なければそれが正しいのかそうでないのかさえもわからないよなとわけのわからない納得をしておいた。

宇宙には内くん扮するプロデューサーのお父さん(エンターティンメントを教えてくれた人=ジャニーさんっぽいなあと思った)がいて、そこでもまたタイタニック号やヒンデンブルグ号の悲劇を見せられる。玉ヶ谷も出てくる。君らも宇宙きてたんかーいってなった。

これも人類が遂げてきた革新的な文明や技術の発展と、その発展と引き換えに起きてしまった痛ましい事故ということなのだろう。成功の影にはいくつもの失敗と犠牲があるということかな。それと「人間は海と空も支配しようとした」というようなセリフに見える人間の傲慢さ。圧倒的な自然の前では無力で、わたしたちはただこの地球に生かされているだけなのにね…

結局過去からきちんと学ばなければおなじことを繰り返すばかりでなにも変わらないのではないかと思わせるそれはまるで、過去を学びそしてそれを省みて活かさない者に今や未来を生きる資格はないと言われているようだった。刺された。

このパートでは岩本くんがほんとうに印象に残っている。ヒンデンブルグ号のくだりでドイツの軍人に扮しているのだが、いや、うますぎて驚いた。板につきすぎている。Snow Man自体わりとこの舞台の要を担っていて、ストーリーとしてはやはり平野くんをはじめとするKingが中心(というか平野くんが主役っぽいと感じた)なのだけれど、凄まじい存在感を発揮していた。ジャーニーとアイスクリームでキスマイのバックについてもらっていたこともあり、ライブでのパフォーマンスは何度も目にしていて、そのハイパフォーマンスぶりには目を見張るものがあるうえに、「すの日常」の更新をたのしみにしているくらいには好きなのだが、舞台を観たのははじめてなので、本当にびっくりした。後日、岩本くんがスノのパフォーマンスを考えるときにシルバニアファミリーを使っているらしいということを小耳にはさんで「岩本くんがーーーー!!かわいすぎる件についてーーーーーー!!!」と叫びたい衝動に駆られていたところに先日「モシモノふたり」の放送でシルバニアと戯れる岩本くんが真実であったことを知り、もはや2017年一番目が離せないジュニアになってしまった。これがバズるってやつか(たぶん使い方ちがう)

それともうひとりとても印象深いのが京本くん。舞台に出てくるとすごく目を引く。あとみずきくんかわえ…少クラを観ていてもおっきくなったなあと思うのだけれど、実際に目にするとミニマイのときはまだ小っちゃかったのになーと不思議な気持ちになる。ほんとうはひとりひとりきっちり観たかったけれどなにせ人数が多すぎてな…目が足りない案件…

宇宙にあるのは過去の遺物でありそこに未来はないことを認め、生きるべき場所は地球であり、進むべき場所はそこにしかなく、そこですべきことがあると気がついて活路を見出していく…かと思いきやそうではなく、やはり見えないものへの不安が強いのか、なにかしらを前向きに獲得していこうとする仲間たちへの焦燥なのか、高橋くんが「もう地球に帰る!」「俺らと先輩は違うんだよ!(ああはなれない的な意味で)」と投げ出すように言ったことから、平野くんの母親の話へ、その後宇宙には何もないことがわかった皆が地球に帰ろうとしているとき、宇宙に残りたい、まだ知りたいことがある、内Pのお父さんといたい、帰れないと叫ぶ勝利くんの父親の話へ突入していく。

ふたりのあまりにリアリティを帯びた演技にこれはまさか実体験ではないのか?と慄いた。終演後に初日の記事を見たらやはりそうだったようで、これはそうとう難しい問題だという感想を抱いた。

エンタメはエンタメであって見世物ではない。個人の人生の悲しい事柄を切り売りするような演出を良しとするか否とするか。これについてわたしは正しい答がよくわからない。自担であったとしたらやはりそれを演出にしてしまうことに複雑な想いを抱くかもしれないし、憤りを覚えるかもしれない。とくに肉親の死は、良好な親子関係であればなおさらだし、仮にそこにどんな複雑な事情や関係が構築されていようとも、実際に直面すると本当にどうしていいかわからなくなる。悲しいとか辛いとかそういう通りいっぺんの感情よりも「もういない」という現実がまったく捉えられない。いないことが信じられない、どうやって信じていいのかわからないとでも言うのか…そして「あのときこうすれば…」「もっといろいろ話しておけば…」「なにか方法があったはずでは…」というどうしようもない後悔の念が噴き出てくると、胸に穴があいたみたいになってそこを冷たい風が通り抜けてからだが縮むように震えるし、瞬間的に頭から血の気が引くような感覚に襲われる。正直じぶんは何年経ってもそこから抜け出せない。だからこそあの若さで彼が、そしてたったの3か月前のことをわざわざ舞台で、観客の前でそれと向き合わなければならない意味はなんだ?と問わざるをえない。

ただ、個人的には演劇にしろ小説にしろ音楽にしろ創作には思想が色濃く反映されるもので、というか思想そのもので、思想は日常であり、日常には生活や社会があるのではないか、と考えているのでジャニーさんがそれを演出として入れると考えたこともなんとなく理解できる気もする。本心のところはもちろんわからないけれど。創作したり表現したりすることに、日常や生活における体験は密接に関わっていて、そうした個々の悲しみや喜びの体験があるからこそ、そこに深みや奥行きが出るのでは…とも。

また、長い歴史や多くの人類のうえに横たわる悲しみを描いてきたこの舞台も、忘れてはいけないこととはいえやはり体験してきたことではないのでリアリティに欠ける部分があるのは否めないし、漠然と悲劇の羅列を眺めているだけにすぎない面もあるけれど、最後に個人のそれを描くことで「今」や「生きる」ということをつよく鮮明に映しているようにも感じた。

とはいえ、父親の死に直面し「どうしていいのかわからない」と泣きながら振り絞るように演じていた勝利くんと、闘病中のお母さんが脳腫瘍の手術を受けるときに東京で仕事をしていた平野くんの言う「じぶんだけがこんなことをしていていいのか」は重すぎる。たとえ彼らが舞台でそれと向き合い、乗り越えようとしていたとしても、悲しみや苦しみにふさぎ込んで立ち止まって、けれどいつかは受け入れて進んでいかなければいけないとしてもだ。

が、悲しみや苦しみを背負うすがたは、美しい少年(いや、青年か)をより美しく映すのだということを不謹慎だとは思いつつも感じてしまった。

このパートはジャニアイにおける一番のカタルシスだと思う。

正直なところこの場面は強烈で、そこからどんなふうに大団円に向かっていったかほぼ記憶が途切れている。気が付いたらジャニーズのはじまりやジャニーズ交遊録自慢…?と思わず言いたかったエンターティンメントにおける著名な方々との出会いなどが語られたり、エンタメの中心はTOKYOにある、TOKYOを目指せってことで「レッツゴートゥトーキョー」なる歌が歌われたり、1幕でも歌っていたトニトニが再び。これは五輪に絡むの狙ってんな…でもきっと2020年へ希望を繋げんとする話なのだろうということはわかった。

 

それと全編のなかでとても印象に残っているのが「平和だからこそこういうことができる」と岩本くん(たしか)が言っていたセリフ。これって「SUMMARY」だったかジャニワ感謝祭だったか忘れてしまったけれど、山田くんのあいさつにもあったし、このあいだのアナザースカイで中丸くんも言っていたことで、あたりまえのことでもあり、だからこそ忘れてしまいがちなそれをジャニーズの子たちはきちんとわかっているのだ、とぐっと来た。ジャニーさんが直接言葉にしているのかどうかは知らないけれど、舞台や演出を通して伝えたいことが脈々と受け継がれているのかもなと思えて、きっとこの舞台もジャニーさんが半生をかけて伝えたいことなのだろうとわたしなりに受けとった。こうして好きなものを観たり聴いたりして楽しみ慈しむことができる日もあれば、日々の仕事に忙殺されたり宇宙レベルでみれば大したことのない悩みや苦しみに支配されてしまう日もあったり、大切なひとがいたり出会いがあったりそういう人と笑ったり話したりごはんを食べたり、あれがほしいこれがしたいどこにいきたいなどと自由に思うこと…日常の細々で埋め尽くされたわたしの小さな世界はおしなべて平和だからこそ成り立っているということをわたしも忘れたくない。世界のどこかで実際に起きているように、平和は恒久ではないしとても壊れやすいものだということも、おそらくわたしはわかっているようですでにぬるま湯に浸かってしまっているのだと自覚することも。

おそらくそれと、ジャニーズのエンターティンメントの歴史すべてとを詰め込んだものが「ジャニーズ・オールスターズ・アイランド」だったとまとめて感想はおわりにしようと思う。もう一度観てきちんと細部を理解したり、じぶんの認識間違いを正したい気持ちはあるのだが、この日しか当選できなかったので一度で見納めとなりそうだ。だけど、この舞台はたくさんの方が観れたらいいのにとかジャニーズに興味のない人たちの目にもひょんなきっかけで留まればいいのにと思うきもちのほうが強いので、ロングランやDVDにならんかな…と願っている。4年前のわたしのようなひとにこそ「ジャニーズってほんとすごいよ!」ってうざい顔ですすめたい。

 

さて、2016年最後の現場がおわってしまったので、あとは31日のカウコンにてテレビの中の彼らと1年を締めくくりそして新たな1年を迎えるつもりでいる。

大掃除が切羽詰まっていて、特典映像盛りだくさんすぎるキスマイのライブDVDはまだ本編とマルチアングルしか観れていない。ハプニング集と「I Scream Night」まとめを早く観たいのだが、通常盤がまだ届いていないかなしみ。

とりあえず、アイスクリームナイトでみんなパリピしてるなか、濡れるの嫌がりすぎ顔険しすぎな顔気にしすぎなたいぴちゃんに草。そういうとき、たいぴ、笑顔やで!って思わずつっこんじゃうけど、そういうところもすきだよ、2016冬。

 

テーマはばらばらで落ち着きがなかったけれど、前年対比でいけば今年はけっこうこまめにブログを書いたほうなのですが、駄文なうえだらだら好き勝手言っているようなここを読んでくださった方、通り過ぎてくださった方、みなさまありがとうございました。