舞い散る日々のなかで踊れ

散財していくタイプのおたく。

10月11日のはなし。

わーいベストジーニスト賞殿堂入りしたよおおおおおおおおおおおおおめでとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

ってかんじで当日記事を書きたかったんだけど、いまさらになってしまった。どういうテンションで書いたらいいものか正直わからなくなって置いていたら一週間も時間がたってしまった。

あの日は朝にオルフェンズを観てたぎったままに感想をぶちまけて、あとはお昼の発表を待とうって思っていたらベストジーニストの結果を知る前にBOOM BOOM SATELLITESの川島さんが亡くなったというニュースを見つけて、あまりにショックすぎてベストジーニストがしばらく飛んだ。しばらくしてから結果を見て、嗚呼とれたんだなって安心して良かったって思ったんだけれど、悲しいきもちとうれしいきもちが混在する複雑な心境に陥ってどうしていいのかわからなかった。

人の死とベストジーニストという、介在するもののまったくないふたつのことがらを比べるつもりもないし、性質のちがいすぎるそれを一緒くたにかんがえるべきではないというのはまっとうなはなしだと思うが、ふたりともわたしにとっては「すき」というおなじ地平にあるものなので、感情の置き場がどこにも見当たらなかった。すきなきもちの発生源がぜんぜんちがうふたりではあるけれども、どちらもわたしの人生に「恰好の良いひと」として存在してくれている点においてはなにも変わりはないのだ。逆に言えば、比べたりできるものではないからこそ、こうしてどちらのできごともばらばらに、両極端な位置で胸の中に同時に落ちてくる。

虚無感のような心境の中でぼんやりと川島さんのことを想い「KICK IT OUT」をはじめて聴いて一瞬でつかまれたときの興奮を思い出しとまらなくなる一方で、殿堂入りできてすっごくうれしいだろうなあと藤ヶ谷くんのことを想うとうれしくなるのはどちらもまちがいでもうそでもなく、いったりきたりしてなんの折り合いもつけられなかった。

ただ言えるのは、プレイボタンを押せばブンサテはやっぱりかっこよくてしょうがないし、そこに嗚呼もう川島さんはいないのだな、という切なさが混じることになってもこれからも聴き続けることに変わりはないし、いつまでもかっこよくてしょうがないと思うのだろうと思う。そして、三年間の中で今年のコーデがいちばんすきだったしほんと素敵だったし「ジーンズには人生が出る」と言いすぎていじられたり戸惑ったりする藤ヶ谷くんのかわいさもプライスレスだし彼の夢を叶えられてよかったなあ職場のPCからも投票した甲斐があった(小声)と思えて、これからもわたしができるかぎりでの彼の夢を叶えたいなあと思う、そのどちらもまぎれもなくほんとうのきもちだということだ。

 

この記事に不快になる人がいたらごめんなさい。