舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

スマホを壊しただけなのに

スマートフォンがとつぜん壊れた。

よくある症状らしいが、わたしのスマホは、SONYdocomoのロゴをひどく熱くなりながら延々とくりかえして充電を使い果たした。数分間冷凍庫にいれてみたり、丸1日放置して再起動を試みたけれど、事態は変わらなかった。

さて、どうしよう、である。

多少重くなっていたとはいえ、前日までなにごともなく動いていたので、バックアップや引き継ぎの準備もなにもしていない。画像はSDカードに移していたけれど、電話帳はバックアップした覚えがない。加えて憂慮すべきなのが、2週間後に迫ったライブのデジタルチケットをすでにアプリで受け取ってしまっていたということだった。

4年ほど今の機種を使っているけれど、本体交換と画面修理を1回ずつしている。そのときは奇跡的に動いた一瞬を利用してバックアップなどをした。今回に関しては最悪すべてを失うかもしれない、と思った。

もしもLINEの引き継ぎが無理で、電話帳もなくなったら…と仕事中にずっと考えていた。Facebookもしていないし、Twitterなども現在は匿名でやっているのみなので、リアルと繋がりはない。とたんに世間から隔離されていくような感覚に陥ってうろたえたけれど、よくよく「なにがなんでも連絡をとりたい人」にフォーカスしたら、それほどはいないよなって思って、そのひとたちの連絡先を知る手段が見つかれば、電話帳は諦めようという境地に達した。

なんか人生出直そう、って心境になった。

もしもばったり会うことができて、携帯壊れたのって伝える機会があればありがたいけれど、不可能なひともいる。でもそういうひとってそもそも連絡とらないしな…いや、もうきっとそこまでだったんだと、潔く諦めることを決めた。

むしろ、たかが電話ひとつにふりまわされている状況にはっとし、いや、もう(文鎮化するくらいなら)スマートフォンいらねえよって投げやりにもなったし、今日電話が壊れているとしても、このさき新しく誰とも出会えないわけでも話せないわけでもないだろう、そんなの電話の有無とはまったくべつのところで生まれることじゃないか、と、謎のポジティブを発揮しているうちに、スマートフォンが使えない状況に慣れていた。

スマートフォンが壊れると、ほんとうにスマートフォンはもはやわたし自身だな、と感じる。どういう人生を歩んでいるか、この世の中でどういうかたちを為しているのか、そしてそのかたちをどう世の中に預けているのかはっきりとわかる。ふだんから、スマートフォンはわたしに添うように、機能の幅を狭めていて、もしかしたらスマートフォンとしての機能を100%発揮できないわたしの元でストレスを溜めた結果、よく不具合を起こすのではとすら疑った。

考え抜いたあげく、なんとか連絡がつく手段とネットワークに心当たりができたので、あとは問題のチケットである。これに関してはアプリ元に問い合わせたら、代替機からログインしてから連絡をくれ、と言われたのでチケットが大丈夫なことはほぼ確定し、もう初期化してもかまわなくなり、Xperiaコンパニオンから修復するか迷ったものの、これ以上なにか起きたら困るのでおとなしくショップに持って行った。

代替機を借してもらい、LINEをインストールし、ログインするといつもどおりの友だちリストが画面に表示され、未読のメッセージは読めた。電話番号を変えなければ旧端末で引き継ぎ設定をしていなくても大丈夫だと知らなかった。電話帳も、クラウドの同期をしてみたらなにごともなく元に戻った。

安心すると同時に、どこか拍子抜けしたようなじぶんを感じ、もしかしたらわたし、なにもかもを手放したかったのかなと思った。

手放したい、と思うことのなかに誰かの連絡先が含まれることがものすごく失礼な話だととられるかもしれないけれど、手放したいのは誰かや誰かの連絡先そのものではけしてなく、わたし自身だ。わたし自身の過ぎたもの、イメージ、抱えてしまった不要なもの。

まぎれもなくこれまでの積み重ねと、そのときどきまわりにいてくれたひとのやさしさがあったからここまで生きることができている自覚はあるけれど、わたしはつねに今が好きだ。じぶんのことを、人間向いてね〜と常々辟易したりがっかりしたりしても、昨日知らなかったものを今日知ることや、1時間前にはなかったことが5秒後に起きて、もうそのまえのわたしには絶対戻れずに変質している、という生き物的感覚はわりと気に入っていることのひとつである。

むかしは、変わることが怖かったし、変えることも好きじゃなかった。今も、環境の変化には弱いし、頑固だし、内面の執着や情によく引きずられる。だけど、ひとは変わっていいんだと思うようになった。いつのまにか、とか、知らないうちに、じゃなくて、もっと無鉄砲に野蛮に、軽率に。そんなに怖いことではないのかも、と思う。

あまりにも一貫性がなくなるのはどうよ、いや、やばいだろって場面も往々にしてあるので、そのへんは改悪にならないようにちゃんとするとして!

 

LINEをインストールしなおしたことで、なにか相手側に表示が出たりしたからなのか偶然なのかはわからないけれど、久しぶりの連絡をくれたひとがいた。そして実現したら楽しそうなことがひとつ増えた。そうかあと思った。それは、なんだかすごく、からだの奥底から湧き出たような、そうかあ、だった。