舞い散る日々のなかで踊れ

散財していくタイプのおたく。

#だけどI need you.

もう1回観る機会があるので、そうしたらまた印象が変わるかもしれないし、すべて終わってからにしようと思っていたけれど、東京ドーム公演初見で感じたことを忘れないうちにまとめておきたい。

Kis-My-Ft2 LIVE TOUR 2018 Yummy!! you&me」のはなしである。

ネタバレ絶対回避派のためこの1ヶ月半、キスマイ関連の検索はもちろん、情報が目に入りそうなところには近づかなかったのでなにが行われているのかも、その評判もまったく知らなかった。にもかかわらず開演1時間前に寄ったカフェで、「24ゲート」とツイッターで検索してある曲のネタバレに被弾したバカはわたしです。じぶんはネタバレ回避派のくせに、まだ絶賛公演中のライブのネタバレを落としていく、わたしはそういう勝手なやつなので、見たくないひとは目次よりも下は非スクロール推奨。あと、今回のツアーを手放しで褒めたいひとを怒らせるかもしれないのでそのあたりも自己責任でお願いします。

 

 

Kis-My-Ft2 LIVE TOUR 2018 Yummy!! you&meについて

2017年を踏まえて、開演までのこと

 以前ここでも書いたけれど、2017年のツアーに関してわたしは落胆を隠せなかった。

 

rubyk.hatenablog.com

 このときに勢いで書いた気持ちのすべてを今は実感を伴って思い出すことがむずかしいし、DVDを観てやっぱり修正入ったんだなと知ったり、いろいろと考えなおしたりもしたけれど、結局あの時点で感じて書いたことがいちばん正直な感想なのだと思う。それを踏まえて、わたしは1年ぶりにまたがっかりするかもしれないのが怖かった。だけど「キスマイは2年ごとにいいライブするから!」「それな!」という謎のポジティブ(かもわからない)精神を玉森担と言い聞かせあったのはきっと期待以外なにものでもなかった。「WORLD」から「I SCREAM」への変化で感じた、いいアルバムを作りそれを投影すればおのずといいライブになるという方程式は「MUSIC COLOSSEUM」で崩れ去り、もうなにがどうなるかわからないから「Yummy!!」がどう転ぶかなんて未知数だと思っていた。それは個人的な好みの話ではけしてない。そういうのを脇に置いて考えると、キスマイはいつもいいアルバムを作っている(「WORLD」に関してはわたしの理解の範疇を超えているので何も言えない)。

そもそも「見えたらなんでもいい」ってなれないじぶんが悪いんだろうし、むしろ会える機会があること、この変化著しい時代に於いて"変わらずに存在がそこにある"ことの余りある尊さを享受しろ!と何度も感じたし、それを思い起こすできごとが今日までに幾度もあった。でも、キスマイについて重々しく考えだすととたんにダークサイドに堕ちて面倒な思考と感情の狭間を漂うことになるので、もっと楽なところから眺めたろ、そうしたら気楽だろうし、どうしても許せなかったある案件もどうでもよくなるかもしれないし、良し悪し関係なく楽しいと思えるかもしれないと考えた結果、わたしは彼らをはっきり担当だと定義することをやめた。フラットに眺めることで彼らの良さをもう一度見出だしたかったし「やっぱりキスマイじゃなきゃだめだわ!!」ってなりたかったし、もっと言えば「見えたらなんでもいい!!」ってなりたくてしょうがなかった。こんなファン藤ヶ谷くんもいらんやろ、って考えるたびに「つら…」ってなるから「なんでも受け止めるよ♥」って思いたかった。

だけど個人的な意見として「見えたらそれでいい」は罠だとも思う。それは彼らへの成長期待度を放棄することでもあり、最終的に「本人がいればなんでもいい」という地点に落下することになる可能性を孕んでいる。極論、出てきて「かえるの合唱 」輪唱してても可愛いからOKみたいな。極論ね!!

それは違うだろう、と。きっとこれはじぶんの彼らを追いかけるうえでのスタンスでしかないから、このまま行けばいつかわたしは手放すしかないだろうと思えてならないけれど、でもずっとそれは「今」じゃなかった。

ああ、また重々しく書いちゃってすごく自己嫌悪。楽しければなんでもいいー☆でいいのに。だけど、感覚的にはたぶんそれに近い状態で当日を迎えたことは確かだ。

開演してから感じたいろいろ

セットリストと内容のこと

エゴサの鬼

キスマイには一部エゴサーチャーがいるだろうと思っていたし、実際「MUSIC COLOSSEUM」の変更点はそこから来てる疑惑もあったけれど、エゴサの鬼すぎると感じたポイントがいくつかあった。カフェでネタバレみた曲が「Tell me why」で、へえ、ひさびさにやるのね、くらいにしか思っていなかったけれど、そんなん、まさか1曲目とは思わんやん?あのOPからスタンドマイクで「oh,Baby…」って来たから「why?」ってなった。この曲は福袋でもランクインしていたから、人気曲だし(とくにデビュー前後のファンの方に多いのかなとも思う)そのへん考慮したのかなって。斬新すぎてわけがわからないってなったけれど、落ち着いて今考えると、物語のはじまりとしての1曲目が、キスマイの微妙なこころの揺れだとしたら…担降りが多いらしいという現状を知っているとしたら…いや考えすぎか。

2曲目は「Crystal sky」ってそれ1万年と2千年前から聴きたかったやつ~~~(古い)

終盤の「Let it BURN!」もそうだけれど、本家がちっとも披露しないじゃないですか!案件だったカップリング曲やきっと多くが聴きたかったであろう「今はまだ遠く 果てしない夢も」も。その点に於いて最たるものは「I Scream Night」かもしれない。この曲は人気もありすぎるしわたし自身も愛しすぎているし、聴きたいけれど二度とないくらいの覚悟を決めなければいけないほど、キスマイの2016年夏を象徴する1曲だった。もしも可能性があるとしたら西武ドームのWアンコールくらいでは、と思っていたのに序盤でさくっと使ってくるとは…「ちがう……」感すごかったけれど、でもすばらしい楽曲にたいして逆にそんな呪縛をかけてしまうことほど悲しいことはないので、さくっとその呪縛もしくは魔法を解いてくれてよかったのかもしれない。もうめっちゃおたくのツイッターみてない?ってなったし、ファンの声を掬おうという気持ちがこういう選曲になったのかなと。実際はエゴサしてないかもしれないし、ファンレターかもしれないし、そういうのまったく関係なく選んだかもしれないけれど。ただ、このやり方は劇薬だから劇的な効果はあっても効き目は短いとも思う。

・エモエモのエモポイント

「Break the chain」から「FREEZE」と「蜃気楼」から「Flamingo」の流れは最高の極みとしか言えない。「Break the chain」では上下に動く舞台装置と、スクリーンに映る鎖と巻き上げ装置が連動している見せ方や「FREEZE」のダンスに合わせたライティングや効果がいいなあと思いながら観ていた。けれどなによりこの2曲にわたしがすきなキスマイのすべてが詰まっていた。つづく「蜃気楼」では何度気絶しそうになったかわからない。専門外なので間違っていたら申し訳ないけれど、あれはコンテンポラリーの要素もあるのかな。おとなの表現力で魅せられるようになったねえ。全体が眺められる席ではなかったので、正直藤ヶ谷くんしか観てない。指先まで神経の行き届いた藤ヶ谷くんのダンスにはもう数えきれないほど見惚れているけれど、これは、なんていうか、彼の一挙手一投足に至るまでそれよりももうひとつうえのなにか。最高密度でせまってくるそれが、わたしの胸のなかでどこか宙に浮くように存在していたものと結びついていくようなその感覚を、極限まで解体してシンプルにひとことで書くとしたら「一生すき」。来世で黒レースになれるくらいにはがんばって今生を生きようと思った(謎)

あと、玉森くんの「Clap-A-Holics」は凄まじいほどの高クオリティ件ハイセンス演出でやっぱり玉ちゃんこわい。いや玉森さんこわいです。となったのと、序盤の足掛かり、そしてラストに向かう扉としての役割とその到達点である特効使用曲という重要なポイントに配置された2017年のシングル3曲はやはり良作だったと再認識した。

・混乱ととまどいポイント

「We are キスマイ」があるのにコーリングもやるのね、っていうのは思ったのだけれど、そんなことなど吹き飛ぶほど混乱したのが藤北の「REAL ME」マイノリティの自覚はある。だけど観ていてつらい。曲の持つテーマや意図は理解しているつもりだし、この表現もふだんの藤北とそんな彼らだからこそ発揮できる強さを鑑みてもとまどいしかなかった。誤解を恐れず言えば、同人誌的よりも文学的な表現を選ぶふたりを観たかったというのがいちばん近い。それと、アルバムの特典の中で誰も対処しきれていないんだなと感じた「藤北」を対処しきれないまま超次元に飛躍させてしまった印象がぬぐえない。

藤北がドームのセンステで熱を帯びた視線を一身に集め、錯乱めいた悲鳴と産み出すほど宗教じみたシンメであることに異論はないけれど、あのふたりの繋がりはもっと深くの、おたくがおいそれと、もしかしたらメンバーさえも触れることができない地点で目に見えないかたちで存在しているとわたしは思っている。でも京セラでもう一度観てちゃんと落とし込みたい。

ブレーキポイントはなくはないにしても、意志のあるセトリだと感じた。「Yummy!!」の多面性に過去の楽曲も交えて体現したキスマイの歴史を、おそらく彼らが今一番伝えたい気持ちを内包しているのであろう「今はまだ遠く 果てしない夢も」と「HOME」に終着させたかったのだとわたしは解釈した。1年ごとに感じた「うわめっちゃ気持ち置いてかれるわ」もなく、2時間45分、パワーもあり、すっきりまとまってもいて楽しかった。というか今回、ポップさが前面に出てきそうなツアーになるかと予想していたのに、なんでペンラ白のみなんだろうって疑問だったけど最後2曲のための白だったのね。終わってからTwitterで呼び掛けられてるの見て、なるほどと思った。

 なにかと絆推しをするキスマイについて

所謂飯島班だったキスマイは、そうでなくなったとき立ち位置があやふやになったのであろう状況をわたしは想像していた。その結果メンバーから「キスマイは7人」というワードが頻出するようになったのではないかと考えている。たしかに今、キスマイは7人だ。ジュニア時代から今まで7人で色々なことを乗り越えてきたのだろうし、本人たちでなければわからない、知り得ないこともたくさんある。にしても、わたしがすきになった時点でのキスマイは、少なくともこんなふうに絆売りするグループではなかった。個々の仲の良さはべつとして、各々がインデペンデンスでありながらおなじグループとして存在して結果的に強みを発揮しているけれどそれはウェットではなくドライな雰囲気を纏っており、それが魅力的だった。ジャニーズのファンになるというハードルが比較的低いところも含めて、テン年代の新しいアイドル像たりえる、とわたしは思っていた。ファンに対してもライブ終盤になってもウェットなことはほぼ言わず「また遊ぼうね」ってかんじで颯爽と去っていくし、「一心同体」みたいな重たさとは無縁だった。(そういえば、デビュー前にツアーが決まったとき藤ヶ谷くんが「みんな!一緒に全国回ろうね!」って多ステ前提みたいなこと言ったとかいうエピソードがなんか笑えてきてすきなんだけど、それもそういう重たさとは全然違う)

どれがすきかはあっても、どれが正解かはない。グループの魅力というのはそれぞれで、どういう雰囲気を持っているか、グループとしての繋がりがどういう形で、それをどういう名で表すのかはそれぞれだしなんでもいい。だけどキスマイはメンバーが大事であることはもちろん前提にあるとしても、「友達」とか「家族」、「大好きな人たち」「絆」のような言葉で表すよりもっとビジネスライクだったことは確かなのだ。もちろん最初に書いた事態や、昨今の事務所内の色々なできごとが招いた心境の変化もあるかもしれない。上記の言葉を彼らが直接口にしたわけではなくても、このライブ内容にどうしてもそういうものが浮かび上がって見えてしまうのはさすがに斜にかまえすぎかなとも思う。でもそもそも7人で普段から仲のいいっけ?メイキングでもいつもぜんぜんそんな風に思わないけど?とはいえキスマイに関してはわちゃわちゃ仲良くしてほしいなんてあんまり思ったことないけど…いや、そりゃ仲悪いよりはいいけど…「友+情を、くっつけて」でスクリーンに流れた大量の写真を見たとき、気まずさという味があるならこういう味だろうな、とでも言いたくなるような、なんともいえないもやもやが口内に広がった。

経過した時間が層になって今の彼らの中に横たわっていることはそれだけでキスマイの物語ではある。だけどなんだか不安定なものに寄りかかっているようにも見えてざわざわした。ジャニーズ事務所のアイドルって、アイドルでありながら少なからず表現者としての一面も持っていると思う。もしも表現者として今、「仲良きことは美しき哉」をわざわざ表現することを選んだとしたのならそれは、そういうものは自ずとにじみ出るものであってわざわざ看板を掲げることでもないから、どうなんだろうなってちょっと気になってはいる。

去年のツアーで精神的な距離を置き去りにしたまま物理的な距離を詰めたがる発言を繰り返していた彼らに疲弊したことを思えば、選曲の面も含めて少しでもファンの気持ちに寄り添おうとしたキスマイは変わったなと感じる。その発露が焦燥でも不安でもだとしても。

だから最後のあいさつになにも感じなかったわけではない。7者7様、わたしなりにキスマイを応援してきた6年を思うと、揺さぶられるあいさつだった。なんなら泣きそうになって「ああ、わたしきっとまたキスマイがすきというところに着地するんだな」と予感した。もうこれは理屈ではなくそうなるようにしかならないなにか。こんなに紆余曲折しているのにそこにのみ帰結する理由を切実にわかりたい。藤ヶ谷くんの存在、これは絶対に一番だけど。

 その他雑感

キスマイのドームライブのアリーナはじめてはいったんだけど、いつもあんな感じなのでしょうか。銀テとるのに椅子に乗る、超席移動、超引っ張り合い…はっきり言って無法地帯すぎてびっくりした。わたしは銀テは落ちてくれば記念に一本持ち帰ろうかなくらいなので横からもぎとられてもどうでもいいんだけど視界思い切りさえぎられると…メンバー見たいんだけど…正直、4月のKAT-TUNのライブで「たくさん落ちてきたのでどうぞ~」と横から銀テまわってきたのとはすごい差だなと。そういうブロックもあったかもしれないけど。

まとめ

 色々書いてしまったけれど、いいところはたくさんたくさんあったし「ただ楽しむ」という面から語ればなにも言うことはない。このさきキスマイに使いたいエネルギーもちゃんとあるし、理由を箇条書きにできなくてもやっぱりこのひとたちはじぶんにとってとくべつな存在なんだということも実感した。楽しくて日常の嫌なことも一瞬は忘れられたしまた日常をがんばることのできる糧になった。

前に嵐の国立のライブDVDを観たとき、キスマイをこの位置に押し上げたいなと思ったし、今でも思っている。それを念頭に置くと去年のツアーの記事にも書いた「毎年成長を積み上げたうえでスキルをプラスする」というグループにはまだ至っていないのだなということを感じてしまう。7年目を迎え、若さと勢いだけではもう通用しない時期に入ったキスマイに足りないものがなんなのか、ひとつ推察はしている。もちろんそのひとつだけでどうにかなるものではないにしても、きっとさまざまな活路を見出だす手段のひとつになりえるのではないかと思う。ここでこんなおたくの勝手な戯れ言を書いたところで意味もないけれど、これが今ツアーにおけるわたしの所感である。

さいごに、藤ヶ谷くんお誕生日おめでとうございます。今年も「見守るよ♥」ってなれないめんどくさいおたくでごめん。こんなふうに言い散らかしたりしながらも、わたしのこたえはだいたいひとつしかない。今はまだ。