いのちのつかいかたー椎名林檎 ひょっとしてレコ発2018ー
椎名林檎さんのライブに行くといつも、贅沢な時間を過ごしたな、と思う。たった2時間ばかりのなかに五感を震わすたくさんのものが詰まっている。それだけで、大袈裟でもなんでもなく生きているという価値をわたしは感じることができる。
「椎名林檎 ひょっとしてレコ発2018 改め 椎名林檎と彼奴等の居る真空地帯」
を名古屋センチュリーホールで観た。今ツアーのロゴがすごくポップでチープでキュートだったので公式も言っていたとおり、グッズのテイストもそうなるかなともれなく想像していたのに、虚空だの亜空間だの涅槃だの…何故だ?って疑問がとけた。ツアータイトル、改まっていたのですね。ネタバレ回避派なので知らなかった。そんな特殊開発グッズ、手旗やタオルなどの定番に加え、今回ついに御朱印帖を購入!前回はあまり神社仏閣めぐりしないからな…と思って見送ったけれど、もし行きたくなったとき「どうせなら林檎さんのグッズを使いたかった!!」って自分に駄々こねだすのが目に見えてるからw実物みたら守り蜘蛛のボタンがとても可愛くて買ったので、ヘアアクセサリに改造しようか考えたりもしている。お財布が許すなら名古屋帯欲しかった…
さて、ここからセットリストに入った曲も書くので、終盤戦とはいえまだツアーは続いておりますゆえ、おなじく回避派の方はお気をつけください。
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思えば、林檎さんの音楽とともにずっと旅をしてきた。中学生という多感な時期に出会って以来20年弱。人生の半分以上がそれらとともにあって、受けた影響はおそらくはかりしれない。おそらく、と書いてしまうのは、ものすごく影響を受けたのはたしかなのだけれど、なにがとかどこがとかそういうことははっきりとはわからないからだ。林檎さんがリリースを重ねるごとにわたしも歳をとって、むかしの曲の受け止め方が変わったりすることもあるし、すきな曲も変わる。自分の考え方のある部分が、この人の言葉から来ていたのだな、とあとから気がつくこともある。そういうことが膨大すぎてピンポイントではとても表せない。親が、血筋が、土地が、わたし自身のルーツであるように、林檎さんの音楽はきっと心のルーツで、どれだけ好きなものが増えても減っても、帰る場所、拠る場所であり、この20年で構築されてきた価値観や人格形成に根をはっているのだろうと思う。
林檎さんとともにあった人生は、さまざまな出来事、さまざまな感情を巡る旅であると同時に、わたしが今日までのわたしになる旅でもあった。
そんなことを考えてしまうのは、やはりライブがスペースシャトルが打ちあがる映像にあわせてカウントダウン、そして「人生は思い通り」ではじまり、飛行機が雲のうえを飛ぶ映像や、宇宙空間を漂うような映像にあわせて楽曲が繰り広げられ、まさに「旅」を想起させるつくりになっていたからだ。「逆輸入~航空局~」と銘打たれたアルバムを引っ提げてのツアーだったことを考えればそのとおりなのだけれど。セットリストを眺めてみれば、ある女性が女性を生きていく旅なのだと思った。なんというか、この並びがとても生々しい。セットリストは以下。
【セットリスト】
- 人生は思い通り
- おいしい季節
- 色恋沙汰
- ギブス
- 意識
- JL005便で
- 弁解ドビュッシー
- 少女ロボット
- 浴室
- 薄ら氷心中
- 暗夜の心中立て
- 枯葉
- 眩暈
- おとなの掟
- 重金属製の女
- 静かなる逆襲
- 華麗なる逆襲
- 孤独のあかつき
- 自由へ道連れ
- 人生は夢だらけ
encore
- 丸の内サディスティック
- NIPPON
- 野生の同盟
すさまじい…前回のツアー「椎名林檎と彼奴等がゆく百鬼夜行 2015」(超絶神セトリ)においても、初期のナンバーは取り入れられていた。けれど今回の初期ナンバーは「ギブス」「弁解ドビュッシー」「浴室」と、うまく言えないのだけれど、女性性を意識しすぎるあまりにむちゃくちゃ出ている女性性、みたいな、そういう雰囲気をまとっているような曲が入ったという印象だった。ちょうどセトリの真ん中に据えられた「薄ら氷心中」と「暗夜の心中立て」を境として、OPを除けば前半は恋を生きる不安定な少女のようであり、後半は「逆襲」の名のもとに息を吹き返し、愛と人生を生きる等身大の女性のように感じた。「唄い手冥利」収録のカバー「枯葉」と「眩暈」をのぞけば初期のナンバーはすべて前半に固められていて、後半には東京事変を経たあとのソロ名義の曲が並ぶ。
いやあもう「眩暈」は死ぬほどびっくりした。林檎さんのCDはじめて買ったの「ここでキスして」だったから…生涯生で聴くことはないだろうと思っていたよ!今だったら「座禅エクスタシー」遠征するけどさあ…20年やってきてこんなセトリ組む?わたしは度胆抜かれた…一生ついてく…
林檎さんのむかしの楽曲はもちろん変わらずすきだけれど、今の道しるべになってくれるのはやはり最近の楽曲が多く「おとなの掟」からは気持ちのメーターが振り切れて針がどこかに飛んで行ってしまうような危機感すら覚えた。会場全体の盛り上がりもピークだったと思うけれど「孤独のあかつき」→「自由へ道連れ」の流れはもうわけがかわらないくらいまぶしくて、いとしくて、涙が出てくるのに笑っていて、この会場で揃って手旗を振っているみなさん全員の人生がしあわせだといいなとか(いや、そんな誰かも知らんやつにしあわせ願われても気持ち悪いとは思うんだけど)もうきっと人生が交わることはないだろう林檎さんのことをすきだと言っていたひとのことを思い出して、あのひともどこかの会場でこの景色を観たかな、そうだといいな、とか、脈略なく点在する想いが線になって激しい波のようにつぎつぎと押し寄せてひざから崩れ落ちそうになった。そしてやってくる「人生は夢だらけ」ねえ!もうどうしたらいいの!万感!それ以外言葉がない!そのむかし、もっと排他的で人生に展望もなにもないと思いながら、Zipperとロキノンを片手にMDプレイヤーのイヤホンを耳に突っ込んで赤いコンバースで地面を蹴散らしていたわたしも、今は叶うかもわからない大きな夢ややってみたいちいさなことまで、つぎつぎに出てきて時間足りないどうしようでもぜんぶとっかかりたいって、だけどそれだけで毎日を埋めることはできなくて嫌なことや不安、もう捨ててしまいたいものに押し流されたり忙殺される日もあるよ!それでもあれもこれも心に引っ掛かったものには正直に従順でいたいしぜんぶ味わって生きて死にたいって思いながらハイヒールでしっかり立っているよ!これが人生!わたしの人生!って叫びたかった。いや、叫んでたかもな、胸のうちで。
林檎さんから影響を受けたもの、ありすぎてわからないって書いたけれど、ひとつだけこれだけはそうだと確信していることがある。それはいのちの使い方のようなもの。五感をきちんと機能させるとか、望むままからだごと反応させるとか、持っているものぜんぶ使って生きようとか今を使い切って生きようとか。わたしが持っているものなんてたかがしれているし、たいしたものも持っていないし、立っている場所も平々凡々な日常だけど、わたしにしか持ってないものだってきっとあるはずだし、どんな場所にだって最前線はあるはずだ。
現在それがただしくできているかと言えば、まだぜんぜん至っていない。だけど、その意識ひとつだけは持っていたい。たとえば大きな選択がやってきたとき「これが転機だ、今がそのとき!」なんてはっきりその瞬間にはわからないけれど、今を瞬間を誠実に生き切っていればこそ、そのタイミングを見誤らずにつぎの世界に飛び込めるのではないかと最近よく考える。その先で成功するか失敗するかはわからない。それはそのときのはなしで、そうなったらまた試行錯誤すればいい、と思うのは甘いのかもしれないけれど、でもそのタイミングに意味があったことはわかるんじゃないかなあと思っている。なんにせよ、出しきって使いきって感じきって生きて死にたい。
わたしたちの旅は「何時も…行ったきり」だから。そしてあっというまの。