舞い散る日々のなかで踊れ

散財していくタイプのおたく。

2018.4.20についての日記。

4月20日金曜日「KAT-TUN LIVE 2018 UNION」に参戦した。

もうほんっっとのほんっっとに楽しみで、一週間前の金曜日には楽しみすぎて謎の奇声を家であげて爆笑していたら(やばいやつ)、週のはじまりにやっぱりジャニオタとしてはなにかを感じてなにかを考えざるを得ないことが起こったりもして、感情だけは乱高下して忙しないのに一日一日が過ぎるのがものすごく遅く感じた。だけどもう終わっちゃったんだなと、時の流れの無常さを感じつつ、それでもあの日の記憶はたしかにわたしの中に存在して、想像じゃなくもういつでも取り出すことができるんだなあと思うと、月並みだけどうれしいです。

KAT-TUNのみんなほんとに楽しそうでうれしそうだったから!!!わたしもすごくうれしくなって、3時間ずっと笑顔になってた!!!もう超しあわせな空間だった!!!!

と、長年追いかけているわけでもないわたしなんかが書いていいものかなあとも思うけれど、じっさいにほんとうにそういう気持ちでした。

 

ライブ前は、今回の公演名が「UNION」だとわかったときに、「組合」だとなんかあれだから「連合」「結合」のような意味合いなのかなと、壮大で重厚なテーマで来るのかなと想像したし、ロゴが「三本の矢」だと判明したときには「えっ…待って…つよい…」とエモみで昇天しかけた。これ以上にふさわしいものがあるのか、これを持ってくるセンスは天才じゃないか、三本の矢て…!紐の部分のラインがハイフン…!三本なら折れない矢を束ねているのがハイフンってもうね…KAT-TUNって半端ないな!と感嘆とも尊敬とも賛美とも、一言ではとても言いきれない感情に襲われたり、グッズアプリってやっぱ入れておいたほうがいいかな…ってインストールしたら3人+レトロな外車?アメ車?+逆光の写真が出てきて爆イケすぎヒィ…ってなったり、「Ask yourself」のジャケットのKAT-TUN×黒い羽やポラロイドの写真にいちいちまたヒィってしたり、歌詞カード最後のページ、3人の手の「3・2・1」っていうカウントダウンに高まりすぎたり、そんなことを経て近づいてくるごとにいろいろな想像が駆け巡っていたけれど、どんな初日になるのかまったく予想もつかなかったし、そもそもわたしなんぞに予想できることなんて絶対しないだろうし、もうまったく予期せぬ、それもすばらしい事態になるのだろうなということだけは信じる…という言葉をわたしが使うことが適切なのかどうかは自信がないけれど、信じていたのだろうと思う。

いざ当日を迎えてみると、想像していたほど重く悲壮な決意が沈殿しているわけでもなく、エモーショナルに走りすぎることもなく、けれど3人並んだときの強さのようなもの…たとえば3人が並んで花道を歩いてくるときに見えたりする圧倒的なまでの強さ、としか表現できないのが悔しいのだけれど、そういうものはあいかわらず「KAT-TUN」でありながら、復活という一言だけではおさまらない新しさもあった印象だった。なによりあの日の東京ドームは出航の歓喜と愛に満ちた空間で、ああ、こういうかたちで結ばれてまた進んでいくことはきっとしあわせなことなのだろうなと感じた。なんかくさいねごめん。

アルバムコンセプトが中央に鎮座するライブではないので、どんなセットリストになるのか、どれも入る可能性があるから楽しみだねと話していたけれどそれでも、KAT-TUNが過去にリリースしたCDやDVDを聴いたり観たりしては、かっこいいから聴いてみたいけどわたしが生で聴くことはできないのだろうな…と勝手に位置づけていた楽曲たちがつぎつぎに繰り出されたことにもおどろいて「うそでしょ!?」となんども口元を覆ったし「こんなんずるいじゃん…もっとすきになっちゃうじゃん…」って慄いた。とくに「SIX SENSES」のイントロが流れた瞬間のあのわけのわからないほどさまざまな感情の嵐はもはや言葉で説明できない…

もしかしたら長年担当してきた方はいつかは歌う日が来ると信じていたかもしれないけれど、「10ks!」以外その場にいたわけでもなく、すでにパッケージされた公演を遡って観ていただけのわたしは、ほんとうにただ単純に、勝手に、誤解を恐れずに言えば封印してしまったのかな、と考えていた。人数の変遷とともにKAT-TUNの表現のかたちは変化しているように感じていたし、それぞれの時代の真骨頂とも言えるような楽曲はたとえやらなかったとしてもしかたがないと納得していた。だからこそもっと早くすきになりたかったなと思っていたし、逆にまた新しい表現や音楽性が拡がる可能性があることがたのしみだった。そういうわたしの安易な想像を易々と超えるように、かつての時代をどこか内包したままブラッシュアップし、3人のかたちを新たに体現していく彼らを目の当たりにして、KAT-TUNという存在そのものが可能性と創造性のかたまりなのだと感じた。

テレビで一曲歌っているのを見ていただけではわからない、KAT-TUNはほんとうはとてもかわいくて、もう~~~なにこれ~~~かわいい~~となってしまうギャップもすきだけれど(とくに亀梨くんのとんちき具合にはもうわけがわからないくらいめためたになるし、じつはChainコンDVDのポスター抽選のくだりがとてもすきだ)、パフォーマンスを観ると、畏怖の念を抱いてしまう正体のひとつがこの創造性なのかもしれないという答えに辿りついた。これまで今ひとつ正体がつかめないまま「とにかくすごい、やばい」と繰り返すしかできなかったし、今もなお「KAT-TUNはとにかくすごい、やばい、ほんとうに」と言ってしまうのだけれど。生きていくうえで、重要なもののひとつ、いえ、個人的にはもっとも大切なものだと考えているクリエイティビティ。もちろんそういう力はジャニーズ全体(だけじゃなくどこにでも)にあるのだろうけれど、きっとわたしはKAT-TUNから生まれるそれに憧れて、焦がれているのだと確信した。すでに語り尽くされたはなしだとは思うが、KAT-TUNのメンバーの個性や才能はそれぞれで、アイデアの発露や源泉もまったくちがうように見えていたし、今も見える。その融合が頂点で爆発して産み落とされる瞬間を逃すことなくきちんと掴まえるということにアプローチしていくセンス、才能、思考、感覚、人間力…うーんどのワードを持ってきても釈然としないけれど、そういうものに魅了されていたのだな…と2年後の今、ようやくはっきりと言葉にできて実感した。

たぶんこれは、ずっと果てなく続いていくのだろうと思う。ずっとずっと先を行く彼らのことを尊敬しつづけるのだろうなと思う。

と、まあ堅苦しいようなことを言っているけれど、ライブ中は亀梨くんの「俺たちの女」発言にはあわわわわ(;´;゚;ё;゚;`;)ってなったり、メガネな中丸くんにむり〜〜〜けしからん〜〜〜〜すき〜〜〜となったり、ニコッとしながらトロッコでお手ふりしている上田くん発光してない?!?!ねぇ上田くん輝いてる!!!!天使???!?!と、なんというか、なんかもうほんとわたしっておたくだな…となっていたことは言うまでもないし、2曲目の「Real Face#2」で華々しく打ちまくる特効(でもちょっと控えめだったようにも?)、天衣無縫の極みなMC、「RIGHTNOW 」(これも聴けると思わなかった!)から「In Fact」の縦横無尽なレーザーショー、「Ask yourself」のためだけの黒のあの衣装などをみては100回くらいすきって胸中で言ってた。

とくに「Sweet Brithday」で本編が終わったのはほんとうのほんとうに最高すぎてすきだった。「やります」by中丸くんとのことだったし、どのへんで歌うのかなと、中盤らへんかなとかいうまたも安易な発想をばっさりと切り捨てラストに歌って、メインステージに向かっていく3人のうしろすがた、3人の紳士的でスマートなお辞儀すがた、ほんとうにすてきで忘れられない。

 もう、こうして、なにがとかどこがとか細かいところを言い出せばきりがなく、それらをまとめるととにかく「いいライブだった」としか表現しようがない。なんていいコンサートなんだろう!!!!というのが、終わったときに最初に湧き出た感想だし、ねえほんとよかったね!!!!とただしぜんに笑ってた。なにひとつ予想どおりなことはなく、けれどすばらしい事態になると信じていたことだけはなにひとつ違わず真実だった。

この日のことは、人生のなかで、大切にしたい記憶のひとつになりました。

 

デジタルチケット読み込み時に発行されたレシートのような紙のQRコードにアクセスしたら、なんと3人の写真つきのチケット画像がもらえた。ちゃんと席と名前が入っていて、その細やかな心遣いにも感激!!

真夏日になるということで、KAT-TUNコンにおける正装だと勝手に思っているライダースを着ていけなかったことがちょっと残念だったけど…でも黒は着た。