舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

辞書のいらない時代に広辞苑とあそぶ。

 なんだかすごく「言葉」とは。ということを考えたい衝動にここのところ突き動かされていた。言葉というものに真正面から向き合って考え込んだり、斜めから眺めておもしろがったりしたいと思っていた。あしたすぐに仕事や生活の役に立つわけではないかもしれないし、お金にだってならないけれど、強制されずともとっかかりたいと感じたことには素直に従っておくべきだ。すくなくともわたしはそう考えている。

と言っても、そんなに複雑なことではない。わたしはジャニヲタなので、たとえば舞台なりコンサートなりを観て、湧き出た気持ちをよりただしいニュアンスで表す言葉をそれほど持っていない、くやしい、みたいなことがままある。そういうときにわたしって言葉知らねーな語彙もってねーなと気がついて、なんかやだなあと思うことが動機にもなっている。それに最近よく耳にする横文字系の新しい言葉の意味とかあまり知らないなとか。書店に並んでいるビジネス書や自己啓発書のタイトルについているような。

膨大な量の言葉をただインプットしたところで結局、それがどういう意味なのかどういうときに使うべきなのかをきちんと自分の中で理解して落とし込まなければ本当の意味で知っていることにはならない。

これはどちらかといえば類語辞典の領分だと思うけれど「悲しい」という感情を表す言葉ひとつとっても、自分の経験と結びつけて「あのときの悲しさの度合いや感触はこの語感」とか「いや、あの日の体験はただ悲しいというより虚しさもあったからこっち」というふうに小分けにしていきたいし、適切なタイミングで引き出すための引き出しをたくさん持ってもっと言葉と遊びたいのに!とつらつら考えていた。

 そんな中、今年の出版業界における大きなトピック「広辞苑 第七版」(岩波書店)の発売がやってきた。

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

 

 当初は購入するつもりも欲しいと思う気持ちもまったくなかった。以前のものが家に2冊ほどあるけれど、ネットでなんでも調べられる時代に辞書をひく機会も失われ、ただ分厚くて重いそれは開かれることがない。けれど職場に(書店員なので)並んだ、黒いカバーのかかった厚い箱入りの辞書を見て猛然と「欲しい」と思った。そして、買わなければいけない、という強迫観念にも似た衝動に駆られた。たぶんその欲望と衝動の半分はあのキャッチコピー「ことばは自由だ」のせいだ。

そうか言葉は自由なんだ!自由でいいんだ!と唐突に思った。言葉とはなにかと脳内で浮かべるとき、どこか、その価値のようなものを念頭において考えていたことに気がついて、けれどそんなことすら無意味なくらい言葉は自由で無秩序ないきものなのだと思った。そうしたらもう追いかけっこしてつかまえたくなって、だけどつかまえることなんてできないだろうと感じ、それでも手を伸ばして知りたくなった。

言葉は日常にあふれ、あまりにあたりまえのそれらをわたしは簡単に消費していく。けれど使い方や意味がすこしづつ変化したり増える言葉、まったく新しい言葉、むかしからずっと変わらない言葉と、いつでも時代とともにあるたくさんのそれをここでがっつり受け止め、改めて知りたくなった。それでなんで広辞苑?っていうのは単にそういう気分のときにたまたま出版されてしまったから、というノリのようなものと、付録といいつつハードカバーくらいある付録(アルファベット略文字の解説とか手紙の書き方とか載っている)や三浦しをんさんの特典小冊子(といいつつ文庫本くらいある)「広辞苑をつくるひと」もおもしろそうだしくらいの。

それを家で話したら実は母親がずっと買おうか迷っていたらしく、さっそく我が家は広辞苑を手に入れる運びとなった。

母親曰く、広辞苑にかぎらず辞典というのは「紙のうえでネットサーフィンしているような感覚」らしいのだが、なるほどなと思う。ひとつの言葉を調べたとき、かならずべつの言葉で説明してあるので、そのなかに知らない言葉があればまた辞典をめくる、めくると隣の項目が急に気になったりする…みたいな。「意味を知る」という目的においてはインターネットと変わりはないけれど、ただ検索ボックスに知りたい単語を入れて調べるのとは微妙にちがう。出会いがしらの衝突みたいな感覚で言葉と出会えるかもしれない。なにもかもが便利になりすぎていて、目的に到達するいちばんの近道が容易に用意されている時代に、わざわざまわり道や遠回りすることがたまにはあったっていいんじゃないかとも思えた。

とりあえず、前述したようにわたしはジャニヲタなので「じ」の項目を開いた。「ジャニーズ」は載っていなかった…(当たり前)。そこで「お」のページを開いて「おたく」をひいた。

おたく【御宅】

①相手の家の尊敬語。

②相手の夫の尊敬語。

③相手または相手方の尊敬語。

④(多く片仮名で書く。仲間内で相手を「御宅」と呼ぶところからの称)特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめりこんでいる人。「アニメ─」

 

広辞苑 第七版より

 いや、わかるよ?

言いたいことわかるよ。おたくであるわたしはめっちゃ笑った。

でもこれだと、なんていうかな、なんかすべてにおいて「これだからおたくは」って斜めに視がちな風潮止まんないよな。いや、もう単なる文字面から受けた感覚なので、うまく言語化できないのだけれど、たとえばなにか事件が起きたとき「人付き合いもなく、部屋にはアニメのディスクが積まれ…」とか安易に犯罪とおたくを結び付けがちなところとかね。言いたいことはすごくわかるし、ここに載っていることがすべてでもないし、むかし「おたく」に対してそういうイメージが多かったのかもしれないけれど、おたくだって時代とともに変わってるいるよね。

広辞苑」というある側面から見た言葉とそれぞれが抱くイメージは違うし正解はひとつじゃないけれど、ある言葉を端的に一般的に説明しようとするとき、ものすごく難しいと同時にそこにおもしろさがあるのだろうと思うとやっぱり言葉はかんたんにつかまえられる代物じゃないな、と思う。だからこそより知りたいし考えたいしおもしろがりたい。

今のところ楽しい活用方法として試みたいのが、どれくらいの項目があたらしく増えたのかということ。家にあるいちばん新しいものが「第四版」なので、ふたつ同時に順番にめくったらなにが増えているのか。ほぼ広辞苑の「こ」の字も知らないようなころに出たそれに載っていない言葉のなかには、今のわたしの生活に馴染みきっているものがつぎつぎ飛び出てくるだろう。刷新をくりかえし、変容していく時代の流れを言葉を通して実感することで、なにかまたひとつ、あたらしい景色を観ることができたら、とわたしはすこし期待している。