舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

#きみは正義さ

自担であるKis-My-Ft2藤ヶ谷太輔さんがこのたび目出度く生誕を迎えられた。

キスマイには、将来への期待や成長も含めて勝手ながら、そして不毛にも求めてしまうこともこれまで色々とあったのだけれども、藤ヶ谷くんに対してはこういう仕事やってほしいだとかこうでいてほしいだとかそういうことが最近あまりなくなってきた。今年ドリボがなくなってしまったことを玉森担である妹がひどく嘆いていて、その折に玉森くんがインタビューでこう言っていた、こういうことに挑戦したいと言っていたのに、と色々と教えてくれるなかで、彼女が玉森くんに求めていることなどの話を聞いて、じぶんには藤ヶ谷くんに求めるものを箇条書きにできないことに気がついた。

かつてはあったように思う。こういう役を演じているところを観たいだとかもっとこうしてほしいだとか。それはたとえば「ベストジーニストを獲りたい、殿堂入りしたい」という彼の口から語られる具体的な夢を、じぶんのがんばることのできる範囲でなら叶える手伝いがしたいというような類のものではなくて、もっと個人的な願望のようなもの。仕事の種類だけではなくアイドルの在り方として、変わってほしくないところをとどめたいとも思ったし、逆に変わってほしいところを望んでしまってもいた。

期待していたような気もするし本当はそうでなかったのかもしれないし、その両方だったのかもしれないしそのどちらでもなかったのかもしれない。そもそも偶像に希望を見出そうとすることや失望したりすることじたい勝手な発想だし、わたしがそうしたところで相手にはなんの影響も及ぼさないし、わたしの知らないところでやわらかくなったり固くなったりしては変異し、形成されていく。

こうあってほしいと願うのは傲慢だ。それでも願わずにはいられないときもある。言うまでもなくおたくはおしなべてしんどいしめんどくさい。

ほんとうは好きなことに理由なんていらないし、ありのままを受け入れることしかできないというのに、それができない時点でわたしは藤ヶ谷くんの担当、ひいてはキスマイの担当として失格なのかもしれないということはずっと考えてきた。

おそらく誰も彼もそんなファンはいらないにちがいない。わたしはひどく身勝手で傲慢だった。たぶんどこかでは今もそう思っている部分があるだろうけれど、勝手に求めて期待して勝手にがっかりするファン特有の心理にここのところ疲弊してしまっているのでまず求めることからやめたのかもしれない。けれど受け入れることとあきらめることはどうちがうのか、なにがちがうのか。今のわたしにはわからない。「すきにしたらいいよ」という言葉にはきっと二通りの意味がある。どういうつもりでそれを吐いてんだ。わからない。

さて、そうなったわたしに果たして藤ヶ谷くんの担当だと名乗れる資格があるのかすらわからないけれども、求めるものが殆どなくなってしまったからと言ってすべて受け入れられるわけでもなく、かと言って期待していないわけでも好きでなくなったわけでもないという大変めんどうな状況に立っている。ひとつだけ確信を持って言えるのは、わたしにとって彼は担当と呼べる圧倒的な正しさを持つひとだということだけだ。暴力的な言い方になるけれど、おそらくキスマイの担当を降りることになったとしても藤ヶ谷くんの担当は降りられないのではないかと最近よく考える。

藤ヶ谷くんのことを完璧だとは思わないけれど、藤ヶ谷くんの進む道に間違いはないはずだし、わたしの求めるものなんてどうでもいいから世界に求められてほしい。求められ続けていてほしい。どんなお仕事がきても彼はやり遂げるだろうし、それがどんなお仕事でもそのすべてが血肉になるならもうわたしは何も言わずに遠い場所から見ていればいいのではないかと思っている。ただ眼だけはしっかりとひらいて。

 

 重。

 

こないだ読んだまんが「推しが武道館いってくれたら死ぬ」(平尾アウリ/徳間書店/Ryuコミックス)から。

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これ真理だよね。

お誕生日おめでとうございます。30歳ですって。節目ですね。