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舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

宮玉の『BE LOVE』にみる、コンビ萌えの終着点。

今更感あるけど、ナゴヤドームも控えてるってことで、京セラドームで感じた、宮田俊哉玉森裕太(敬称略)ユニット曲における演出について言及しようと思う。

わたしはふたりの担当ではないのだが、腐っている二次元ヲタでもあるので、そういった人間から見た個人的な感想である。

 

結論から言えば、あの演出はNOだ。

では何故NOなのか、それを挙げていこうと思う。

 

演出の内容まとめ

・スクリーンにふたりを思わせる漫画が映るところからはじまる(ボーイズラブっぽいストーリーを感じさせる)

・ふたりが手を繋ぎながらステージ上の階段を降りてくる。

・歌いつつ、ふたりの想い出の写真の数々がスクリーンに(これは漫画じゃなくてご本人たち)

・メインステージに置かれたソファにふたりが座って、いや、ひざまくらとかしてて、宮田が玉森にプロポーズ。頷く玉森。

・花嫁のベールをかぶった玉森と宮田が花道を腕を組んで歩いてくる。うしろではジュニアたちがフラワーシャワーみたいに祝福している。センターステージでベールをあげて宮田がキスしそうになるところで暗転。

 

改めて文字にするとすげーな…完全にBL…!アイドルのBL…!

まずこの漫画、わたしのような人間から言わせると「公式同人誌ワロスwwwグッズで出せしwwww」くらいにしかならないのだけれど(すみません)世間的にああいう漫画が突然どーんと出てきたら、えっ?と引いてしまうひとは多いと思う。もっと言えばBL漫画にキモイとはっきり言う人間が多いのも事実だ。

宮田くんはアニヲタで、コミックマーケットにも出没する系アイドルなので、BLという世界があることも知っていたのだろう。つまりこの世にそういう漫画があり、小説があり、CDがあり、アニメがあることをちゃんと知っていたのだ。

玉森くんは違うだろうが、インタビューで「真剣にBLをやります」「俺がほとんど考えた」と言っていたそうなので、それがどういうものであるのかは理解しているはず。いや、確信犯だろこら。

しかし、ファンはどうなのか?

わたしが思うに、BLはデリケートなジャンルであり、そこに浸かる人間ほど、そうであることを理解している気がする。普通、BLを好むことをあけすけに語ったりはしないものだ。つまり言い換えれば、あけすけに語ることのできないジャンルだということである。

世間的に、極めて個人趣味であるBLを公に大幅に扱うことがまず問題なんじゃないか?とわたしは思う。

もちろん、漫画や手を繋ぐくらいの段階ではまだ微笑ましく見ていたひとも多いだろう。ジャニーズにはコンビ萌えという要素がある。まだここまではコンビ萌えの範疇で収まっているような面もあった(漫画の時点で嫌悪感を抱いたひとはのぞく)が、このコンビ萌えというのが非常に複雑で、厄介(ついては後述)だとわたしは思っている。だからこの演出が賛否両論に行きついたのではないか?と思う。

そして次に我々の眼前に飛び込んできたのは、カップル以外に撮らんだろ、と突っ込みたくなるような誰得ツーショット写真(例:あすなろ抱き)だった。元々宮玉というシンメには、ビジネス感や利害もなく、本当に仲がいい、という純然たる事実がある。

ふたりが雑誌のインタビューや編集こぼれ話などで知る、ふたりのやりとりやお互いの話、どこかに一緒にいったそれでどうして~という事実はいつも衝撃で、わたしは毎度震えている。しかしそれはすべて男の子同士の仲の良さに過ぎず、カップルではけしてない。だから、どうしてその写真(真顔)となってしまうのにも無理はない。にもかかわらず。

そんな写真の数々のあとは、五万人の前でソファでいちゃいちゃすんなよ…と力ない突っ込みをせざるをえないプロポーズがあって、結婚式、という流れだけれど、暗転後の玉森の「あんま調子のんなよ」という最後の言葉に『これはアイドルの本気の悪ふざけである』という意志表示が見て取れるし、自分自身もそう見えて、ここまでやりやがった…!という謎の感動もあって、冷やかし半分(フー!おめでとー!みたいな)で楽しめたけれど、あーこれまずい、という気持ちもあった。

 

ここで、コンビ萌えの複雑さと厄介さについて、自分が思っていることを書きたいと思う。

読んで字の如く、コンビに萌える。

キスマイでいうところの、シンメである藤北、宮玉、ニカ千とか、私生活の仲の良さを押し出すわたたいとか、過去を思うとなかなか泣ける北ニカなんていうのもいいと思うけれど、ここはシンメを中心に話を進める。

コンビに沸くヲタは多いだろう。記憶に新しいところでは藤北の『FIRE!!』(藤北シンメについてはまた書きたいので細かくは書かないけれど)には、このふたりの前に全人類がひれ伏すのではないかと思えるほどの謎の力と魅力があってそれはそれは沸いた。ドーム揺れた。これが藤北としか言えないほどの底知れないパワーに影に、しかしビジネスという言葉が散らつかざるをえないこともまた事実だった。ガヤ担だからこそ臭いものには蓋をしたくないのではっきり言うけど、これは藤ヶ谷による影響がすべてである。

ただ、仲の良さではなくビジネス。これも手段のひとつだと思うし、実際アイドルという存在でいるにあたり少なからず演じている面が多いとは思うが、ファンにとってはこれが透けて見えすぎるのも嫌なのだ。こまかくは書かないけれどそのあたりは「シンメビジネスと需要」について藤ヶ谷くんがいろいろとマイナスを巻き起こしてしまっているので、参考にされたし。

今回の宮玉事変(言い方w)でなんとなく、気がついたことがある。

もしかするとアイドル本人たちとファンのあいだで、コンビ萌えの定義に乖離があるのではないか?ということだ。宮田や玉森だけでなく、北山もBLとはっきり口にしたことがあるし、また、そう見られるのが嫌なのであろう藤ヶ谷も含め、全員が全員、コンビ萌え、またはそこにあがる歓声=ボーイズラブなんでしょ?俺ら知ってんだから~~というような勘違いがあるのではないか?

そりゃ宮玉やニカ千は普通に仲が良いというバックボーンがあるため、ふっつうにわちゃわちゃしてればヲタはわきますわな。けれど、ちがう。それは恋愛じゃない。ラブじゃない。ヲタがすべてBL好きと思ってはいけない。

つまるところファンは、ビジネス過ぎては嫌、でも仲良しが見たい!シンメ!コンビ萌え!を求めてはいても、かと言って当該の人間が恋愛を匂わせる演出は求めていない(あたりまえ)手を繋いだり、抱き合ったりというのはいいが、そこに仲間意識以上のものがあるのは違うし、それ以上踏み込んでしまうと、それはもう別世界のはなしになってしまうし、まったく嗜好のちがうはなしになってしまう。コンビ萌えの複雑さと厄介さはそういうところだと思う。だって宮玉、みんんなが喜んでくれる演出、見たい演出だと思う、というような勘違いしちゃってますやん?

 

あとは、ヲタ的視点で見ると、アイドルのファン層において結構重要な、夢とかそういうの。ジャニーズ界隈で言えば「リア恋」だろうか。アニメとかでもあるけれど、キャラと自分のストーリーや妄想を巡らせるジャンルを指す。至極現実的な思考であるわけないじゃん、と切り捨てるのは容易だが、そもそもアイドルの在り方として、こんな素敵なひとが彼だったら…♥と思わせることは大切なことだと思うので、実は切っても切り離せないとわたしは思う。そういうひとってべつに自担の結婚式(相手はメンバー)を見て喜ぶとかないんじゃないかな?完全に置いてきぼりにされている感を否めない…完全にマイナス感きたこれ…

個人的には、宮玉の仲の良さが全面に出た可愛らしい演出だったので、それ自体を否定しているわけではないが、あまりにデリケートなゾーンに踏み込みすぎたのではないかと思う。

コンビ萌えの終着点は恋や愛を模したものではなく、いつもずっとそこにある、わたしたちが見ている関係性以上でも以下でもない。おそらくそれしか望まれていない。

彼らがジャニーズという特殊な世界に、少年のころに飛び込んで、なんの因果かグループになりシンメという存在ができることについては、運命的なものを感じなくもないけれど、近づいたりわちゃついたら沸いて、みんなが震える…とか言いだすからって、ほんとうに結婚なんて演出しなくても良いんだよ、と宮玉には伝えたい。

本人たちがどうしてもやりたかったというのならば止めないが()

 

しかしそれを定義したうえで、ファンの受け止め方次第では大失敗に終わるそのギリギリの狭間で、あの結婚劇をやりきったふたりの仲の良さに乾杯するとともに、こういうかたちで仲良きことは美しき哉を演出し、体現した宮玉を愛しく思う。