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舞い散る日々のなかで踊れ

二次元とジャニーズを主食に生きてる。

革命前夜の胸騒ぎ。

ジャニーズ

好きな漫画家さんのnoteを見るついでに、そっちでマガジンを作ってみたけれど、正直使い方がよくわからないので、ブログ自体は引っ越しすることにしてみた。

備忘録的なかんじなので、どこで書いても同じかなーと、前に別のところで書いていたけれど、ページがごちゃごちゃしていたり、貴方の記事いつも見てます!楽しいです!みたいなコメントが初めて書いたページに着いたりしてめんどくさいので変更。

新しく趣味ができたり、好きなものが増えたりするとブログの場所自体を変えたがる人間なので、もしかしたらおんなじこと書いてるかもしれないけれど盗作じゃないですwたぶんわたしですw

 

せっかくだから、アンチからジャニヲタへと転がったこの三年を、最初に書いてみようと思う。ワールドやドリボのことも書きたいけれどそれはまた書こう。

 

遠い昔に、一度だけジャニーズを好きだった時期がある。小学生のころの話だ。いつだって小学生にとって、ジャニーズははじめて知る眩しいときめきである。Kinki kidsがまだデビューをしていなくて、『人間失格』とか『若葉のころ』時系列はバラバラかもしれないけれど『銀狼怪奇ファイル』とか。ええ。歳がばれますね。少年倶楽部を見始めたころ、『kissからはじまるミステリー』を完璧に歌えた自分に驚愕したので、金田一もおそらくこのころだったかと。

そう、わたしは光一担だった。そのころ知っていたジュニアを挙げればキリがない。ドル誌買っていたし、アイラブジュニア観てたし。でもそれは本当に短い期間のことで、しかしその短い期間のあいだに光一くんから翼くんに降りている。簡単に担降りしていましたね。今じゃ絶対に考えられない。

そのあと、わたしの幼きジャニーズ道は、翼くんで終わり、のちに知っていたジュニアが何人もデビューしたのをテレビで見かけても、あ、この子知ってるわーデビューしたんだ、ふーんとしか思わない程度にまで興味を失っていた。

興味を失った理由は色々とある。わたしは相当捻くれた性格で、そのひねくれ具合で思春期を通ったものだから、自我だけは強烈だった。それが趣味に及んだのである。

ジャニーズ、そしてヒットソング。それとおけいこしていたピアノ、親が聴くクラシック。それがそのときの音楽のすべてだった。しかし、それはあのころ流行したバンドの登場によってすべて覆る。今考えれば、そのバンドだってヒットソングに他ならないのだけれど、バンドという形態、ちょっと悪い感じのビジュアル、エレキギターを中心とした楽曲に瞬間的に魅せられ、アイドルへの興味は一瞬で失せた。

ジャニーズといえば、日本を代表するアイドル事務所であり、そのアイドルを追いかける女の子たち、という構図に反発したのもあった。皆と同じものは追いかけない、アイドルなんてダサい、わたしは皆と違うから。完全に厨二である。

そうして椎名林檎さんの登場によって、これまでわたしが邁進してきたサブカル道が本格的に開かれた。椎名林檎さんから、所謂ロキノン系アーティストへと終着したわたしは、売れるものがダサく、人の聴いていないものがかっこよかった。ギターが歪んでいるのがかっこよくて、きらきらしたJポップはダサかった。やはりジャニーズは受け付けなかったし、自分の人生には必要ないものだと思っていた。

 

それから10数年。きっかけは木村さんのドラマだった。勿論サブカルに酔いしれてライブハウスで踊り続けていたわたしが観ていたわけではなく、家族が観ているうしろでなんとなく眺めていた。

画面にあまりに素敵な男の子が映っていたので、家族に誰?と聞くと、「キスマイの藤ヶ谷くんじゃん!」と返ってきた。

キスマイ。

そのときの自分の中でのキスマイといえば、ちょうどCDショップで働いていたころにデビューしたグループであることと、妹(当時はキスマイ担ではない)がカラオケで歌っていたMVで、透明なステージの下で踊っていたメンバーがいたこと、中居くんの歌番組に毎週出てるな…と思っていたことと、同時爆売れしていた『美男ですね』の日本版をやったくらいのものである。興味ないわりに結構情報が多いような感覚に陥るが、これらはすべてCDショップで働いていたからだし、しかもそれは興味がない、という土台のうえに成り立っていた。

しかし、ここで突如として藤ヶ谷太輔という人間が人生にインプットされたのである。けれどそれは、最近のジャニーズにかっこいい子がいる、で終わるはずだった。

このころから、妹がキスマイ、キスマイと騒ぎ出した。実のところこの妹もサブカル道に足を突っ込んで、ジャニーズダサいと思っていたような人間である(ジャニーズのデビュー曲は良作が多いのでカラオケで歌っていたというのが彼女の弁)。そんな人間が突然キスマイと騒ぎ出したことに動揺を隠せなかったけれど、思い返してみれば、彼女に引っ張られるようにして、そして引っ張られたわたしが沼にちょっと足を踏み入れたのを見て、彼女も同じように、一緒に沼に飛び込んだのかも、という気がする。たぶんひとりだったらここまで好きになっていなかったかも。

10月期後のドラマのあとに始まる年末の音楽番組はキスマイという存在を意識して観たし、カウコンも(カウコンは知っている曲も多いので楽しいのでダサいと思いつつ観ていたwほんとごめんなさいとしか)キスマイ出る!という思いのもと観ていた。

自分の日常に、キスマイという存在が確実に食い込んでくるのを感じた。これまで自分が好きだったアーティストは、テレビにほとんど出なかったし、CDの発売もマイペースを貫いていたけれど、ジャニーズのアイドルはそうではなく、やれ誰がドラマ、バラエティー、CDはすぐ出る、CMにも出る。息つく暇がないほど毎日なにかしらがあるうえに、ジャニーズのこと、キスマイのこと、メンバーのこと、藤ヶ谷くんのことを遡って調べるという、気になったら避けて通れない性もあり、寝る時間が惜しすぎた。

『My Resistance/運命Girl』が年明けに発売されたときには、CDを買うかどうか本当に葛藤した。買ってしまったら後には戻れない気がした。これはもう同じ境遇の方にしかわからないのかもしれないが、ジャニーズのCDを買う自分がどうかと思ったのだ。しかし買った。買ってしまった。そして戻れなくなった。本当に、戻れなくなった。この感情は複雑だ。今までの自分がガラガラと壊れていく絶望感や不安、焦燥に駆られる一方で(大げさ)、まったく知らない、未知なる世界に捕らわれていく奇妙な興奮や、言葉ではうまく言えないやるせないときめきのようなものがごちゃまぜになっていた。

もうそのごちゃまぜのまま、わたしは転がった。すんごい坂が目の前にあって、そこを思い切り光のようなスピードで自主的に。

元々ジャニーズに疎いわたしは、どうやったらライブに行けるかわからなくて、調べたり、ジャニーズを好きな方に連絡したりもした。どうしても生で観て、生で聴きたかったのだ。結局ファンクラブに入るほかない、とわかり、ええ、ええ入りましょう!と瞬時に入会の手続きをする謎の行動力。そして過去の作品を買い集めはじめたころから飛んでいくお金…主に天井知らず精神で、妹が積極的にお高くなっていたライブDVDの初回盤を買い求めているとなりで、わたしも一枚目のアルバムやMVつきのシングルを購入した。

この過去を遡っていく時期に、藤ヶ谷担になる決定的瞬間が訪れる。元々最初から好みなので、結局藤ヶ谷担以外にはなかったと思うのだが、キスマイミントツアーのDVDをはじめて観たときのことだった。ジャニーズのライブを観ること自体はじめてなので、ただただアイドル然としたライブに中てられながら観ていた。衣裳、むしろオープニングの宙吊りから、コール、パフォーマンス、ファンサ。すべてが新鮮であり違和感だった。

そうして曲は『Kickin'it』へ。どのシングル出か、といえば『アイノビート』なんだろうけれど、これはもう運命の一曲だった。ティアドロップのサングラスをかけ、真っ黒のひらひらを翻しながら花道を踊り、飛び跳ね、ぎらつきながら歌うガヤさんを観て、とんでもないくらいときめいた。あの、ガヤさんの、腰を落として突き出しながらうしろむきで歩いたりするくるってしたりするあの動きが本当に好きだ。エロい。

もう仕草から動き、表情、指の先まで完璧に自己プロデュースされたパフォーマンスに魅せられた。

もうそこからはガヤさん一色。たいぴーたいぴーとさぞうるさかったであろう、家族たち。思春期の恋か、ってくらいガヤさんのことばかり考えていた。え、ちょっと待って今書いてみて引いたww恋とか愛とはまた違うんだけどもw

ガヤさんのことはもう、顔もスタイルも声も大好きっていうかどんぴしゃなんだけれど、今はインタビューで見えるストイックさとか、実は天然かわいい(父さん時代を知らない新規なのが悔やまれる…)ところとか、生真面目すぎるくせにちょっとお調子に乗っちゃった?ってところとか、先輩の前だと緊張したり太鼓持ちしちゃったり(貶めてるわけではないです)、アイドルやってるのにテレビで不機嫌?とわかっちゃうところや、とにかくいいところも悪いところも全部ひっくるめて好きと、言えるようにはなった。だからきっとわたし、ガヤさんの悪いところも書くかもしれないけれど、それも愛ゆえに、込みで、担当なのかな、とわたしなりに、ジャニーズの世界に足を踏み入れてみて自分で決定付けている。

まだまだ勉強不足なこともあったり、キスマイゴー!と叫んでいる瞬間にわたし何やってるんだろうと我に返る瞬間もあるけれど、ダサい、からの沼にもう全身浸かって、今は何故もっと早く出会ってくれなかったの?とか、何故もっと早くわたしの人生に現れてくれなかったの?とか、どうしてわたしはもっと早く彼らを、彼を知ることができなかったの?と、どうしようもないことを問いかけたり責めたりしながら日々を過ごしている。