舞い散る日々のなかで踊れ

散財していくタイプのおたく。

Kis-My-Ft2『LIVE TOUR 2017 MUSIC COLOSSEUM』に行った。

まだツアーはじまったばかりなので、これからどんどん修正点が出てくるのだろうが、わたしはこの公演が最初で最後、5月21日のエコパ二部で観たものがすべてなのでまだ序盤だからとか言う気もないしだからなんだよ、って思うし、序盤とオーラス付近とか、そういうスケジュールで2公演とか入っていたドームコンで「まあまだ始まったばっかりだし」とか言ってたのがそもそも甘やかしなのかもしんない、って思ったことなどを踏まえていろいろ書く。トゲも毒もあるけどキスマイが好きなことには変わりない。復活当選で行けただけでも幸運っていうのも死ぬほどわかっているけど、だからってそこにぜんぶ寄りかかって目をつぶるのもちがうかな、って思う。

 

※ネタバレ注意※

 

去年『I SCREAM』のライブについてのエントリーでも書いたのだけれど、基本的にライブはどこの席にいても楽しめることがまず大前提、と思っているので、その点に関して言えば今回はもう大減点だし、入場した瞬間に席によって「あっ……」ってなるのでもはや本編の構成云々の話じゃなくてその前段階で観客のテンション下げていませんか?と思う。そりゃ「キスマイGO」言ってもらえなくてもしょうがない部分ない?センステのみにして360度観客のセットは今回のツアーのテーマに関して言えばわかりみあるし、納得だった。なにがしたいかも明確にわかる。ただつくりが悪い。他のアリーナがどうなのかはわからないけれど、まずステージが低い気がしたのと、セット上部や上下可動式のスクリーンはスタンドから観るとかなり視界を遮らないのか?という疑問と、闘技場に見立てた四隅の柱はアリーナもスタンドも席によっては相当ストレスにならないだろうか?ということ。実際円の外側あたりの席に入ったのだけれど、柱くっそ邪魔で視界が悪かった。ステージ中央に集まるとなにしているのかわからない。それでもわたしの席はまだ恵まれていたほうで、おそらくアリーナでもステージから離れるほど本当に見えなかったんじゃないかと思う。ただこういうセットはドームではできないだろうし(演出込みで)、アリーナツアーだからこそやりたい、という気持ちや気概を汲みたいところもあるし、たとえ外周がなくても近くに来なくても、ライブ自体がめちゃくちゃ良かったらそれはそれでいいと思うけど(わたしは、だけど)パフォーマンスの全貌がまず見えない、というのは「んんwww」というかんじ。というのもOPからセトリがすごく良かったから余計に。

今回「Tonight」ではじまって「EXPLODE」に流れ込んだりしたらすごくかっこいいなあと思っていて、それはちがったけど「Overture」→「EXPLODE」→「Tonight」→「FIRE BEAT」の流れがすごくよくて「それ!!!!!!!!」とかなったし気持ちがかなり持って行かれたけど、この流れならほんとがしがし踊るキスマイが観たかったんですよね…いや柱のむこうにちょろちょろ見えたよ…それにバックがトラジャっていうのは事前に知ってたしこのアルバムでトラジャならきっとかっこよくなるな!とかダンスで魅せてくるだろうって思ってたし、こういう流れや曲で踊るトラジャも観たかったんだよ…だってトラジャどちゃくそ踊りうまいじゃん…かっこいいじゃん…ちょろちょろ見えたよ…キスマイもトラジャもがっつり踊ってて「ヤバイ」ってなったけど、一部分しかわからないからほぼスクリーン観てた。そうじゃない。キスマイは自分たちの正しい見せ方わかってるのかなっていう疑問がわいてきた。このセクションってほぼ一番の見せ場じゃない?このセトリでさあ!!!全員でしっかり踊ってるところ観てもらわなくてどうすんの???????キスマイは踊ってなんぼだろって思うんだけど、わたし背が低いから、もしかしたらほかの皆さんはきちんとダンス見えてたのかもしんない、って今思った。ただケチつけてるだけになってたらごめんやで。んーでもアリーナ規模の会場ってジャニーズでは片手くらいしか入ったことないけど、これまで席がスタンドだろうがアリーナだろうがここまでのストレス抱えた記憶ないなー

今回で言えば円の内側とかステージ真横のスタンド前列に入った方は見えたのかもしんないからそういう席入れば見えるのかもだけどそれはちがくない??ドームツアーとちがって複数当選とかまずありえないし、一回が最初で最後って場合も往々にしてあるツアーで「どこから見ても楽しめる」じゃないのは致命的だ。いや、そもそもどんな会場だろうが多ステ勢が多かろうが関係なくそうじゃなきゃいけないはずなんだけどね。近いとか顔が見えるとかそういうことじゃなくてひとつのエンタメとして。

だいたい「近くにいきたい」とか「近くにいくよ」ってことにそんなに意味を見出しているキスマイがよくわからない。よく内輪で出る話なんだけど、近く近く言うけど前に何度かやったリリイベとかハイタッチとか、当落ありきでごく一部のファンの近くに行って満足してるだけなのでは?と思う。ドームでやればやるほど、活躍が増えれば増えるほど遠くなったって言われがちなのを気にしていたり、ファンの近くにって気持ちはわからなくもないし、アリーナに回帰してライブを作りたいってのもわかる。キスマイがやりたいんだから受け入れようと思ってたけど、近くにいきます(物理)はあまりにも短絡的すぎる。個人的には近くに感じるか感じないかって、精神的なものだと思う。どれだけファンの気持ちを汲みとれているか、どれだけファンが彼らの気持ちを汲みとれているかってことじゃないかなー

もちろんすべてのファンの希望に添うことは無理だし、ファンもタレントが自分の望む姿じゃないからって文句つけまくるのはちがうしもう降りろよってことにもなるけど、すこしの矛盾なり失望なりを抱えながらも、好意や理解や想像で信頼関係はそれなりに築けるじゃない。キスマイはわりとドライなアイドルで、ファンとの関係も一定の距離をとりがちだけど距離と信頼関係は必ずしもイコールではないでしょ。キスマイのドライさを否定する気は毛頭ないし、彼らとはそういう関係性を築いているって思ってるからつねにべたべたされても「は?」ってなるし、これはこれでいいんだよだけどそれってまずきちんと土台ができてる上に成り立っていること前提の話だし、そもそも我々って信頼関係あるのかな?って思えてきた…

そりゃ物理でたいぴに近づかれたらしぬし、今回だってアリトロんとき崩れ落ちたくらいにしんだけど、だから「ライブ楽しかった!!全部許せる!!」とはならんよな。イケメンだってことは近くで見なくても知ってるよ!!!

でも前半のセトリはすごくよかったと思う。このあとの「Bang!Bang!BURN!」まで一気に駆け抜けたかんじはキスマイといえばこれ、って魅力を凝縮したようなターン。なんなら中盤の「いいね!」までも流れとしては悪くなかった。MCに挟んだ新曲「PICK IT UP」もむちゃくちゃ良かった。ピキラ大好き。

でもワナビと運命Girlのリミックスの良さはわからんかったごめん。なぜ混ぜた。マッシュアップとかみたいに「え!すごい!!」って驚きを与えるものでもなくて交互に歌ってるだけのようなもんだし、1曲でやったほうがましだった。なんだなんだ…?時間短縮…?と置いてきぼりくらう。

やっぱり曲を大事にしてほしいということを常々思っていて、せっかくいい曲もらってるんだから、どこに配置してどう見せるかどう使うかってことに光るものや成長を感じたい。こういうのは彼らのセンスや自分の好みで左右されちゃうことだし、単に一ファンのエゴを押し付けているだけにすぎないとも思えて悩ましいけれど。でも絶対どっかにあるはずってわたしは信じてるんだよね。昔の曲、好きな曲をやるやらないっていうところを超えて「ぼくがかんがえたさいきょうのきすまい」的なセトリ。本人たちとファンのそれと気持ちが合致するような。去年の「I SCREAM」は当時のキスマイで考えたときに、それに近いものになったと感じているんだけど今年はぶっちゃけ後半がまたもだれ気味だった。コントやたまっちで一旦クールダウンして、組曲のかっこうで「レッツゴー!!」までが「緩」の部分で良かったのでは。そのあとの藤北着替えの意味ある?着替えに時間がかかるっていうのを加味しても、ライブなんだからギアチェンジは音楽でするべきなのではないか。番組のEDのようにコントタイムを「レッツゴー」で締めたならそこでゆるい時間は終わりでいいんじゃないかと思った。このへんは前も下手っていうか、おなじように感じてもやったことがあるんだよな。コンサートってストーリー性があるにしろないにしろひとつの創作物であるべきで、連続性の中に気持ちを置くからこそあの2時間3時間を空間として楽しめるのではないのかと思うし、だからこそひとつの作品としてつくりあげる意識が必要なのではないのかね。

トラジャのダンスタイムはすごく良かったけどもう少し使いどころというか、2時間半という時間の中でもうすこし的確な時間の割き方や置きどころがあったのではないかという気がしてしょうがない。もうトラジャやトラジャ担に呆れられてないか考えちゃって心臓痛かった。トラジャについてもらった意味(白目)あと「OneKiss」のあの使い方も解せぬ。

ただ「Gravity」→「r.a.c.e」は良かった。かっこよかった。これドームならやっぱりこの曲で特効ってポジションのところかな。全体通してこのライブにあたっての選曲自体はシングル多すぎかなって印象はあってもそこまで悪いとも思えなかったし、単に並べ方や構成力、時間の使い方あたりに反省点を抱えている気がする。個人的な願望を口にすれば「Baby Love」はまじで聴きたかったけどな!!まあでもこのかんじだとドームツアー控えてるでしょ。おそらく。ソロもやらなかったし。

行けただけでもいいとか当選できなかった人もいるっていうのは重々承知しているから、こんな感想書きたくなかったけど、6年目にもなってクオリティが安定しないというのはいかがなものなのかな。極端に言えばたとえプライベート的な面や画面に映っていないところでの人間的なマイナスがあったとしても、パフォーマンスやクオリティでがっかりさせられなければわたしはキスマイにお金を払い続けられるし、それだけ期待もしているんだよ。ライブやリリースしてくるものに好みの差はあってもクオリティの安定という面で納得させることは不可能でもなんでもないと思う。やりたいことをやってほしいし、やりたいことを詰め込むことも構わない。だけどどう見えるか、っていう客観的な視点がさすがに欠けているようにしか思えない。

ぶっちゃけパフォーマンスやクオリティ、楽曲に関してのみに特化すれば自分の好みにより近いグループはジャニーズの中にほかにもいくつかあるし、いろいろ考え尽くされて計算され尽くされているな、うまいなって思うグループもある。だとしてもじゃあ、そっちに降りるって選択がこれまで生まれてこなかったし、それでも担当って思うのはキスマイしかいなくて、キスマイが好きなんだからもう意味わかんない(泣)べつに比べるつもりもなくて、やり方はそれぞれだとは思うけど、こうしてなにかを魅せていく職業にあってなにが欠けているのかなにが足りないのかっていうのは共通しているんじゃないの。だってエンターテインメントじゃん…

 キスマイのことできない子たちとは思ってないけど(そもそも思ってたら好きじゃない)「やればできる子」みたいなところからはそろそろ脱してほしい。急に高くとは言わないが、ある程度の水準で「やってあたりまえ」のラインを保ち、そこに毎年スキルをプラスしていくくらいでないと、ジュニア含めて下からの突き上げも厳しいジャニーズ界隈でも、さまざまなJ以外の男性グループが乱立するアイドル界隈でも出し抜かれて埋もれてしまうぞ…!と思わずにはいられない。

 

Kis-My-Ft2『MUSIC COLOSSEUM』を聴いた。

届いた日にひと通り聴いて、そのあと職場に向かう車の中で毎日流している。

アリーナツアーを全外しして管を巻いていたところ、うちの玉森担が復活当選を果たすという奇跡を起こしたので休みをねじ込んだはいいものの、静岡なのでとりあえずガンガン聴こうぜ!のスタンスで急いで体内に全曲を取り込んでいる最中。

正直なところあらかじめしていた試聴の段階では「???」と思っていた。よくわからなかった。キスマイ、いつも今回は攻めたっていうじゃん?(キスブサのたいぴ風)試聴だけじゃあまりそれわかんなかったんですよね。「MUSIC」なんて冠してるわけだから音楽的に攻めたのかなってスタッフブログから考えてたんだけどもしかして違うのかな、プロデュースするって新しい取り組みのことを言っているのかなと思ったり。自分の捉え方や汲み取りがうまくいってないのが大半の原因なんじゃないかって知ってるけど。なんだかここのところずっと雑音が多すぎた。

まあそれは置いといて。一枚通して聴くと試聴とかなり印象が変わるということはよくわかった。もうぜんぜん違う。『I SCREAM』が試聴だけでがっつり掴んでくるほどのわかりやすい開放的でキャッチーな作品だとしたら、『MUSIC COLOSSEUM』はもっとひねりをくわえた「ああ、これがあなたたちのMUSICなのね」ってこれは音楽だねって言える意欲作なんじゃないかと思う。

さいしょに感じたのは、イヤホンなしのスマホで聴いていたときは気がつかなかったけれど、すごく音が作り込まれているなということ。車に搭載された普通のプレイヤーでもわかるくらい、きっちり作ってある印象だった。もともとAvexお家芸的サウンドの曲をたくさん作ってもらってきたキスマイだし、今回も例に漏れずそうだしやはりAvexさすがって感じるんだけど、いつも以上にフックが多いというか、今のとこの音おもしろいなって感じる場面が多いような気がする。

誰がどの曲をプロデュースしたのかは予想でしかないし、ぶっちゃけこれ誰かわっかんないなーって思う曲もあるんだけど、ここまでよく統一感持たせられたと感心する。去年のソロ曲7曲にみえた個性って明らかにばらばらだったけど、Kis-My-Ft2の楽曲を、となったときにアルバム一枚の中にさまざまなテイストを交えつつ違和感なくそれぞれがおさめることができるって要は7人の「Kis-My-Ft2の進むべき方向性」がおなじ矢印、スタンスで共有されているということなのではないかと思う。安心した。ほら、キスマイちゃんってけっこうひとりひとりがインディペンデンスなかんじだから…

とりあえず総評のようなものは以上で、恒例(2回目)の全曲レビューなんかを書きたいと思う。

 ***

1.Overture~Music Colosseum~

まさかの歌入り。もしかしなくてもこんなのはじめて。選びきれなかった曲からサビをもってきたのではないか?ここまでovertureにはっきりとしたコンセプトを提示したのもはじめてかもしれない。狼煙とかほら貝とかそういう開戦の合図のような意味あいを感じる一曲。

2.EXPLODE

「Tonight」から地続きの低音聴かせ系かと思いきや、アレンジ工場か?と問いたくなるほど色合いの変化を詰め込んだ面白いリード曲。だけど曲全体にまっすぐ強い筋がきっちり通っているので最後まで崩壊することなく聴かせるわあと思った。安心と信頼のJazzin`park。イントロ前の導入部分も期待感高まる。歌詞とダンスもつよい。衣装はちょっと笑っちゃうけどな。

3.VersuS

まずイントロが良い。今このイントロ鳴らすアイドルいます?キスマイしかいません。ヒップホップっぽいサウンドに和のテイストを組み込んだセンスや、マイクバトルならぬダンスバトルやっちゃいそうな兄組VS弟組って考えると千賀さんじゃないかと思ったけど、彼はほかにもこれかなって候補あるのよね。ヒップホップというと二階堂くんってイメージもある。ただファンクではないからな…サビの爆発が最高にエモーショナルで1曲目からここまで流れはまさに攻めているんだなと思えた。

4.いいね!

「いいね!」ってものすごく現代的なタイトルに笑う。こういう宴会的応援歌な曲は今キスマイがやるべき楽曲なのだろうか?とはじめは考え込んでいたけれど、キスマイがただただいいね!いいね!と言ってくれる様相に仕事つらい症候群の全俺が泣いた。やはり彼らはアイドルだった。ラテンノリって「Forza!」くらいしか覚えないので、単純に考えて5人の中にラテン系好きな子がいるのかしら…?千賀くんと別の曲に明らかなチョイスを滲ませている宮田くんを除くと3人だけど。というか花金って今使うんですか?いいね!ってリアル現代なワードを発しながら90年代みのある「花金」って言葉をチョイスしている絶妙なバランス感覚いいね!

5.レッツゴー!!

いいね!からの流れが秀逸。レゴバッドマンの主題歌ってこともあるのか、このアメコミ感ね!アホっぽさ(褒め言葉)さえ感じるような突き抜けるほど前しか向いてない歌詞と遊び心のあるサウンドの融合はキスマイがわりと歌うトンチキ系ポップの流れを汲んでいるんだけど、生バンドっぽいギターロックに箱から溢れてくるようなキラキラが揺れるデジタルサウンドが絡む音作りはガチ。頭からっぽにして楽しめる多幸感はちょっと泣きたくなる。

6.SEVEN WISHES

イメージと主観の話でしかなく長崎に住んでいるひとには申し訳ないはなしではあるけれど、『INTER』でイントロを聴いたときに「ああ!長崎わかる!」って思った。長崎ってそれこそ日本にはじめて異国の風が舞い込んだ場所って印象なのでこの異国情緒な匂いがするイントロがすごくしっくりきた。歌詞がやさしいのでつらいときにそのまま旅の支度してそのままふらっとどこかに、誰もわたしを知らない場所に行って充電したくなる。

7.優しい雨北山宏光

HusiQ.Kさんのメロディメーカーぶりがまた発揮されてしまった…(歓喜)「なぜ僕たちは出会ったの?」から畳み掛けてくるところが胸に来る。これはもうセンスに拍手を送るしかない。

8.One Kiss

この曲ほんとすばらしいんだけど。もうね、キスマイにはこういうのやってほしいの。ガチガチのデジタルやエレクトロ系だけじゃなくてハウスもいけるじゃない。もうね、こういうとこなの。キスマイすきって思うのは、こういうのさらっと取り入れてやっちゃうとこ。前回の「Flamingo」のような立ち位置かなって思ってる。こういうクラブミュージックやEDM界隈における世界規模な流れをキスマイに連れてくるのって誰だろう。最初やっぱり玉森くんかなと思ったんだけどあまりにもらしすぎてちがうか。千賀さんもありそうなのよね。そしてキスマイとAvexの相性の良さを感じずにはいられない。

9.Sha la la☆Summer Time

これは『I SCREAM』から繋がる曲だと思っているので、『INTER』を起点に流れ込むアルバムを作るなら外してもよかった。曲のよしあしではなく、単にコンセプト云々のはなし。

10.Camellia(玉森裕太

まさか玉ちゃんのソロ曲の歌詞に泣かされるとは思わなかった。こういう歌詞を歌うイメージがなかったしサウンドもどこか懐かしいJPOPみのある曲を選ぶとは意外。「リバース」の浅見先生にもみえる玉森くんの成長の上昇度を考えると今だから歌える曲なのかもしれない。

11.Baby Love

正統なファンクかと言われると首を捻らざるをえないところもあるけど、あえて言うならこれはキスマイ流ファンクなのでは。ファンクのリズムにエーベサウンドを落とし込むとこういうかたちになるっていう。だけど通常盤にしか入らない曲を選曲するかなあ。ただこれまではボーナストラックという位置づけで通常盤の最後にのみ収録してきた曲をアルバムの中に組み込んでくるってことはありえるかもしれない。ヒップホップが二階堂くんって思ったのも同様の理由なんだけど、個人的には彼にはブラックミュージックのイメージを感じる。通常盤にしか収録されないことがもったいないくらいの傑作。

12.キスしちゃうぞ

このチョイスは宮田さんしかありえない。乙ゲのキャラソンか。これが仮にほかのメンバーだとしたらそのとんだいかれっぷりを愛せるし、予想どおり宮田くんならこのアルバムにこれをぶっこんでくるブレのなさを愛せる。自担の台詞が無駄にイケボでいろいろしんどい。くそまじめな顔でやってるんだろうなーって想像するとまじしんどいかわいい。

13.Life is Beautiful~大切なあなたへ~

非常にたいぴらしいバラードでいいんじゃないでしょうか。”また明日ね。”がよいと思います。去年の「You`re Liar♥」にみえた片鱗とは両極端な世界だけどどちらも彼が抱えているものなんだろう。

14.君のいる世界

緩急の緩の部分がここしかないくらいに、ソロ曲を抜くと11曲目にしてようやく息継ぎの時間がやってくるというかんじ。既存曲なんだけど安易にラス前とかに置かない並べ方が効いてる。

15.Bang!Bang!BURN!

これまでに比べてギターサウンドの割合がなかなか多いこのアルバムの中で、その方向に思いっきり舵を切って疾走するロックに乗ってくるメロディラインが歌謡曲。こういうロックって90年代のJ-POP、J-Rockでよく聴いたのでそのころに青春を過ごした同世代のメンバーが選んでいるのでは?と考えると兄組なんだけど後半のほうはとくに誰がチョイスしているのかむずかしい。ラップのあとにはじまる「移り気な~」からのメロディは神がかっている。

16.r.a.c.e.

そもそも二次オタ的観点で「勝利を君に捧げる系男子」がすきなので、「この勝利をキミに」っていうのがパワーワードすぎてしぬ。ドームならいつもの特効打ちまくりパートにこれを据えてがしがし踊るんだろうな。

17.Tonight

『INTER』とこのアルバムを媒介する1曲っていうのがアルバムの中に入ってより鮮烈になった。”INTER"ってワードの中にどれだけの意味が込められているのかなって考えたとき、まずそのまま”埋葬”だとして、5周年でこれまでのキスマイは一旦完結っていうのもわたしはすきなんだけど、2枚のアルバムの中間点、媒介ってところからとった「INTER」も含んでいるとするとやっぱりこの曲が核だったんだなと思う。うたコンで披露したときに「えっこの年齢層の中これ歌っちゃうの?」って気を揉んだのだが、あそこであれを歌ったキスマイを観て、今年まさかこの曲で紅白あるんじゃ…となぜか急に感じた。なぜだろう。たぶんそれくらい強かったんだと思う。あのMステを思い出す強さに近いもの。あと歌番組で披露するとき、しっかり歌ってると「go in 強引 go win the hard way」の部分のすごく気合いと力がはいってるんだけど若干力み気味で投げ捨ててる感じにもなってるなんかすごくキスマイってかんじはいつも笑えるしすきです、ってなる。

18.Dream on

オーオーセクションきたーーーーーーたぶんこれうちらがやるやつ。壮大なロックチューンで締めるのははじめての試みでは。キスマイ、ロック好きなメンバー多いんだね。ただなーこれいろいろ大丈夫?なんかいろいろ噴き出して大事にならなければいいけど…

 ***

まとめ。

ジャニーズはアイドル集団だし、そこに属するキスマイもアイドル。ずっとむかしはただきらきらと笑って応援歌やラブソングを歌っていればアイドル像は守れたのかもしれないし、それでよかったのかもしれない。そのかわりに、アイドル、というレッテルを貼られてしまうことからは逃れられないことだったと思う。この『MUSIC COLOSSEUM』はそのレッテルをアイドル側からばりばりと剥がして、キスマイのやり方で壁を越えていこうとする気概を感じるアルバムだった。いろいろな先輩Gが切り開いてきたそういう流れをキスマイも踏襲しようとしている。10代が賞味期限だったかつてに比べて長く前線で勝負しつづけることができる時代になったぶん、どこでテンプレートなアイドル像から脱皮するか、どういうかたちでそれを達成し世間に相対していくのかを模索していくにあたり、音楽の存在は重要なファクターのひとつなのだと思う。アイドルといってもやっぱり曲を選んでレコーディングしてCDにして世に送り出す以上、音楽的な展望が必要だとずっと痛感している。キスマイはデビュー年数で言えばまだ若手Gでも、デビューまでが長かったこともあってすでに30代のメンバーが3人いるし、本人たちとしても過渡期に入っていると感じているんじゃないのかなと思える。

もともとキスマイがAvexとともに繰り出してくるサウンドに引っ張られた面も大きく、音楽などとっくにジャンルレスなのだとキスマイに教えられた身としては、さらにステップを上がろうとしていく彼らの姿勢がみえるかぎり、その変革と進化を受け入れ続け一緒に楽しんでいくつもりだ。

ただ、垣根を壊して挑もうとするアイドルのすがたがなるべく多くの人に届けばいいのに、と勝手に願う一方で、そもそも彼らはどこに向けてこれを届けたいのだろう?と思うときもある。ファンはもちろん前提として、そこだけに届けばいいと考えているのか、そうじゃないのか。キスマイはまだそこが見えにくい。明確な舵取りができていない気がする。だからこそもったいない。今以上に届くべき場所に届いていないのでは。そういうことはもちろんすぐにできるものではなく、ある程度年数をかけて向かいたい場所や「こうしたい、なりたい」と望む方向に布石を打ち、経験値を積み重ね、単発や突発的ではない事象を獲得していく必要がある。5年をかけて構築してきたものが去年のアルバムとライブだとしたらあれはそうあるべき到達点に達していたと思う。ここからは10年経ったときにキスマイがどういう存在になっているか、そのはじまりの第一歩としてひとまず彼らが打った最善の一手がこのアルバムだとわたしは感じている。

 

 

MUSIC COLOSSEUM (通常盤)

MUSIC COLOSSEUM (通常盤)

 

 

鉄血のオルフェンズ終わっちゃったねってはなし。

最終回が終わって一週間近く(既に現在は二週間経過している)経とうとしている。「3月のライオン」とともに半年間きっちり見続けました。こんなに真面目にアニメ観たのは久しぶりだよ!どちらもかなり心のひだを揺らしてくる作品だったからしんどかったけれども。ちなみに2クール目のはじめあたりでユーリも一気観したからそのころ精神的ダメージすごかった。

思えばオルフェンズを観始めたのは2期直前にキスマイの宮田くんが出ていた特番を観て魅かれて1期を観たことからなんだけど、本当におもしろくて夢中になった頃のことを思うと、ここ最近の月曜日はいつも鬱、みたいな展開になるとは予想できなかった。わたしはガンダムに明るくないので、こんなもんやでって言われたらそうなん?としか言えないんだけどそのあたりはガノタの皆さん的にはどうなのでしょうね。

一週間経つんだけど今も虚無&虚無ってかんじ。とりあえず完結するまでは多くは言うまいって思ってたけど完結したから、なんとなく思ってることを書いてみる。

うーんと、まずは、鉄華団としてはなにも引っくり返らないまま終わったなあ。

一視聴者としては、どこかでかならず一矢報いる瞬間があると思っていたんだけど、なかった。ただのひとつもなかった。わたしがそれを信じてたのはたぶん、シノがダインスレイヴを打ち込もうとしたあたりまでかなあ。あれが完全に成功してラスタル&イオク様を葬れるとは思っていなかったし、シノヤマ(あえて書いていく)による露骨なフラグが失敗の予感しかさせなかったし、教科書どおりのフラグ回収を鉄則としているようなオルフェンズのことだから、まあ予想は容易だったけど、なんらかの楔にくらいはなってくれればって願ったけどそうでもなかった。このあたりから活路を見出す→失敗で誰かの死か損害のループになってきて、こちらとしても「こんな作戦あるぞ」とか「金あるぞ」とか言われてもあーはいはいこんなうまくいくわけないからどうせぬかよろこびに終わるんでしょって気になってきて、もう絶対悪いことが起こるのはわかるからストレスマッハってかんじで、結局そのとおりになって救済されないストレスがそのままストレスになり月曜日に鬱となって襲い掛かるっていうのがパターン化。まさにアニメ的なご都合主義はいっさいなくひたすら現実のやるせなさを見せてくるアニメを観て現実に立ち返っていくのはわりとしんどいよね。

1期の観たときの感想の記事を読み返すと、全滅ENDになりそうだったのにラストぬるくない?あんなに都合よくいく?とか言ってるので、まあいつのときも視聴者(てかわたし)ってやつは勝手だなと。でもあの1期のラストがあったからこそ、これは生きていく物語だと思ったんですけどね。いのちの糧は戦場にあるというから、生きるために戦うんだって思い込んでた。だけど戦うんだからそりゃ死もあるよね…それしか前に進む方法を知らないんだから至極当然か…

ただ、引っくり返せなかったとは言ったけど、最後の希望だった地下通路は生きていたし(実は使えませんでしたってなるんじゃないかってわりと本気で思ってた)大半が生きてクリュセに到着してIDを書き換えて新しい人生を踏み出せているのはある意味引っくり返ってるのかもしれない。

今、全話リストを眺めつつ、さっくり振り返ってみると、いちばん悲しかったけど二期でいちばん好きな話は第40話「燃ゆる太陽に照らされて」かな。あんなに二次キャラを憎むことがあるのかっていうくらいイオク様が許せなくても、姐さんの「輝くためさ!」にしびれすぎて泣いた。名瀬さんが跡目争い?というか抗争で退場するかもってことは濃厚だったから覚悟もしてたし、つらいけど40話はそれも含めてストーリーとしてすごくおもしろかったなあと今思う。 

ただラフタは鉄華団に入るもんだと思ってた。愛のために恋を選ばない、みたいな選択の果てにあんなことになるなんてショックの極みだったんだけど、ラフタじゃなかったらアジーさんだっただろうし、どのみち道筋は変わらなかったんだろうな。

特番で号泣していた向さんを見て、死んじゃうのがラフタだったら最大に凹むなあと思ってたんだけど、そのとおりになってしまった。

じぶんのツイッターを見返してみると38話のときに「オルガが一生後悔する選択になるんじゃないか」みたいなことをつぶやいている。なにを指してるのかは今となっては定かじゃない。おそらくマクマードさんに盃を返したことと、火星の王の話について名瀬さんと話しているところ、MA戦で三日月が足をもっていかれる結果を招いたことまとめてだろうな。一概にオルガが悪いってわけじゃないんだけど、ユージンが言うようにぜんぶ背負っちゃってがんじがらめになってるというか…41話でマクギリスにすがるみたいに「使い道はあるか」ってオルガが言ったときにはもはや「これ精神的自殺だろ…」ってやばみを感じたし、ユージンが「考えはおなじなのか」って問うたときに「そうだ」って言ってたのやけくそ感否めなかったよ。そのあと「名前がなんでも場所がどこでもバカ笑いしたい」って腹を括ったのは良かったけど時すで遅しでもう時代の大きなうねりに巻き込まれていく(マッキーが意図的に引いた引き金とはいえ)しかなかったように感じる。オルガが悪いわけじゃなくて、もうどうしようもない流れ。そういうのって歴史の中でも何度も繰り返されてるやつ。なんかもう新撰組みたいだなって。あんまりくわしくないし薄桜鬼と燃えよ剣の知識で言ってるごめん。

こういうかたちで敗者として描かれるのはいちばんきつい。正義と悪じゃなくてほんとに勝者と敗者でしかないから。結果的に敗者となった鉄華団の誕生から見てるわけで、生活があって家族があって生きていくための戦いがあって守りたいものがある、それを4クール分知っているからこそのやるせなさね。

つーかオルガなんてあの終盤でモブにパンパンされたんだぜ…あのオルガ・イツカだよ!?ほぼ主人公だよ!?任侠ガンダムって言ったってそんな退場ある???殺せばいいってもんじゃない。てっきりノブリスが指示したのかと思ったんだけどモブが勝手にやったとか…忖度かよ…というかなぜ防弾チョッキを着ないのか。なぜ鉄華団ブルゾンを着ているのか。ねえ国際指名手配されてなかった…

トーリー上全滅ENDでも仕方がない状況になってたしそれならそれでもいいんですよ、オルガが死ぬこともべつにいい、だけどそれでも見届けようってこっちが覚悟して作品に向き合えるような描き方ってもうすこしあるんじゃない?ってあのときは本気で冷めた。殺せばいいってもんじゃない(二回目)たしかに現実的に人は死ぬときはあっけなく死ぬし、いくらリアリティを描こうとしているとしてもやっぱり物語を作っている以上多少はね…現実にありがちなことを日常話でない物語に落とし込むうえでうまく昇華できていない気がした。

まあざっくり言えば生き抜いた結果なんだろうな。果たすべきことを果たしてそれぞれがいのちを使いきったんじゃないかと思う。これから新しい道を歩いていくメンバーはきっとまだ道半ばで、これから果たすべきことがあるってことなんじゃないのかなあ。と言ってしまうと三日月と昭広は戦場でしか生きられなかったってことになっちゃうから悲しいんだけど。だけどバルバトスもグシオンも最期の最期までほんとうにかっこよかった。

いのちを使いきるってけっこう自分の人生の命題でもあって、よく人間は脳の能力を10%も引き出せないみたいな話を聞くけど、それを11%にするくらいにはもがいて生きて死にたいと思っているので、わたしの解釈でしかないにしろ、そのへんは響いた。

響いたと言えばライドの選択も。ライドが進みだした人生はオルガが身を挺して守ったものだし、復讐なんて誰も望んでも喜びもしないって本人もきっとわかってるんだろうけど、落としどころがつけられないからああするしかないんだろうな。行動はべつとして、その気持ちは世間のスタンダードにおける善悪や正誤じゃはかれない気がする。

鉄華団に関してはそんなかんじかな。あ、あとユージンはクーデリアの右腕になってたけど、彼に関しては生き残るだろうって「見えない明日で今日をすり減らすんじゃねえ」って台詞で確信した。2期中一番すきな台詞。おやっさんの「考えることやめんじゃねーぞ 」もすき。たぶん道をわけたのはこういうところにあるかもしれない。

いまからNLの話に触れるので嫌な人ごめん先に言っときます。

あのあとユージンとクーデリアってなんかないかなって。いまのかたちがクーデリアにとってはしあわせだとしても、べつのかたちのしあわせの可能性もあっていいんじゃないかな。クーデリアはアトラも三日月のこどもも守るって約束してたしそうしてるみたいだけど、そんなクーデリアを守ってくれるひとがいてほしい(個人的願望)こっそりミカクー勢だったんだけどさ…途中で撃沈したからさ…まあみんな愛、みんな家族でいいんだけどね。

クーデリアは成長したのに二期ではほぼ蚊帳の外になっててクー様勢としては残念だったし「わたしだって鉄華団の家族だったはずなのに」ってつぶやくところは切なかった。賛否あるみたいだけど3人でハグしあっているところわたしはきらいじゃない。まあ「クーデリアさんも三日月の赤ちゃん作りましょう!」はちょっとあれだけど「約束ってあるといいなって思って」って三日月が言うのは意外だった。でも約束って残酷でもあるな。

結果的に三日月はこどもがいても遠くにいってしまったけど、彼なりにそれによって繋げるということができたんじゃないのかなと。世代という意味でも人との関係という意味でも。とはいえオルガありきの人生だった本人は無自覚なんだろうな。オルガとの出会いがじぶんが生まれたとき、最後は「とっくに辿りついてた」だし…そんなんほんとうは「なに言ってんだおめーこれからだよ!」って肩揺さぶりたかったけどさあ…

ここまで書いて下書き保存しているうちに、Twitterでクーデリアとアトラが同性婚していたという事実をトレンドで知って頭抱えた。

同性婚があたりまえの世界ということ自体はいいんだけど、それならシノとユージンの回想でユージンが「えっそういう?」って言ったのはなんだったんだ。認められてる世界なのであればそこでユージンが疑問を呈する描写はおかしくないか?シノがおっぱいに埋もれて死にたいって言うほど女好きだったから?

もっと言えば怒りの中で生きてきたマクギリスってなんだったの???だからこそのあの精神的な成長とまっちゃってるマクギリスが生まれたのではないのですか。

ユージンの台詞もそうだし、マクギリスの設定からしてまさかそんな世界だなんて思えなかったんだけどね。思い切り男女の恋愛だの結婚だの描いてましたやん。なんなら今、名瀬さんのかっこしてタービンズ率いてるアジーさんはみんなと結婚してるんですか???ってはなしにもなってこない???(こない)

あのあと認められたというならアッハイってかんじだけど、まったく匂わせもしていなかった情報を後だしされても困惑の極みでしかない。

そうそうそのマクギリスなんだけどさ~~~彼って一期のときあんなキャラだったっけ???目的を果たすために危険因子を入念に排除して何手先まで理詰めしていくタイプのキャラだと思ってたのわたしだけ????

バエルっていったいなんだったんだろう。バエルとかアグニカとかあんなに口にするからなんらかの特別なすごい力があるんじゃないかって思うじゃん。バエルを動かせたのわたしだけ、って言ってたけどそれGHでは忌むべき阿頼耶識つけたからそりゃ…象徴を手に入れてバエルの威光だけで押し切ろうとしてたなんて冗談きついわ~~~~~でも悲しいよね。本当にこどもみたいだもん。いや、わかるんだ。マッキーの言ってること自体はわからないわけじゃない。かたちのあるものや目にみえてわかるものだけ(力の強さとか)を正しいと思う、それだけが信じられるってこととか、誰にでも平等に権利が与えられる世界っていうのもわかるんだけどさ…だけどマッキーがやったのは革命じゃなくて革命ごっこなんだ。怒りによってのみ突き動かされる信念って激しいけどただそれだけなんじゃないかって思う。感情や力(べつの側面からすると暴力)だけじゃ世の中変わらない。知ってた。

でもマクギリスのこときらいになれないし石動さんのこと愚かだなんて思えない。持っている者は持っていない者のことはやっぱりわからないんじゃないかなって。アインはちがったぞって言いたいんだろうけど、そもそもガエリオさんそういう階級の出身者アインくらいしかよく知らないでしょう。たまたま出会ったアイン、そのアインもたまたま上官がクランクニ尉のようなひとだったからあんなふうに生きたけど、ちがったらそれこそマクギリス革命軍にいたかもしれないし、じぶんが知っているものがそうだからすべてがそうだというわけではないと思う。それでもこのあたりは出会いもすべてそのひと、そのひとの生き方次第、というかんじなのかな。だけど確実に搾取される層っていうのは存在していて、その目線で物語を観ているわけだからやっぱガエリオまぶしすぎる…正しすぎてつらい。

尊ぶべき感情を説いていた彼は誰より主人公らしいし、すこし前のアニメなら当然主人公に据えられてたと思うんだけど、それだけでもまたこの世を渡っていけないのが事実だったりする面もあるので、生き方それぞれ正解はないのでは、と多面性を見せてくれる群像劇らしいところはすきだった。

 ラスタルジュリエッタに関しては必要なことをあたりまえにやっただけ、って認識なんだけど、もうすこしラスタルおじさんの内面を最初から小出しにしてくれればここまでストレス溜めることなかったんじゃないかなあ。あえてそうしていたのかなあ。なにを言おうと、勝ったほうが正義でしかないからもういいけど、ダインスレイヴ乱発はどうかと思うよ!濁の部分があまりにもきれいに隠遁されすぎじゃないかとは思うよ!ただクーデリアや残った鉄華団もそれはおなじなんだろうし、現実世界に於いても非常によくあることとして理解している。

 これどうすんの!畳めるの?ばかなの?(小声)ってなったことも道中ではかなりあるし、手放しで最高の作品だよ、とはもう言えないんだけど、すごい作品だったしいい作品だということは確かなんじゃないかと。ただもう夢も希望もあったもんじゃねえな!二次元ってなに?ってくらい現実的な作品で、今の世の中に置き換えても「ああ…」ってなることも多くてしんどかったな。現実はなかなか救済がないから二次に夢を見たいし力をもらいたいんだけどね。エンタメにむかって現実ってこんなもんだよね、ってつぶやくのってなんだかむなしいじゃない。

オルフェンズが言いたいことってなんだったんだろうね。思い浮かぶことって言ったら

・利用される人間よりも利用する人間たれ

・そのためには夢や理想よりも現実を語れ

・現実を語るにはそれなりの、しかも極端に偏りのない勉学と知識が必要である

・清濁を併せ飲むことが社会で成功する第一歩

とかなんだけど。うん、まあそれもそうなんだろうけどさ。なんかね。

 

 

 

やつあたり@日常remix

はあ〜〜〜〜〜アリーナツアー落ちた。全落ち。同行しますので安心です50Kとか100Kとか、君はキスマイで金儲けするフレンズなんだね!!いや知ってるけどさ〜〜〜そういう界隈があるの知ってたけどさ〜〜ただの八つ当たりごめん。メシウマしていいよ。

色々見ていたらけっこう皆さん当たってるぽかったからひとつくらいは当たると思ってたけど甘かった。地元が当たってる人が多いとかみて、え〜〜〜自担の誕生日付近当たったらどうしよ〜〜〜〜♥♥とか思ってたけど杞憂だったわ。

ぶっちゃけ、疾走魂から外したことなかったからダメージすごい。しにたい。その発言がふざけんなってかんじですねすいません。

わたし、3月頭にユーリ!!!on ICEのくじ引いて、ダブルチャンス当てたんですよね。なんでそんなとこで運を使うの???って玉森担に責められて「せやな」ってかんじだったんだけど、ヴィクトルのタオルわーい!うれしー!ってしてたらキスマイ落ちてたわしにたい。ねえなんで2枚制限にしなかったの????(だからといって当たるとは限らない)

「INTER」ってか「Tonight」わたしが好きな系キスマイでむっちゃかっこよかったし、たいぴドラマ決まって、ようやく2017年動くなって思ってたのに。

アルバム決まったけどこのアルバム引っ提げてツアーすんだろうなって思うとつらみ。

でもエモくてかっこいいの頼むぜ。攻めるキスマイって単語に若干トラウマあるけど、本当に攻めてくれよ!!攻めた君らはまじでかっこいいんだからな!!信じてる!!!

とりあえずツアーグッズだけは仕事のあとにでも会場に買いに行くつもり。傷口に塩を塗っていくヲタク。

一応後半にドームやるんじゃないかって思ってるんだけど、今のかんじだと無理かなあ。ドームをツアーで組んでもらえるほど売上出てないんじゃない。今年は1回も観られないかもしれないなーキスマイ魂の予定がなくなったってことでわたしは4月末のユーリイベ(ライビュ)と夏コミ(予定)に全力注ぐことにする。もうヴィーチャに降りちゃうんだからね!!

さてさて。今から黒バスの映画観てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ユーリ!!! on ICEは沼。知ってた。

は~~~ついに観てしまった~~~「転がり落ちる未来しか見えないからやめる」とか言ってたけど、しごと逃げたすぎて「なんかくれ…あたらしいときめきくれ…きれいなやつ…」と思ってプライムで一気観しちまった~~~!!!

どうも。どこにでもいるジャニヲタ兼アニメ好き、いくつになってもヲタ卒できない昭和生まれのBBAです(金なら出す)年甲斐もなくヲタしててごめんなさい

さて……冬アニメも始まっているなか『ユーリ!!! on ICE』観たよ!!放送も終了して今更だけどさくっと感想書きます。さくっとで済むのか。結論から言うとこれはおそろしい沼です。

フィギュアについて専門知識は皆無で、わかるのは武内直子先生の「THE チェリープロジェクト」という作品で覚えた技の名前くらい。「デススパイラルーーー!?ひとりでーーー!?」ってかんじの超次元スケートマンガです。あとアルベールビルだったかな、伊藤みどりさんに幼いながらに憧れて、あんときのフリーとエキシはテープが擦り切れるほど観て畳の上で真似してました。半回転しかできてないのに「トリプルアクセルっ!」とか言ってな。傘持って出てきてレインコート脱ぐやつ好きだった。25年前?こわい。

まあそんなかんじなのでプログラムの構成や難易度、大会の仕組み、わかる人にはわかるよっていうフィギュア的小ネタとかはよくわからないまま観ていました。そういう詳細がわからなくても勇利のフリーは毎回泣けるところまで届いてくるすごさ…!特に最後のステップのところとか。なんならそれぞれの選手がそれぞれの感情を乗せて滑るからどれも泣いた。第6話の中国大会でレオくんがSP中に「音楽に出会わなければどうやってこの魂を勇気付けていただろう」って言うところは泣きながら「それな(語彙力紛失)」しか言えんかった。

プログラムの曲はほぼオリジナルらしいですがこれすばらしいですね!!勇利のフリー曲『Yuri on ICE』とヴィクトルのフリー曲『離れずにそばにいて』はずば抜けて素敵だと思うのですが、JJやピチットくんの曲も好きだしユリオのピアノ協奏曲…!!ピアノ協奏曲を今時アニメオリジナルで作るなんてもうおどろきでしかなかった。あ、でも地方大会で誰かがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲で今滑っているのかな?って場面もあったし、いくつか既存曲も使われていた。しかも第三楽章。世界でいちばん好き。

オリジナル曲のサントラ軽率に買いそう。どんだけエイベたんに金を落とせばいいのか…(当方キスマイ担)

 

 

 イメージとしては、ヴィクトルをコーチに迎えて日々の練習をメインにして勇利くんが成長していくお話かなと思っていたけれど、5話からもう公式戦がはじまって、GPシリーズに至っては選手皆のプログラムに時間を割く作りでもうびっくり案件。そこまでちゃんと観れるなんてまじかよ…作画班生きてたんだろうか…ともう放送終了した作品の心配してしまった。大きなお世話だった。勇利もユリオも確かに話数ごとにどんどん変わっていくのだけれど、ベテランと天才っていう設定だし、新人が努力して初めて大会を目指すって話じゃないからか、超スポ根感はあまりない。だけど感情が表現に乗るスポーツだからなのかなあ…このアニメすげー泣けるんだよね。正直、騒がしくなっている界隈のところから断片的な情報を拾っていたせいで誤解していたんだよわたし。サービス精神旺盛系のやつなのね、って思っていて、まーた旬ジャンル爆誕してしまうのかーみたいな。

サービス精神旺盛な面があるのは否めないし、ちょっとやりすぎじゃない?とは思うんだけど、そんなことよりも作中で一貫して「愛」と呼ばれている勇利をとりまく感情がもはや「愛」でしかなかった。しかも分類も名前をつけることもできない愛のかたちってかんじ…とくに勇利とヴィクトル。今までこういう人間関係を人生で築けたことがないって思ったらずどーんと来たもの。自分はわりと勇利に似ているところがあって、普段から自己嫌悪に陥ってばかりなんだけど、こんなんじゃだめだって思わせるなにかがこの作品にはあったんですよね。

わたしは元々フィルターもちなので(なんのかは察してください)ニヨったり「は?????????????????」からの墓ってなることがないって言ったらそれはうそです。でもそういうのを通すのが申し訳なくなるくらいの純度とでも言えばいいのか…観終わった日からずっと周りの人のことやこれからどうするべきかということを考えてしまう。色々と揺さぶられすぎてちょっとどうしていいかわからなかった。安直に考えてたところに爆弾くらったかんじ。

 

ちなみに個人的神回トップ3は以下になっております。

1.第7話

6話と合わせて一番泣いたかもしれない。勇利の「僕が勝つって僕より信じてよ!!!」からのあの驚愕のフリー。中国大会がいちばん好きかも。終盤立て直して3-3決めたときのヴィクトルの神的にかわいいびっくり顔も最あんど高だし、フリップ飛んでフィニッシュに向かうところにかかってくる実況もすごく良くてエモすぎ泣いた…ってなっているところに最後のあれ…誰かー!恋(星野源)持ってきてーーーー!!!

ちょっと違うかもしれないけど、逃げ恥の公園での「ハグしていいですか?」の場面みたいだなあと。溢れすぎて言葉にならない感情の伝え方というか。勇利とヴィクトルはハグは四六時中してるからこれしかない。

ここまで言ってると後づけにしかならないけど、ここから本当の意味で選手とコーチという関係が始まったんじゃないかと思った。

2.第12話

最終話。言葉にならない。これが桃源郷。と言いつつそのあたりは後述します。ファイナルのFSはどのスケーターもすごく良くて、勇利はもちろんなんだけど(送り出したときに一瞬引き留めるような動きをしたヴィクトルの手から離れてリンクに向かう勇利がフィニッシュで指を伸ばした先がヴィクトルっていう描き方はやばみが過ぎる)オタベックのあの語りからのユーリという流れが圧巻だったし、ユーリの気迫と涙~~~;;;;戦う人だ…それに当日の朝のユーリとヴィクトルのやりとりに詰まってるすべてが好き。

3.第9話

ユーリの優しさが滲む回。ヤンキーだから口悪いけどめっちゃ優しい子だし、勇利の存在や長谷津でのできごとはユーリの中ではすごく大きかったんだなあ思えてすごくアガペーな気持ちに。例の空港でのシーンは、ん???って引っかかったところのほうが大きかったし、勇利からは悲痛さが漂っているし、マッカチンの件は良かったけどたぶんふたりに関してはここから大きくずれちゃったのかなあと最終回まで観た今となっては思う。

あと特筆したいのは10話。ここまで観るとこういう設定でこういう話、と自分の中で組み立ててきたものが一気に壊れてがらりと印象を変えるので、1話からまた観るしかなくてほんとしんどかった;;;;;;(観た)4話の「コーチを引き受けた」に強烈に違和感あったんだよ…ヴィクトルくらいになると、誰もがそう望んでると心の中で思ってると思ってるのか?皇帝ゆえの傲慢?みたいな。その違和感の正体の10話で解き明かされて、勇利もあんなに親しげに声をかけてくれるクリスがいるのに、ピチット君以外親しいスケーターはいませんって顔してるのなんで??ってずっと疑問だった答えもわかった。叙述トリックかよ…10話の特殊ED最高でした。抜群の笑顔でダンスしている画像わたしにも送ってください。見せ方がうまい…普段はインスタでこの回はアプリ起動からのカメラロール…

教会の一件はね。うん、あの、勇利の発想がアメイジングすぎてたおれた。誇張じゃなくてフローリングに。気持ちはわかるよ…拠り所としてのかたちあるものに行き着きたい気持ちはわかる。ただそれはちょっとって…言われたらどうしようって迷いもなくそこに行き着いて実行に移す勇利おそろしい子…!でもヴィクトルは受け止めるって知ってた。

 

9話とかこの10話〜12話冒頭とかがまさにそうなんだけど、勇利の心の声は観ている側にはずっとわかるし、引退の時期のこととかもああこう思ってるんだなっていう前提で観てるから勇利の言葉や行動に矛盾とか突発さを感じないけど、対ヴィクトルになったときの、あれ、このふたり画面外でこの話したのかな、ふたりのあいだでそういう認識になってるんだよね?それを踏まえてこうなってるんだよね?いや、もしかして違う???あれ???なにこの状況は!?!?!?ってこともいくつかあったし、ふたりだけじゃなくユリオも含めて、この表情や描き方はどう解釈したらいいんだろう…?ってことも多くてこっちが大混乱、まって、わかんね〜〜〜〜どこでどうなった…?なにこれどういうこと???ってなってこんなにも頭の中がカオスになったアニメひさびさかも。それなんて人生。やっぱり言葉で伝えなきゃだめだよね…勇利の行動見て自分も反省した。自己完結しててもなんも良くならないし逆に相手も自分もしんどくなるばっかだ。それに正直未だに解釈しきれないところも真意を測りかねるところもあるんだよなー

とはいえ、ふたりがたどり着いた場所があの12話ならもう泣くしかなくない?????離れずにそばにいてデュエットver.…まってしんど…理解と理性が追いつかな…しねってこと????こんなんどうすればいいの????まじでKSK*1なんだけど!!!!!あまりのことに頭沸騰して謎の怒りすらわいてくるんだけど!?!?!?!?夫婦を越えていけ…

実はエキシでこのプログラム選んでましたってこと自体が衝撃だわ。中国大会のときもおそらくソロだろうが画面外で滑ってたってことですよね…でもよくよく考えたら第一話で完コピしてる動画めっちゃ拡散されたんだからある意味皆が一番観たいプログラムでもあるだろうし、ふたりの始まりの曲だから自然なことかもしれない。

最終話のこのエキシちょっと引くくらい美しくて、もしかしてこの景色この世で一番美しいんじゃないかって白目で思うほどだったんだけど、この映像そのままDVDに収録できるのかなー修正入るのかな。噴出しているらしいいくつかの問題はどうなるんだろう…

 

キャラもすごく良かった~~~;;;;勇利の家族をはじめとする地元の人たちがとても暖かい場所だったり、スケーターたちのキャラの立ち方も常軌を逸している…JJ(CV:宮野)とか最高じゃない。名ゼリフ吐きまくってた。「翼の折れたJJ」とか「こんなんじゃ愛が足りねーよ!!!」とか。あと一見関係ないようにみえる他の選手たちのプログラムやエピソードがストーリーのフックになっていたりするのが憎い。

PVだけ観た段階では、ユリオ気になってたけど、終わってみたらヴィクトル・ニキフォロフ一択だった。これまでの推しキャラを考えればヴィクトルしかなかったと今では思えるけど、元々金髪の美形に弱いんですよね。でもユリオもすっごいいいこだったなあ。なんなら勇利やヴィクトルよりしっかりしてる。あの強さ、あの感覚、察しの良さよ…ヤンキーなのにおじいちゃん子かわいい。カツ丼ピロシキんときの笑顔天使か。内山くんもすんごい良かったです。

1話と12話どちらも美しすぎてしんだし、とくにFSのほうのあの序盤のシットスピンのあたりなんて心臓抉られそうになるからもし二期があったらヴィクトルのまじスケーティングをみたい気持ちはあるし、実は枯渇して空っぽで「離れずにそばにいて」を踊っていた人が愛や人生を彩るものやことを知ったらどんな風になるんだろう…って考えると震えるけど、個人的にはヴィクトルが皇帝の座から陥落するのをみたくない気持ちもあるので、完結しない物語ほど美しいものはない、でもいいかなと思っている。「ワールド5連覇くらいしろ」って言ってるから本人はいつかその時はくる、と覚悟しているのかもしれないしそんなことは大事じゃないかもしれないけど。

というか11~12話のとき本人的にはどういう風に考えているんだろう。最初は単純に勇利を見ているうちにスケートへの情熱やイマジネーションが戻ってきたところにユリオのファイナルのSP見て火がついたのかと思ってたんだけどもしかしたらそうじゃなくてあの後ろ姿は世代交代の時期だって悟ったのと、これまで自分が一番だと思っていた人がよくよくいろいろなスケーターの演技を客席から新鮮な感覚で見てみたらいろいろな発見があることを知って、これからもしばらくは勇利見る予定でいるからコーチ業や振付師への転換に傾いていたのか…基本的に勇利目線に添って描かれるから、前者は勇利がそう感じたってだけかなあ。そもそも彼はヴィクトルをロシアへスケート界へ返すべき人だと思ってるし。このへんが心の動きが未だにはっきりわからないんだよね。わたしがバカで深みのない人間だからかもしれんが。

でもやっぱり12話の「競技者としておもしろくない」の言葉を額面通り受け取ると、やっぱりヴィクトルがスケーターとして蘇生したんだろうな。で、ヴィクトルがプログラム的にも点数的にもやりきった感で満ちている勇利を引き戻すことを託したのがユリオって解釈でいいのかな。ヴィクトルの復帰じゃ喜ばせることはできても戻せないって悟ったってことだよね…?

元々勇利はヴィクトルを崇拝していたスケート人生だし『Yuri on ICE』滑るときにもヴィクトルのことしか考えてないからわかるけど、ヴィクトルのほうももはや勇利のいない世界に意味などないくらいの勢いで「離れずにそばにいて」なんですね…なんだろう共依存?いいね!!そういうの大好きだよ!!!!ちがう、そうじゃない、あ~~~~~自分のフィルターが憎い。あえて名前をつけるとしたらソウルメイトとかそういうかんじかなあ。つーか記憶消してまっさらな状態でこの作品もう一回観たいです。

リアルタイムで追いかけた方々すごいね!?わたしこれリアタイしてたら一週間考えすぎて心臓もたなかったかもしれないし、放送日のたびにしんで繁忙期乗り越えられなかったかもしれない。逆に乗り越えられる糧になる可能性もあるけどこれはたぶん毎週抜け殻になるやつ。結果良かった。

ほんとあんまりめんどくさがってないで真面目に向き合わないとだめですね。「踏み込んだぶんだけ踏み込んでくれる」に目が覚めた。

は~~~円盤買お。仕事しよ。

 

*1:結婚しろください

書き納めは週刊少年サンデーのことにします。

キスマイ担の皆様週刊少年サンデーお買い求めになりました????控えめに言っても最高なグラビア+ポスターつきなのにお値段280円ですよ!!!書店員として非常におすすめしたい案件が年の瀬にやってきたので絶対に書きたかった。

まず、「キスマイのアニキたち」という煽りがイカしてるね!小学館さんはコロコロコミックを昔読んでいた世代向けにコロコロアニキってコミック出してるくらいだし、アニキ呼びは、わー!小学館だー!少年漫画だー!ってかんじで、こういうテリトリーにキスマイが入るってはじめてだし、そこであちらの色がつけられているのがもう不思議だしうれしいしかわいいし何が何やら…幸せな混乱である。すき。

朝に本日発売の入荷をほどいて店頭出しするのだけれど、これを見つけたときのテンションの上がり方ねーー!年末は繁忙期なのでやはりバタバタしているのですがなにこの満ち満ちたやる気…1日中持続できたよキスマイつよ。ドル誌の表紙飾るときとはひと味違うこの気持ちはなんだろう。よくわからない。思いの外テンションが爆あがりしている自分に引くわごめん。

サンデーはなんといってもコナンがあるし、メンバーも1度は目にしたことがあるのでは…(たいぴは漫画とは程遠い人生を送ってそうなのでないかもだが)ドル誌ではなくそういう雑誌に出るってどんな気分なのかなあ。わたしはとてもうれしかったです(小並)。

買ったからにはもちろん漫画も読もうと思っているので「マギ」とかコミックスで読んでいる作品のネタバレがあるなってくらいだけれどもそんなことは微々たる問題にすぎない。ほんと小学館さまありがとうございますーーー!!!年末年始も来年も頑張って小学館さまのコミック売りますーーー!!!

メンバーのQ&Aもドル誌とはすこし違って、やっぱりヤング層の男子に向けて答えてるようなかんじが新鮮だし(たいぴはなんか戸惑いが固さを生んでいる気がするww)宮田くんなんてちゃんとサンデーで連載している漫画を引き合いに出していて、もうほんとわかってんな!!!!って思った。

グラビアもドル誌顔負けの衣装三回チェンジで8頁も割いてくれていた。まさか少年誌の表紙を飾る日が来るとはさすがに予想外だったけれど、こういう新しい方面へのお仕事に挑戦するキスマイをどんどん見たいなあ。

 あのーだいたいどこの出版者さんも来月こんなコミック発売しますよーとかこれがおすすめですみたいなチラシとか冊子とか送ってくださるのですが、そこにサンデーにKis-My-Ft2が登場!ってあって、それを見たときあまりの驚きに思わずフロアで吹いたのですが、増売が見込まれますと、期待されていたこともうれしいし、実際にそうなるといいなと思っています。

 

ちなみにサンデーで最近個人的におすすめしたいのは「古見さんは、コミュ症です。」です♥(ステマ

 

とりとめのない文章で乱れに乱れてたまま書き納めです。今度こそほんとうにありがとうございました。

未来は僕らの手の中。

 12月6日、帝国劇場に行ってきた。

ジャニーズ・オールスターズ・アイランドのことを書いておかないと年を越せない気がして、大掃除途中のぐちゃぐちゃの部屋でキーボードを叩いているのはたぶん現実逃避だ。掃除しろよ…

 勝手なはなしで申し訳ないのだが、これまでドリボしかジャニーズの舞台を観たことがないじぶんとしてはこれだけの人数が出る舞台はトンデモ設定になるに違いない…なにせ【~宇宙からの手紙~】だ、カオスの極みになるのでは、と想像していた。「ジャニワがカオスだった」みたいな書き込みをいつか見かけた記憶がずっと残っていて、ジャニーズの、とくに若手による舞台はカオスなんだなあとどこか決めつけたように思っていた節がわたしにはある。

JUMPの「SUMMARY」のDVDは観たことがあるのだが、JUMPのコンサートの位置付けという感覚が強く、とりたてカオスでもなんでもなかったし、むしろエンターティンメント満載のそれに感動すらした。二年前に一度だけ観たドリボも同じ。それなのに今回はなんだかそう思い込んでいた。失礼にもほどがある。

以下の感想はネタバレを投下するので、知りたくない方はお気をつけください。

 

 

事前のネタバレは避けるタイプなので、初日のニュースやWSも目にしなかったしうっかり被弾しないようにグッズの詳細すら検索しなかったため、なにもわからないまま帝劇に向かった。ただ初日に東山さんがゲスト出演し、翌日には光一くんも、という話を「これはネタバレじゃないから言っても大丈夫だと思うけど~」という言葉のあと聞かされてはいたし、今後もいろいろな人が来るかもしれないということだけは知っていた。それは軽いネタバレではあったけれど、毎公演すべてに誰かが来るわけじゃないだろうから、来たらラッキーだな~なんて、ひとりで開演を待ちながら考えていた。ジャニーズの現場はたいがい妹と入っているのだが、休みの都合で彼女は翌日の観劇だったため、今日観たことは明日になるまで話せないな…となどと思いつつ、淡々と席で過ごしているうちに開演の時間になり、目の前に飛び込んできたのはかの有名なジュニアマンションだった。無表情を決め込んで舞台を見つめていたのだけれど、頭の中は「じゅ、ジュニアマンション~~~~~!!!」と興奮していた。ジャニーズの舞台に免疫がない人間ゆえに、初めて生で観るそれにもはや伝説を目撃したと言いたいくらいの勢いで。むかしテレビのドキュメントかなにかでジュニアのリハーサルに密着する番組があったように記憶しているのだが、そのときやKAT-TUNのライブのDVD、つまり映像でしか観たことのなかったそれが広がる景色に純粋に感動した。そこで順番にグループが紹介されたあと、小さなジュニアたちも含めて出演者の全員が舞台に立っていたのではないかと思うほど舞台上にジャニーズの面々が並ぶOPは華々しく煌びやかなのにどこか夢うつつな心地がして、またそのきらめきが刹那的すぎてこっそり泣いた。

その中に自担が立つことのなんて眩しい!

息が詰まった。おそらく何秒か呼吸を忘れた。わたしは帝劇に立つ藤ヶ谷くんを観るのははじめてなので彼がこれまでどんな風にジャニーズの舞台で表現してきたかは知らない。それでも一万字で「ジャニーズであるというだけでフィルターをかけられてしまう」ということを小栗旬さんに相談した旨を語り、ここ数年、それを打ち破ろうとしてきたであろう彼が全身でジャニーズの舞台でジャニーズのエンターティンメントを表現する様はちょっと言葉にならないものがあった。

長年培ったものを一度スクラップし、再構築することは時に積み上げた経験値さえゼロになる可能性も孕んでいる。それでも外部の舞台に立ち、そこで得たものをビルドアップしたうえでジャニーズの舞台に戻ることで、溶け込んでいるようでどこか違った風を纏う存在として作用していた気がする。これが彼の言う「違和感」なのかもしれない。

 そんな華々しいOPの途中で事故のトラブルが起こり、騒然となる舞台で「舞台は始まっている、幕を降ろすな」(メモとかとってないのでセリフ曖昧)と言う藤ヶ谷くんと「このまま続行はできない」と言う玉森くん、そしてプロデューサー役である内くんが「Show must go on」と。インタビューでジャニーさんがよく言うとか教えみたいなことは読んだけれど、これはSHOCKやジャニワでたびたびある演出で、ジャニーズの舞台に貫かれている精神らしい。不勉強で知らなかったのだが【Show must go on ジャニーズ】で調べたらジャニーズの舞台における「Show must go on」の変遷を解説されている方がいて知った。

繋ぎ目の詳しい記憶がぼんやりしているのだが、ショービジネスの世界ですでにスターとして活躍する藤ヶ谷くん&玉森くんと、それに続く勝利くんがいて、そしてそのつぎを担うジュニアたち若い子はじぶんたちが先輩たちのようになるにはどうすればいいのか、どう進んでいくべきなのかもしくはどう生きるべきなのか悩んでいて、それを玉ヶ谷が導いていくようなストーリー。

ここで明らかになるのが、藤ヶ谷くんは「歴史には悲劇や悲しみ、痛みや不幸があり、それを知り、そこから学ぶ必要がある」ことを教え、玉森くんは「悲しみや不幸ばかりではなく、それを乗り越えて発展し開ける明るい現在や未来がある」と導くふたりの役どころ。なんというかネガティブとポジティブの体現者というかんじ。

よろこびじゃなくてかなしみ、光よりも陰。そういうものが彼をよりつよく、うつくしく際立たせるように感じる。テレビや雑誌に出ていて笑っていても、どこか仄暗さが見え隠れするというか。

これはたいぶ前に「アイドルとイメージソングのはなし」の記事で書いた藤ヶ谷くんの個人的イメージなのだが、 じぶんがそう感じているからってだけかもしれないけれど、彼はやっぱりネガティブのほうだなあ、と思った。役どころが逆だとしたら、それもそれでちがう彼らを観ることができたとしてもやはり逆じゃない…?と思ってしまっていたかも。

すこし早口の硬い声で多数の自然災害や事故、繰り返されてきた戦争の悲劇を語る藤ヶ谷くんと、いやいやでもね、明るいこともあるんだよ?文明だって技術だって発展するんだよ?とあくまでそれを乗り越えた先にあった歴史の輝かしい側面を見せるようとする玉森くん。どちらにせよそこから「今」に繋がっていること、今をみつめるということを言いたいのだろうけれど、ふたりが対照的で両極端で「お前とは合わない」という印象を抱いているのが興味深い。

Snow Manによる壁フライングや、総出演じゃないにしてもグループ混合、大勢のジュニアでによる和太鼓演出(たぶん和の歴史を学ぶ的な…?)はまさにジャニーズのショーというかんじで圧倒されていたのだけれど、歴史をひとつひとつ紐解き、それを舞台で見せていくにつれ、1幕の途中で「これはすごいものを観にきてしまったのでは…?」と思い始めた。これまでジャニーズの舞台をいろいろずっと観てきている方からすれば、いつもこんなもんやでってかんじかもしれないごめん。

太平洋戦争における特攻隊や東京大空襲、原爆の悲劇、そしてそのあと、戦後の復興から高度経済成長を遂げた日本で開催された東京オリンピックを舞台でジュニアくんたちが表現しながら辿る時間の旅に込められたメッセージが強烈で、ここまでストレートに表現するのが衝撃だった。あくまでエンタメショーとして見せながら、そこにジャニーさんの思想や想いが色濃く反映されているように感じ、1幕が終わったときにはどっと疲れていた。これだけ強いものは受け取るほうもそれなりの力が必要だった。と言いつつ、1幕の途中で勝利くんが横を通っていったのだが、つい鼻をすんすんさせて通ったあとの残り香を確かめてしまうとんだキモヲタぶりを発揮してしまったことを思い出して今若干自己嫌悪に陥っている。いい匂いだった…なんか甘いかんじの…

1幕中にキスマイふたりのソロもあった。藤ヶ谷くんのソロは、ひるがえる系布のある黒いジャケット(しぬやつ)で椅子を使いながらジャジーな曲を踊るのだけれど、1幕のなかで笑顔を見せたのはこのソロの曲のときだけだと記憶している。役柄上、表情が硬くツンとしていることが多い中、このときだけは自由な表情になる。それがまた最高なんやて…頭のてっぺんから指の先まで藤ヶ谷太輔…すき…(きもい)

玉森くんはオーバーサイズっぽい白いトップスに黒のサルエル?なボトムだったと思う。EDMっぽい曲で「Dinga」だったかな曲名…サビもDingaDingaってフレーズだったような…パンフレットにプログラムの記載がないので、曖昧。わたしはEDMと玉森くんの親和性については絶大に信頼を寄せているので、文句なしで素敵だった。

 ふたりとも戦争やオリンピックのステージの導入部分に出てくるのがメインで、出番自体は少ないけれど、若者たちの先を行く者として存在感はふたりがこれまで培ってきたものそのものだし、彼らにもかつて思い悩んだ時期があったのだと思わせる説得力もあった。

 

この日のゲストはA.B.C-Z。幕間の直後にゲストステージがあるとは知らなかったので、突然Za ABCのイントロが始まったときは(え、あれで終わり?ショータイムやるの??)と混乱した。そうしたら星形を作りながらせりあがってきたのがえびちゃん本人だったからさらに混乱した。橋本くんに促されるままに、なぜに???と疑問符だらけの頭で手拍子をしている途中でこれが例のSPゲストによるステージだと気がついた。だいすきな「Vanilla」聴けたし、えびちゃんのパフォーマンスを直接観たのがはじめてで、混乱が去ったあとにじわ~と幸せとうれしさが広がった。

トークタイムは河合くんが絶好調で「俺玉森と藤ヶ谷と話したいんだけどいつ出てくんの?」とか「明日のゲストは横尾渉と犬が来ます」って言っていたり、塚ちゃんが「丸いのに入ってフライングするんでしょ?ワイドショーで観た!」って無邪気に言って永瀬くんに「ネタバレやめてもらっていいですか」って突っ込まれてたり…おもしろかった。

このゲストステージのあとに「よし宇宙いくぞ」ってなるんだけど…ちびっこジュニアたちに見送られていたのは1幕ラストだったか2幕スタート時だったか覚えがないんだけど、

宇宙には未来はない

しかしそれを知るためには

一度宇宙を見なければならない。 

(1幕のラストに客席へ舞い落ちてきた落下物の手紙より)

ということらしい。宇宙から手紙が来てそういう流れになるのだけれど、急にトンチキのにおいがした。とはいえ確かにわたしたちには知らないことが多すぎるし、知らないことさえ知らないのだから、きちんと見なければそれが正しいのかそうでないのかさえもわからないよなとわけのわからない納得をしておいた。

宇宙には内くん扮するプロデューサーのお父さん(エンターティンメントを教えてくれた人=ジャニーさんっぽいなあと思った)がいて、そこでもまたタイタニック号やヒンデンブルグ号の悲劇を見せられる。玉ヶ谷も出てくる。君らも宇宙きてたんかーいってなった。

これも人類が遂げてきた革新的な文明や技術の発展と、その発展と引き換えに起きてしまった痛ましい事故ということなのだろう。成功の影にはいくつもの失敗と犠牲があるということかな。それと「人間は海と空も支配しようとした」というようなセリフに見える人間の傲慢さ。圧倒的な自然の前では無力で、わたしたちはただこの地球に生かされているだけなのにね…

結局過去からきちんと学ばなければおなじことを繰り返すばかりでなにも変わらないのではないかと思わせるそれはまるで、過去を学びそしてそれを省みて活かさない者に今や未来を生きる資格はないと言われているようだった。刺された。

このパートでは岩本くんがほんとうに印象に残っている。ヒンデンブルグ号のくだりでドイツの軍人に扮しているのだが、いや、うますぎて驚いた。板につきすぎている。Snow Man自体わりとこの舞台の要を担っていて、ストーリーとしてはやはり平野くんをはじめとするKingが中心(というか平野くんが主役っぽいと感じた)なのだけれど、凄まじい存在感を発揮していた。ジャーニーとアイスクリームでキスマイのバックについてもらっていたこともあり、ライブでのパフォーマンスは何度も目にしていて、そのハイパフォーマンスぶりには目を見張るものがあるうえに、「すの日常」の更新をたのしみにしているくらいには好きなのだが、舞台を観たのははじめてなので、本当にびっくりした。後日、岩本くんがスノのパフォーマンスを考えるときにシルバニアファミリーを使っているらしいということを小耳にはさんで「岩本くんがーーーー!!かわいすぎる件についてーーーーーー!!!」と叫びたい衝動に駆られていたところに先日「モシモノふたり」の放送でシルバニアと戯れる岩本くんが真実であったことを知り、もはや2017年一番目が離せないジュニアになってしまった。これがバズるってやつか(たぶん使い方ちがう)

それともうひとりとても印象深いのが京本くん。舞台に出てくるとすごく目を引く。あとみずきくんかわえ…少クラを観ていてもおっきくなったなあと思うのだけれど、実際に目にするとミニマイのときはまだ小っちゃかったのになーと不思議な気持ちになる。ほんとうはひとりひとりきっちり観たかったけれどなにせ人数が多すぎてな…目が足りない案件…

宇宙にあるのは過去の遺物でありそこに未来はないことを認め、生きるべき場所は地球であり、進むべき場所はそこにしかなく、そこですべきことがあると気がついて活路を見出していく…かと思いきやそうではなく、やはり見えないものへの不安が強いのか、なにかしらを前向きに獲得していこうとする仲間たちへの焦燥なのか、高橋くんが「もう地球に帰る!」「俺らと先輩は違うんだよ!(ああはなれない的な意味で)」と投げ出すように言ったことから、平野くんの母親の話へ、その後宇宙には何もないことがわかった皆が地球に帰ろうとしているとき、宇宙に残りたい、まだ知りたいことがある、内Pのお父さんといたい、帰れないと叫ぶ勝利くんの父親の話へ突入していく。

ふたりのあまりにリアリティを帯びた演技にこれはまさか実体験ではないのか?と慄いた。終演後に初日の記事を見たらやはりそうだったようで、これはそうとう難しい問題だという感想を抱いた。

エンタメはエンタメであって見世物ではない。個人の人生の悲しい事柄を切り売りするような演出を良しとするか否とするか。これについてわたしは正しい答がよくわからない。自担であったとしたらやはりそれを演出にしてしまうことに複雑な想いを抱くかもしれないし、憤りを覚えるかもしれない。とくに肉親の死は、良好な親子関係であればなおさらだし、仮にそこにどんな複雑な事情や関係が構築されていようとも、実際に直面すると本当にどうしていいかわからなくなる。悲しいとか辛いとかそういう通りいっぺんの感情よりも「もういない」という現実がまったく捉えられない。いないことが信じられない、どうやって信じていいのかわからないとでも言うのか…そして「あのときこうすれば…」「もっといろいろ話しておけば…」「なにか方法があったはずでは…」というどうしようもない後悔の念が噴き出てくると、胸に穴があいたみたいになってそこを冷たい風が通り抜けてからだが縮むように震えるし、瞬間的に頭から血の気が引くような感覚に襲われる。正直じぶんは何年経ってもそこから抜け出せない。だからこそあの若さで彼が、そしてたったの3か月前のことをわざわざ舞台で、観客の前でそれと向き合わなければならない意味はなんだ?と問わざるをえない。

ただ、個人的には演劇にしろ小説にしろ音楽にしろ創作には思想が色濃く反映されるもので、というか思想そのもので、思想は日常であり、日常には生活や社会があるのではないか、と考えているのでジャニーさんがそれを演出として入れると考えたこともなんとなく理解できる気もする。本心のところはもちろんわからないけれど。創作したり表現したりすることに、日常や生活における体験は密接に関わっていて、そうした個々の悲しみや喜びの体験があるからこそ、そこに深みや奥行きが出るのでは…とも。

また、長い歴史や多くの人類のうえに横たわる悲しみを描いてきたこの舞台も、忘れてはいけないこととはいえやはり体験してきたことではないのでリアリティに欠ける部分があるのは否めないし、漠然と悲劇の羅列を眺めているだけにすぎない面もあるけれど、最後に個人のそれを描くことで「今」や「生きる」ということをつよく鮮明に映しているようにも感じた。

とはいえ、父親の死に直面し「どうしていいのかわからない」と泣きながら振り絞るように演じていた勝利くんと、闘病中のお母さんが脳腫瘍の手術を受けるときに東京で仕事をしていた平野くんの言う「じぶんだけがこんなことをしていていいのか」は重すぎる。たとえ彼らが舞台でそれと向き合い、乗り越えようとしていたとしても、悲しみや苦しみにふさぎ込んで立ち止まって、けれどいつかは受け入れて進んでいかなければいけないとしてもだ。

が、悲しみや苦しみを背負うすがたは、美しい少年(いや、青年か)をより美しく映すのだということを不謹慎だとは思いつつも感じてしまった。

このパートはジャニアイにおける一番のカタルシスだと思う。

正直なところこの場面は強烈で、そこからどんなふうに大団円に向かっていったかほぼ記憶が途切れている。気が付いたらジャニーズのはじまりやジャニーズ交遊録自慢…?と思わず言いたかったエンターティンメントにおける著名な方々との出会いなどが語られたり、エンタメの中心はTOKYOにある、TOKYOを目指せってことで「レッツゴートゥトーキョー」なる歌が歌われたり、1幕でも歌っていたトニトニが再び。これは五輪に絡むの狙ってんな…でもきっと2020年へ希望を繋げんとする話なのだろうということはわかった。

 

それと全編のなかでとても印象に残っているのが「平和だからこそこういうことができる」と岩本くん(たしか)が言っていたセリフ。これって「SUMMARY」だったかジャニワ感謝祭だったか忘れてしまったけれど、山田くんのあいさつにもあったし、このあいだのアナザースカイで中丸くんも言っていたことで、あたりまえのことでもあり、だからこそ忘れてしまいがちなそれをジャニーズの子たちはきちんとわかっているのだ、とぐっと来た。ジャニーさんが直接言葉にしているのかどうかは知らないけれど、舞台や演出を通して伝えたいことが脈々と受け継がれているのかもなと思えて、きっとこの舞台もジャニーさんが半生をかけて伝えたいことなのだろうとわたしなりに受けとった。こうして好きなものを観たり聴いたりして楽しみ慈しむことができる日もあれば、日々の仕事に忙殺されたり宇宙レベルでみれば大したことのない悩みや苦しみに支配されてしまう日もあったり、大切なひとがいたり出会いがあったりそういう人と笑ったり話したりごはんを食べたり、あれがほしいこれがしたいどこにいきたいなどと自由に思うこと…日常の細々で埋め尽くされたわたしの小さな世界はおしなべて平和だからこそ成り立っているということをわたしも忘れたくない。世界のどこかで実際に起きているように、平和は恒久ではないしとても壊れやすいものだということも、おそらくわたしはわかっているようですでにぬるま湯に浸かってしまっているのだと自覚することも。

おそらくそれと、ジャニーズのエンターティンメントの歴史すべてとを詰め込んだものが「ジャニーズ・オールスターズ・アイランド」だったとまとめて感想はおわりにしようと思う。もう一度観てきちんと細部を理解したり、じぶんの認識間違いを正したい気持ちはあるのだが、この日しか当選できなかったので一度で見納めとなりそうだ。だけど、この舞台はたくさんの方が観れたらいいのにとかジャニーズに興味のない人たちの目にもひょんなきっかけで留まればいいのにと思うきもちのほうが強いので、ロングランやDVDにならんかな…と願っている。4年前のわたしのようなひとにこそ「ジャニーズってほんとすごいよ!」ってうざい顔ですすめたい。

 

さて、2016年最後の現場がおわってしまったので、あとは31日のカウコンにてテレビの中の彼らと1年を締めくくりそして新たな1年を迎えるつもりでいる。

大掃除が切羽詰まっていて、特典映像盛りだくさんすぎるキスマイのライブDVDはまだ本編とマルチアングルしか観れていない。ハプニング集と「I Scream Night」まとめを早く観たいのだが、通常盤がまだ届いていないかなしみ。

とりあえず、アイスクリームナイトでみんなパリピしてるなか、濡れるの嫌がりすぎ顔険しすぎな顔気にしすぎなたいぴちゃんに草。そういうとき、たいぴ、笑顔やで!って思わずつっこんじゃうけど、そういうところもすきだよ、2016冬。

 

テーマはばらばらで落ち着きがなかったけれど、前年対比でいけば今年はけっこうこまめにブログを書いたほうなのですが、駄文なうえだらだら好き勝手言っているようなここを読んでくださった方、通り過ぎてくださった方、みなさまありがとうございました。